Side:土方



宵の闇に紛れようともしねェ女物のように派手な着物に、目立つ片目の包帯。それらを確認したとき、何故か俺は誰にも告げることなく、そいつの後をそっとつけた。
今思えば、それは、始末書ばかりでフラストレーションが溜まっていた俺の、誰にも邪魔されずに暴れてェという、無意識の願望だったのかもしれない。

じゃりじゃりと無頓着に、草履で地面を踏みつける音を響かせて、赤い着物が翻る。
俺に気付いてないはずもないくせに、それは特に逃げ隠れする素振りも見せず、人気のない路地裏に入って行った。角を曲がる瞬間、ちらりとこちらに向けられた流し目に、成る程、誘ってやがるのかと察した。
嗚呼、いいさ乗ってやる。
乾いた唇を軽く舌で潤して、奴に続いて細い路地裏に身体を滑り込ませた。


「真選組副長……ねェ」

完全に俺達以外の気配が消えると、そいつは振り向きもせずに、ただ立ち止まってそう言った。 あからさまに揶揄のこめられた声音は激しくムカつく。

「ちょっと迂闊過ぎねェかァ? たった一人で、のこのこ敵の後つけてきたりして」

「はッ、そりゃあテメエにも言えたことじゃねェのか? 過激派テロリストさんよォ」

言い返して、スラリと腰の刀を抜く。
臨戦体勢は調った。なのに未だこっちを見ねェ高杉はなめてんのか? それとも馬鹿なのか?
苛立ちが募るが、捕縛するにゃあ奴の油断は好都合。後悔しやがれと心ん中で罵って、刀を思いっきり袈裟懸けに振り下ろした。


「そう慌てんなや」

ようやく振り返った隻眼と眼があった。
それだけなのに、俺は奴を切り裂く寸前でその刄を止めた。いや、止まった、と言った方がしっくりくる。

「な、に……?」

気付けば、そんな動揺の証みたいな間抜けな台詞を、呆然と呟いていた。

なんでだ?
なんで刀が止まる?
なんで刀を止めた?
なんで今も腕を動かせねェ?

ぐるぐる回る思考を読んだのか、高杉はククッと嫌な笑いを見せる。

「鬼、なんだってなァあんた」

「俺、は…」

ぐらりぐらりと脳ミソが揺れている、ような気がする。高杉が何か話すたび、周囲の酸素が薄くなっていくかのように息苦しくなる。
合わせ損ねた歯が、無様にカチリと鳴った。
認めたくないが、それは『恐怖』と同種の感情だった。怖い。逃げろ。関わるな。武士とは言えないような考えが頭を駆け巡り、不安定な脳ミソは更に揺れ幅を増した。

ヤメロ。
逆ラウナ。
逃ゲロ。
怖イ。
逃ゲロ!
逃ゲロ!
逃ゲロ!
逃ゲロ!

昔――近藤さん達と出会うずっと前――周りが全部敵だった頃に培った直感、或いは生存本能と呼べるものが、最大音量の警告を発する。
何が、とかではなく、ただ危険だ、と。
理屈じゃなく、炎を前にした猛獣と同じ要領で、ただただ目の前の男を恐れた。

「難儀なモンだな、鬼は」

高杉が、ニヤリではなくニコリと、だが狂気にまみれて妖艶に微笑む。
ドクンと、心臓が波立ったのが分かった。

「本能には忠実で、自分より強ェ奴にゃ逆らえねェ。だから今も刀を動かせねェ」

ちがう。

「獣みてぇな……いや俺と同じで、いっそ全てを破壊するだけの獣だったら、もっと楽に生きられただろうになァ」

何言ってやがる。頭沸いてんのかボケ。
そう悪態を吐(つ)くつもりだったのに、俺の口はそんな軽口を叩く余裕はなかったらしい。
高杉の言葉は理解不能だったけれど、一方で、全くの的外れではないのだと感じ取っていた。理詰めでは説明出来ない正しさが、そこにはあった。

「……だが俺ァ真選組副長だ」

悲痛な響きで絞り出した呟きは、高杉にというより、自分に言い聞かすという方が近い。一歩引いて距離をとる。
鬼? 本能に忠実? 強い奴には逆らえねェ?
だからなんなんだ。
例えそれが本当だとしても、それでも俺ァ真選組副長に違ェねェ。ならば、するべき事ァただひとつだろう?
ヤバイヤバイと警鐘を鳴らす本能から無理やり目をそらして、柄を握るこぶしに力を込める。

「油断大敵ってな、神妙にお縄につきゃあがれ!」

そのまま叫んで真っ直ぐ刀を振り下ろす。本能がどうした。何を捨ててでも、護りてェもんが俺にはあるだろうが。
今度は止まらねェ、止めやしねェ!


















煙管の香りがした。


嗚呼、ダケド駄目ダ。
コレ以上コイツニ関ワッタラ俺ハ……。






「ククッ、お前イイな」

耳元で低い声がした。気付けば俺は高杉に抱き締められていた。
肩に数o程度の斬り傷はつけれてはいたが、これだけ密着されたらこれ以上斬るどころか、引くことも押すこともできやしない。

「キモイんだよ放せコラ」

高杉の目が見えてねェからか、今度はスルリと軽口が出てきた。

「面白ェよてめえは、揶揄ってその高ェプライドズタズタにして殺してやるつもりだったんだがなァ」

と、本人の目の前でよくもサラリととんでもねェ台詞を吐いてくれる。

「てめえはどうやら俺に近いらしい」

高杉が未だ密着したまま、鼻と鼻が触れる距離から俺の目を覗き込む。自然、俺も隻眼と目が合う。
『凶悪な過激派テロリスト』なんて情報しか知らなかった俺ァ、だから奴の目が真っ直ぐ一本の道しか見てねェような輝きを宿してたことに驚いた。もっと濁った狂気に駆られた目をしてると勝手に思っていたから。

つーか見んな。目を合わせんな。
心臓がうるせェんだよ。
凍ったように動かせねェ俺の目線の代わりにてめえがさっさと目ェそらしやがれ!


「護るためなら、か。気に入った、サイゴは“次”に回してやらァ」

祈りが通じたのか、あっけないほど軽やかに俺から身を離した高杉は、そんなようなことをカラカラ笑いながら言った。
派手な着物が蝶のようにヒラリと宵の闇に消えて行くまで、俺は少しも動くことが出来なかった。




「……“次”なんざ要らねェよ馬鹿野郎」


ようやく呟いた言葉は、それから幾らばかり過ぎてからか。心の中は苛立ちでいっぱいになっていた。
チクショウ、なんてことをしてくれたんだよ。てめえの隻眼が脳裏から離れねェじゃねェか。ムカつくムカつくムカつくムカつく。真っ直ぐで鋭くて強くて揺らがなくて、少し哀しい瞳の色が。解かる。似ている。違う、そう在りたいんだ、俺は。
嗚呼、だからなんだってンだ。あいつは敵だ。
思考はまとまらないし、心臓はうるさいし、まったく気に入らねェ、いつか絶対この手で取っ捕まえてやる。

そう“次”なんて要らねェ。
サイゴなんて欲しくねェ。

「コレカラ、だ」

“次”なんてたった一度しかない出逢いを求めてどうする? 請うなら何度も出逢う“コレカラ”だろ?
もちろんそれは、奴を逮捕したいがために求める出逢い、のはず。

……だって、それ以外に俺達の間に何が産まれるってんだよ。





(血濡れた歯車が廻り始めた日)