Side:銀時
「ひ、土方くん!?」
運悪くいちご牛乳が切れていて、コンビニに買いに行こうと戸をガラリと開けたら、そこには無表情な漆黒の男が立っていた。
気配には聡いハズの俺が、直接見るまで全く気付けていなかったことに驚き、また互いに嫌い合っているハズのこいつが、ここで立ち尽くしていたことに驚く。
「何か用か?」
直ぐに俺は動揺を押し込めてそいつに訊いた。
最近の依頼は比較的平和なモンが大半を締めてたから、真選組の耳に入るような騒ぎは起こしていない。
だから、別に俺がビビることァないワケだ。
「用?」
ふ、と土方が嗤った。
この男にしては珍しい、寧ろ一度も見たことがねェような、冷たく酷薄なそれだった。
誰かに似てやがる、と思ったけど、誰かは分からなかった。
思い出せねェワケじゃなさそうだが、思い出す前に土方が言葉を紡いだ。
「てめえは、このままでいいのか?」
問いながら、一歩踏み締めるように歩を進め、吐息がかかる距離にまで来る。
おかしい。普段のこいつなら極力俺に接触しねェようにするハズだ。 俺のことを気に食わねェというスタイルを貫く土方は、触れ合い兼ねない距離に近寄ることを拒む。そしてそれは、どちらかと言えば、周りに対する『俺は万事屋が嫌いだ』というアピールに近いものだと知っていたから、たいして悪印象も抱かずにしょうがねェなぁと思えた。
あー勿論、喧嘩とかで頭に血が上ったときは別だけど。
だから、この男が何に追い詰められるでもなく、俺に接触を求めることは有り得ない。
「ひ、土方くん? どうかしちゃった? 拾い食いでも……」
「は、」
焦って言い募った言葉は、乾いた笑いに遮られた。
「“どうかしちゃった”だァ?」
ククッと喉を鳴らす男に誰かの影が重なった。
「“どうかしちゃった”のはテメエだろ、白夜叉」
……………え? 白、夜叉?
今、誰が何を言った……?
「それは……どういう意味で?」
「意味だァ? そのまんまだろ」
何かおかしいか、と訊く男は造作はもとより、纏う空気が居心地が悪いほど綺麗だった。
見廻組と揉めたときにバラしたから、土方が俺を白夜叉だと知っているのは当然のことだ。それに戸惑ったワケじゃない。
ただ、この生真面目な男が、攘夷志士の代名詞のような『白夜叉』という単語で、恐らくこれからも付かず離れず付き合っていくだろう相手を呼んだことが意外だった。
「なぁ、白夜叉ァ」
耳障りなほどに優しい声が鼓膜を揺らす。
ゆらゆらと、俺の頬を撫で上げているこの男は誰だ……?
人を堕落させるような、溺れる程の色気を噎せ返させている男は誰だ……?
「てめえはこんな世界でいいのか? 吉田松陽を……いや、先生とやらを殺しておいて、なのに、のうのうと惰眠を貪るくだらない世界で」
俺の耳に甘い毒を注いでくるのは、誰、だ……?
ドクンドクン、と大きな音が内側から鳴り響く。
慌てて万事屋ん中を振り返るけど、そこはシンとしていた。そういや神楽はお妙のところに泊まりに行ってたんだっけと、そこまで思い出して、俺は既に一人ではこの男を追い払えなくなっていると気づいて愕然とした。
無意識に“坂田銀時”の日常の象徴である少女と少年を求めてしまっていた。
「な、んで…テメエが、そんな事を……」
普段の調子を取り戻そうと、なんとか紡いだ声は掠れた。
なんだこれは。頭がパーンだ。
だって、だって、こいつの言っていることは……全部、全く、同じだ。
“アイツ”と、全く……。
「なんで俺が、なんざ今は関係ねェだろ。俺はこんな世界をそのままにしといていいのかって訊いてんだ」
「俺、は…」
止めろ、止めてくれ。俺はここで生きるって決めたんだ。先生を奪った世界でも受け止めて、今度こそ大事なモンを自分らしく“白夜叉”なんかじゃねェありのままで守り抜こうと決めたんだ。
俺の背中を見て、目まぐるしい速さで成長してる少年(やつ)がいる。ずっと欲しかった家族になってくれた少女(やつ)がいる。
そうだ、もう俺は。
土方が何を考えてるのかは知らねェ。
もしかしたら、何かの拍子に俺が攘夷戦争に参加していた理由を――あの人が幕府に奪われたことを知って、それでも俺に倒幕の意志がないのかどうか、確かめに来たのかもしれない。
土方十四郎という人物を考える限り、その推測はかなりの確率で正しいだろう。こいつは真選組に関しては、どんな相手でも、どんな功績を持とうとも、例外なく徹底的に疑う。
だからきっと、これは鎌かけなんだ。
「なァ土方くん、今更だよ。今更なんて揺さぶられたって、俺ァここを守り抜く」
だからきっと、この回答は正解のハズだった。真選組副長の土方十四郎なら“元”白夜叉の坂田銀時に、この回答を求めていたハズだったから。
なのに、
なのに、何故“目の前の男”は、馬鹿にし切った目付きで笑っているんだろうか……。
「あぁ、そうだな万事屋。“俺”に対する答えならそれが模範回答だ。だがな白夜叉、今の“俺”が欲しい答えはそんな良い子ちゃんの答えじゃあ生憎なくてなァ」
――“アイツ”の元に戻ってやってくれねェか?
嗚呼、チクショウ。
揶揄を隠そうとしねェ声音で、そう耳に囁かれた時、この漆黒の男と隻眼の男がとうとうはっきりと重なって映った。
鬼神に見つかった夜叉 (折角押し込めて隠してたのに!)
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