Side:土方



「なァ、てめえはこの世界をどう思う」

なんっって声出しやがる!
迫ってきた高杉の眼差しがやけに真剣で、思わず目を閉じちまったことを後悔した。視界を塞いだ状態で聞いた、まるで睦言を囁くような低い声に、堪らず背筋がゾワリと戦慄いた。
その感覚を薙ぎ払うように瞼を上げて、至近距離にある隻眼を睨み付けた。

「どういう意味だ」

「別に? 他意なんてねェさ。ただてめえは何を考えてこんなくだらねェ世界を守ってんのか気になってなァ」

にやにやと嗤う端整な顔に、こぶしを叩き込みたい衝動にかられるが押しとどめる。 我慢したのは、組み敷かれたこの体勢で相手の機嫌を損ねる危険を冒すほど俺も馬鹿じゃないだけのことだ。それこそ他意はねェ。

「てめえに気にかけられる謂われはねェはずだがな」

「気にかけてるわけじゃねェからな。言うなればもっと安っぽい……そうだなァ、ただの好奇心だ」

そう言って高杉は、まるで無邪気な――それ故に残酷な子供のような笑みを、心底愉しそうにクツリと漏らした。
こいつの過去は少し調べれば直ぐ分かった。攘夷戦争の中心的人物だった上に、桂や白夜叉とかいう奴とは違って、鬼兵隊という歴とした軍隊を率いていた高杉の情報なんざ有り余る程あったからだ。
大切な師を幕府に奪われ、鬼兵隊も高杉一人を残して全滅。心を血塗れにされた故に世界に喧嘩を売った奴にしてみりゃ、血塗れになってまで世界を守る俺の行動が本気で不思議なんだろう。

「あのなァ高杉、俺ァただ恩を返すために幕府についてる。てめえが気に入るような理由はねェよ」

隠すほどのことじゃなくて、嘘をつくようなことでもなくて、だからいっそ何でもないことみてぇに開き直って答えた。
例えば、理由なんざねェとか、政権を内部から乗っ取るためだとか、そういった酔狂な答えを期待されていたのかもしれねェが、残念ながらそんなもんじゃないのだ。

「幕府に恩?」

高杉の眉が途端につり上がった。俺がここにきてからずっと飄々とした態度を崩さなかった奴だったから少し驚いた。そしてすぐさま理解する。
あぁ、なるほど。
高杉の中で、幕府は揺るがしがたい『悪役』なのだ。といっても、それを壊そうとする自身にヒロイズムを感じているわけではないだろうが。
いや、『悪役』ほど大層なものでもないかも知れない。単純に『嫌いなもの』といったほうが正確か。自分が嫌いなものを『好き』なんて言う人間を理解出来ないのと同じ。
そしてその理解出来ない人間がまた不快なのだ、この我が儘――先程の河上とのやり取りからして、この評価は間違っていないだろう――な男は。
予想外に高杉の人間臭さを通り越した幼さを目の当たりにして、笑いが込み上げた。押し倒されたままの体勢で。異様な状況に、俺も少し脳が鈍くなっていたのかもしれない。

「何笑ってやがる」

耐えきれずに喉を震わせていると、不機嫌というよりは急に笑い出した俺に呆れるような声が返ってきた。
あの夜、あれだけ恐れた高杉に、何故か今では言い表せないほどの強い親近感を抱いた。こいつもまた鬼のように見えるヒトなのだと、なんて笑える。

「存外分かりやすいテメエに」

「存外たァ心外な。俺ァどっかの副長様と違って自分を隠してるつもりァねェんだがなァ」

そりゃそうだろうよ、世界をぶっ潰すとか自己中を極めた奴じゃねェと出来ねェっての。
俺だって自分を隠しているつもりなんてないが、嗚呼、でも、こいつと違って自分を押し殺しているきらいはあるのかもしれない。

