土方がその男と出逢ったのは、攘夷戦争も末期に差し掛かった頃だった。
激化した戦場の噂は絶えず流れてきたが、天領ということもあり比較的地元は平和だった。そこで初めて土方は高杉晋助と出逢ったのだ。

降り頻る雪に重傷の身体を半分埋めながら、青年は樹にもたれかかるようにして気を失っていた。身に付けている服や刀からして、恐らく攘夷志士――それもそれなりの地位にある――だと想像がついた。
手当てしようなどと気紛れを起こしたのは何故だったのだろうか、今でも解らない。
ただの自己満足かもしれない、偽善かもしれない、自覚しているよりも自分がお人好しだったからかもしれない。或いは彼が侍であったからかもしれないし、その姿が余りにも儚くて消えてしまいそうだったからかもしれない。
なんにせよ、そこから何が始まるのか予期もせず、まだ少年だった土方は青年を自らが住み着いている廃寺の御堂にまで抱えて連れ帰ったのだ。

高杉の傷は見た目よりも深刻なものではなかった。少なくとも戦場においては、まだ悲惨と呼べる程度の傷ではないだろう。骨も臓器も損傷していなかった。
問題は眼球ごと切り裂かれてしまっていた左眼だった。彼はもう二度と両眼で光を拝むことはない。そう思うと、堪えようのない慟哭のようなものが競り上がってきて、心の奥がズキリと痛んだ。
やがて意識が戻り、最低限動けるだけの体力が回復した瞬間すぐに発とうとした青年を引き留めたのは、だからか。
大好きだった兄と彼の負傷箇所が僅かに重なって、珍しく不必要な程に世話を焼いてしまった自覚はあった。失いたくない、守りたい、強くありたい。だから一緒にいて欲しい。兄に対して抱いた、しかし今では行き場をなくしてしまった想いが、僅かに綻んだ隙間を起点に決壊したのだと、頭で理解していた。

――傷が治って、春になって、そして雪が溶けるまで。

そんな――高杉晋助という男の性格を鑑みれば――甘ったれたタイムリミットを、それでいて彼が受け入れたのは、たぶん、高杉の方も何かしら情を抱いてくれたからで。
その当時、自分は強さに多大なる憧れと切望を抱いていた。そして意外にも面倒見のよかった高杉が、周りをうろちょろするちまっこいのを無視出来なかったのか、それか唯一無二の大切な人を守れなかった苛立ちに暴れまわるしかない境遇に共感が生まれたからか。
高杉の本心は知れないが、とにかく土方は憧れと共感を持って高杉に惹かれたし、高杉も自己卑下の嫌いがある自分が確信出来る程に土方を想ってくれた。

彼と最後に見た桜の美しさは、未だ往生際悪く心の底に残っている。
『ついていく』と駄々を捏ねる自分を、高杉は『置いていく』と言った。お前はまだ戦場をしらなくていいと、土方がどんな幼少期を送ってきたか教えてもらっていながら傲慢にも彼はそう言ったのだ。

春は嫌いだった。
春そのものには何の罪もないだろう、とそのあと出会った近藤が、理由なんて知らないくせにそう豪快に笑って諭してくれるまで、本当に春も桜も嫌いだった。



 *



変わらぬ街の景色が教えるのは、ひとつだけここに足りないものの存在だ。

さらさらと霧雨になったのと、ちょうど煙草が切れたのを良いことに、土方は武州にまで来ていた。
最早煙草の調達など言い訳にもならない遠出だとは分かっていたが、ざわついた想いは止まってはくれなかった。
馬鹿なことをしていると思う。今では相容れぬ敵となってしまった高杉に、一体どういうつもりで会いに行くのか、別れを告げるのだとしても、斬り捨てるのだとしても、過去を清算するのだとしても、行くのならば、真選組副長であるのならば、決して独りで来てはならなかったのに。

高杉が言外に指定してきた場所は、恐らくかつて共に暮らした廃寺、ではない。あそこは僅かな間だったが、二人が帰る『家』だったのだ。わざわざ家に帰るのに待ち合わせをする者などいるわけがない。
だからきっと彼が待ってる場所は、あの日、最後に彼と会ったあの桜の樹の下だ。春が来るまで。別れのタイムリミットの目安としていつも二人で訪れていた、別れの場所。
近付くにつれて土方の息は上がってきていた。

(なんだ、俺ぁ知らねェ間に走ってたのかよ)

本当に馬鹿だ。
視界を悪くする霧雨のせいか、ゆらゆらと霞がかった景色に同調して揺れ動く心が、思考を置いてきぼりにしたまま、ただひたすらに足を急がせる。

嗚呼、一体どういうつもりなのだ。
まさかまた、もう一度、その手を握りたいとでもいうのだろうか……?

なんて、自分自身に対する愚かな邪推でしかない。




今は秋だ。

桜は咲いていない。

なのに、花が香る。湿気を含んで立ち上る空気が、花の匂いをより鮮明なものにしていた。
バシャバシャと避ける余裕もなく踏んだ水溜まりが跳ねた。
小雨になってきたとはいえ台風の余韻か風が騒ぎ、それを受けて濡れて濃密になった街が色めく。――色めく。

(駄目だ)

土方は足を止められないまま、せめてもの抵抗に頭(かぶり)を振った。『色めく』だなど思った自分を戒めたくて。
『色がはっきりする』という意味で先程自分は街を表現するのに『色めく』と使ったはずだった。
しかし、『色めく』には『相手を意識する』という意味も『感情が露に出る』という意味も『軍勢に敗色があらわれる』という意味もある。

(駄目だ!)

脳が警鐘を鳴らす。こんな心持ちであの男に会いに行っては、何が起こるか分からないではないか。ただでさえ自分は高杉に『会いに来られた』のではなく、自ら『会いに行く』のだから。



「ッッ、なんで…だよ……」

ようやく目的地がはっきり視認できる距離になったとき、そこにあるものを見つけて、思わず茫然と呟いた。
今度こそ泣いてしまったと思った。

「なんでッッ!」


――外れていれば良かったのだ。自分の予想なんて、外れていれば。
彼が示した場所は本当は桜の樹の下などでは全然なくて、例えば、男が本拠地にしている京だとか、せめてあの廃寺であれば良かったのだ。
この場所は重傷を負った高杉と出逢い、そして別れた場所だ。出逢いが来て、そのあと別れが来たそこに、ならば次に訪れるものは決まっている。

だから決して、自分を待つ彼の傘が、そこに開いていてはいけないはずだった。




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