Side:沖田



俺の目の前でチャイナが泣いていた。あのチャイナが、だ。
いや、正確には、涙は流れてないから、泣くという表現は的確じゃないのかも知れねェけど、だったら、抑えきれない悲しみや苦しみ痛みに表情を歪ませる行動を、『泣く』と言う以外にどう表現すればいい。

「いくらサドでも、言っていいことと悪いことがあるネ」

きっぱりとした声は、僅かに震えながらも強い意志を持っていて、だからこそ、悲痛な響きを宿しているように感じられた。
当然だ。『もし旦那が夜兎の力目当てにお前を養ってるとしたら』なんて。

「例え話でィ。旦那がそんなことするはずねェだろ」

もっとも、『そんなこと』するはずねェと俺が信じてたヤローは、『そんなこと』をしてやがったみてェだけど。

「だからって、銀ちゃんはそんなことしない! 確かに最近銀ちゃん様子がおかしいアル。だけどそれでも銀ちゃんはそんなことしない」

キッと睨み付けてくる真っ直ぐなチャイナの双眸に、何故か異様なほどにムカついた。
だって、そういうことじゃねェだろうが。
するはずない、だとか、そんなレベルじゃなくて『しない』と言い切るコイツが。自分がどんなに信じていても、これっぽっちも信じていなくても、相手は、裏切るときは関係なく裏切るってのに。


「ワタシは銀ちゃんを信じてる。例え話すること自体、銀ちゃんへの『ワタシの』裏切りアル」


嗚呼、だから、そういうことじゃねェだろうが。
何、さも『世の中の真理を言いました』みてェな満足ヅラしてんでィ。何、説教たれてんでィ。

何も知らねェくせに。

自分がどんなに信じていても、信じていなくても。裏切ったから裏切られるワケじゃねェだろ。


何も知らねェくせに。
肝心なことは何ひとつ。

何も知らねェくせに!

何も知らねェくせに!!


裏切られる衝撃も痛みも知らねェくせに! なんで俺を責めやがんだ!




「俺だって! あの人をそんな風に考えたかねェんだよ!」

手を血が滲む程に固く握り締めて怒鳴ると、ハッと息を飲む気配が前から感じた。だけど、そんなモン気にしてやる余裕なんざ、もうどこにもありゃしねェ。
目が、あり得ねェぐれェ熱かった。
きっと狂ったように涙が溢れてるんだろうとは分かっていたけど、泣き止み方なんて脳はとっくに忘れたようだった。


「俺だって信じていてェ! 何馬鹿言ってんだって笑って欲しい! 俺を信用してねェのかって怒って欲しい! だけど! あの人自身に肯定されちまった俺はッ、一体ェどうすりゃいいんでィ!」

大嫌いだった、本当に大嫌いだった。でも同時に大好きだった。
俺の中のどろどろしてぐちゃぐちゃして穢れた汚ねェモンを、文句を言いながらもずっと受け止めてくれた人。
近藤さんは俺の親で光で、実の兄貴みてェな人だと、簡単に言葉で表せれるけど、それほど大好きだって自覚出来るけど。あのヤローについては、もっと複雑でメチャクチャにグチャグチャな想いで、全然意味が分からねェ。
だけど、家族愛だとか恋愛だとか、そんなモンとっくに越えちまってるぐれェヤローのことを大好きなんだって気付いちまったから。メチャクチャでグチャグチャになる程、ヤローに感情をたくさん向けてたって気付いちまったから。

「……裏切りモンは処断。俺にとっちゃあ長年の夢が叶わァ」

その夢は、間違いなく本心だったはずなのに。
姉上を泣かしたあいつを、なんとかしてやらなきゃ気がすまなかったのに。
なのに。

「伊東派に裏切った奴らは躊躇いなく斬れたのに、ヤローだけは…なんでまだ馬鹿な希望が捨てきれねェんだよ……」

きっと何かの作戦だって。敵を騙すにゃまず味方からだって。
だってそうだろィ? ヤローは『俺を殺さなかった』んだから。

俺の中のメチャクチャでグチャグチャな部分が頑なにそう願わせやがる。
馬鹿みてェに、ひたすら馬鹿みてェに。
馬鹿な希望が、捨てられない。






「……………馬鹿な希望、持ってていいアル」


長い沈黙のあと、ぽつりと声が聞こえた。
いつの間にか地面をひたすら睨み付けちまってたらしい目線を上げると、悲しそうに笑うチャイナがいた。

「希望は持ってていいアル」

同情に限りなく近く、でも決定的に違う種類の『慈しみ』を込める澄んだ青い瞳に、馬鹿じゃねェの、と思った。
何、言ってやがんでィ、コイツは。苦しいのに。希望なんていいもんじゃねェ。諦めたら楽になれる簡単なことを、それは『諦め切れねェ』と言っているんだ。

またコイツは、何も知らねェから、そう言えんだ。
そもそも俺は『あの人』としか口に出してねェから、コイツからしてみれば何のことだかさっぱりなんだろう。それでも必死に俺を励まそうとするコイツに、だから筋違いだとは思いつつも、やはり苛立ちが湧いた。キチリと唇を噛みしめて殺気を立ち上らせる。
だけどチャイナは、ぽつりぽつりと、話を止めようとはしなかった。

「殺されかけても、殺しかけても、相手にされなくても、禿げてても、終始ニヤついた馬鹿でも、きっとまた一緒に居られる日が来るはずアル。
ワタシはそれを『信じ』てる。
裏切られたって構わない。何度拒絶されたって諦めない。相手が自分の思い通りに行動してくれないことなんて、今どき小学生でも知ってるネ。
信じてたのにって責める奴は馬鹿アル。自分が『知らなかった』だけなのに、相手に怒るのは結局信じ切れてなかったってことアル。これから先『何』を『知って』も、大好きでいてやれる。それが『信じる』の意味ネ」




「お前は甘えてるだけヨ」




チャイナが喋るたび耳鳴りがした。

甘えてる? 何が? 誰に?

『俺』が? 『土方さん』に?


そんなはずがねェ。屯所の誰も俺の話を聞いちゃくれねェから甘えてるどころか孤立状態だし、『土方さん』は――どんな時も俺を受け止めてくれた『土方さん』は、

あの日からずっと、俺の脳裏じゃ高杉とともに裏切りの月を背負ったまま、もうこっちを振り返っちゃァくれねェんだ。





(夜が怖いなんて誰にも言えない)