「綺麗だろ?」

何年ぶりかの再会だというのに高杉は、こちらを見もせずにそんなことを言った。
土方は一歩一歩踏み締めるように歩み寄り、隣に並んだところで男の隻眼が見つめる先に顔を向けた。絞り出すように言葉を紡ぐ。

「……あぁ、知らなかった」

そこには雨に濡れて匂い立つコスモスの花畑が広がっていた。
それを高杉と土方が知らなかったのも道理だ。二人がここに足を運んでいたのは、雪の深い冬から桜の咲く春までの間だったのだから。秋に咲くしかも1年草であるコスモスの存在など分かるはずがない。
さらさら細かく軽い雨粒が花を揺らす。秋空の下で咲くことが似合うコスモスに、その光景はどこか異様で艶めかしく倒錯的に映った。

「知ってるかァ? こいつら、秋桜とも言うんだぜェ?」

存外風流を解する男がこちらを向いて笑った。コスモスを見ていたはずの隻眼がぴりりと肌に突き刺さる。
俳句を好んだ兄の影響か、季語の心得があった土方はその知識と照らし合わせて「知ってる」とだけ返した。桜はバラ科の落葉高木で、コスモスはキク科の1年草だから実際には全く違う植物だが、コスモスはつける花が桜によく似ていて、古来より桜を愛する日本人が故にそう呼んだのだろう。

「桜が咲いて、俺とてめえがいて、あん時と同じだ」

「違ェ。桜じゃねェ、コスモスだ」

高杉が何を言わんとするのか悟って、反射的に土方は否定した。
それでも遅かったのか、或いは早過ぎたのか、高杉は愉悦を湛えて一度クツリと笑うと、次いで射抜くような眼差しをした。

「あぁ、確かにそうだ、これァ桜じゃねェ。そして俺もあん時の俺じゃねェし、土方ァ、てめえもあん時のてめえじゃねェ」

「……何が、言いてぇ」

ちりちりと焼けつくような視線を受けて、土方は分からないふりを貫く。
いや、事実分からなかった。少し吟味すれば分かることなのだが、だからこそ考えることすらしなかった。
今更だ、今更ではないか。
電話を取ってからずっと繰り返し言い聞かせてきた言葉を、ここでもまた言い聞かせる。今はもう何もかもが違っている。それを理解しながらどうして、彼はその先を求めようとするのか。
桜と秋桜は違う。あの頃と今も違う。今更だ。もう自分は行けないのだ。彼と共に行ってはいけないのだ。

「似てると思わねェかい?」

しかし、必死の努力も虚しく、追い詰める言葉を高杉は紡ぐ。

「桜と秋桜みてェに。似てるじゃねェか、今の状況とあん時とは。桜と秋桜は違ェ、だが本質はどっちも同じ『花』さ。どっちも同じ『俺』と『お前』だ」

それは、どこまでも『違う』、けれどどこまでも『同じ』。

「あん時俺は『ついていく』と言ったお前を『置いていく』と言った。今度は『行けない』と言うお前に『ついてこい』と言ってるんだ」

「たか……ッ」

「なぁ、てめえは今度も俺に従うんだろう十四郎ぉ」

そう言って高杉は傘を差し出した。いっそ清々しいまでの倨傲さを宿して放たれた言葉は、問いかけというより純然たる命令だった。
嗚呼、どうして。この男は自分が逆らうなんて欠片も考えていないのだ。遠い日にたった数ヶ月共に過ごしただけの、しかも今では敵となってしまった相手にどうしてここまで傲岸になれるのか。
今でも土方は自分の隣を歩むモノだと、それを『互いが』望んでいるのだと。寧ろそうでなければ赦さないと、細められた隻眼が語っていた。

「たかすぎ…おれ、は……」

喉が渇いていた。頭の中で大音量の警報が鳴り響いていた。タスケテと叫びたくて、だけど誰にもここに来ることを告げてなかったと思い出す。

(それでも、それでも誰か、誰か、)

はやく、だれかにきてほしかった。
真選組副長としての、今の自分の日常に含まれる誰かに自分が何であるかを教えて欲しかった。
結局、結論から言えば、あの時あれだけ離れたくないと願っていながら、高杉のひとことで諦めた自分は、やはり彼の言うことに逆らえはしないのだ。

渇いた喉は水を望んでいた。大きく鳴り過ぎた警報に、逆に脳内は麻痺した。
差し出された傘の柄を、ふらふらと握ったと同時に、今まで自分は傘をさしていなかったことに気付く。それどころかそもそも傘を持って外に出たのだったかどうかも怪しい。
だとすれば、散々してきた足掻きは、その本質は形だけのものでしかなく、藻掻きは徒労でしかない。電話を取ってからというもの、傘の有無さえ意識から飛ぶほど余裕がなかったということなのだから。
ここに来た瞬間ではない。高杉がここにいたことでもない。何かが変わってしまったというならば、いや『戻った』というならば、それは電話に出た瞬間からだった。

差し出された傘の柄を掴んだ手を、高杉の繊細でありながらも筋ばった剣客の手が包み込む。
ハッとして咄嗟に引きかけた腕は、ガシリと捕らえられた。そのまま引き寄せられる。崩れたバランスを立て直す暇などあろうか、ぐらりと重力に従って男の胸板に顔を埋めるようにして倒れ込んだ。ぱしゃりと傘が地に落ちた。
身長の関係でちょうどお辞儀に近い形になるが、そんな腰に負担をかける体勢でも、無理に抵抗する気力は沸き上がらなかった。
拒まないのをいいことに、高杉は土方の頭を抱え込む仕草で、胸元へと更に強く押し付けてきた。嗅ぎ慣れた懐かしい匂いと初めて知る甘苦い煙管の香りが鼻腔いっぱいに広がる。思考能力は破壊されたかのごとく、意馬心猿の情は制しがたい。噫乎(ああ)、だから駄目なのだ。

ぶらりと垂れ下がっていた両の腕が、意に反してそろそろと持ち上がり、抱き締めてくる男の着物にしがみついた。いや、そもそも本当に『意に反して』なのか曖昧だった。
だから駄目なのだ。
高杉はかつて自分が1番自暴自棄だった頃に、同じ様な気持ちを包容して、舐め合うよりも寄りかかるよりももっと深く寄り添った、そんな存在なのだ。同属のようで対極のようで、それでもやっぱり同類のようで、飛躍すれば共犯者のような――真選組とは違う次元での――唯一無二なのだ。

(なんだよチクショウ。要するに、何も違ってくれてなんかなかったんじゃねぇか)

この想いは。望郷であり哀れみであり同情であり依存であり情欲であり刷り込みであり憧れであり、そしてそのどれともつかないこの想いは。
名付けるならば、恋情としか言えない想いは、時と距離を置いても何ひとつとして違ってくれてなどなかった。

「チクショウ……」

なのに、どうしても、どうあったって、すきなんだ。

言えなかった後半の代わりに男へ縋りつく。それはもう男に対する答えでしかなかった。




嗚呼、それでも。それでも桜と秋桜は違うのだと、この男に言ってやりたい。あの頃とは違うのだと。あの頃と今とでは共にいることの意味がかわってくるのだと、どうしてそれをこの男は解さない。
よもや、それを知って尚、強請っているのだとしたらそれは。

「あいしてる」

耳元に寄せられた唇によって囁かれたその吐息は、何百年も人々の心を魅了して離さない桜のような毒だと思った。




 
 





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