「安心しろ高杉、俺が恩を感じてんのァ幕府にじゃねェよ」

何が安心なのか良く分かりゃしねェが、俺はとにかく不満げな高杉にそう言った。

「じゃああのゴリラか」

「ゴリラじゃねェ、近藤さんだボケ」

とはいえ、ゴリラ発言には流石に笑みを引っ込めて反論すると、高杉は特に感情を込めた様子もなく「ふぅん」とだけ言った。それに少しむかついた。

「俺ァ昔、死にかけた所をあの人に助けてもらったんだよ。その上面倒までみてくれて、あんな綺麗でデケェ人そうそういねェ」

「なのに幕府に身を削って尽くす、かァ?」

「だから、だ。あの人が江戸を…幕府を守りたいと思ってるからこそ俺は、」

「矛盾してるだろうが。その幕府は近藤を殺そうとしてんだからな」

「な……!」

絶句した。絶句も何も、俺は本来そのことについての情報を聞き出しに来たのだから、この流れは願ったり叶ったりのはずなのだが。
それでも俺は、いや、だからこそ俺は驚いた。総悟にはああ言ったが、心のどこかで高杉は今回の件に関与していないという、いわば確信めいたものがあった。そして同時に、あの高杉が容易く俺の望む通りに動いてくれる、ということこそが予想外過ぎたのだ。この男は一体何を考えているのか。

「てめえ、何を知ってる」

しかし事態が事態だ。動揺も高杉の思惑も後回しにして、低く唸るように問いかけると、高杉は俺を未だ押し倒した格好のままで首を傾げることで、ひょいと肩を竦めるような動作をして見せた。
何にせよ、この体勢では後々斬り合いになったとき明らかに不利だ。
話がしづらいという態(てい)で、密着している身体をどさくさ紛れにそっと押すと、案外あっさりと高杉は俺の上から引いた。

「これはあくまで攘夷浪士の間で出回っている噂だが、真選組の局長が処刑されようとしてるらしいじゃねェか」

「それァ本当だ。俺の手元にも今朝知らせが届いた」

そこまで広まっているのなら否定しても仕方がないと、俺は身体を起こしつつ高杉の言葉を肯定する。噂といえどもデマではない方のそれだと高杉も確信しているようだったし、ならば今更、真選組副長が噂の裏付けをしたからといって、さしたるデメリット――こいつからすればメリットか――もないだろう。
それよりも、知りたいことはその噂がどうかしたのかという点だ。
急かすようで縋るような視線を向けると、高杉はいやらしく目を細めた。

「ところで、俺たち鬼兵隊は幕府にいくつか出来のいい耳を忍ばせていてなァ」

不意に思い出したことを口にするかのように、高杉の声のトーンがひとつ軽くなる。焦らしている、と思った。
次いで、わざとらしくクツリと嗤って見せたのは、幕府に攘夷派のスパイが入り込んでいることを知らされた俺の動揺を煽りたかったからか。

「別に驚きゃしねェよ。俺たち真選組もてめえらの中にいくつか持ってる」

強がりでもなく、きっぱりと言い捨てる。こんな奴の思惑に引っかかって、まんまと焦って見せるのも癪だ。
後半は、居もしない裏切り者を疑り合って同士討ちで自滅でもしてろという意図を滲ませたただのハッタリだったが、高杉は特に何の反応も見せなかった。
まぁもともとこんな小手先が通用すると思ってねェから、こっちもハッタリを流されたことに対して動揺もしなかったわけで、俺は話の続きを促した。

「で? その耳がどうした」

「そう急くなや。つまりこれから話すことは幕府内部の…密偵が入り込める程度の極表層部で流れている情報だ」

「信憑性がねェってことか?」

「判断はてめえでするんだな」

突き放すように言われる。
機嫌を損ねたかと思ったが、だからと言って話を打ち切るつもりはないようだ。何故か高杉はこの件に関しては最後まで情報提供してくれる気でいるらしい。不気味だ。

「幕府の『何も知らない』連中は近藤が攘夷派のスパイだったという噂を囁き合っているらしい」