Side:土方



情報収集に飛ばしていた監察方でも、奉行所に潜り込ませていた山崎でもなく、報せをもたらしたのは幕府から直々に下された通告書だった。

真選組副長宛てに投函された2通の手紙。ひとつはいつもの艶文で、ふわりと匂う香のかおりに溜め息をついて机の上に無造作に投げ置いた。といっても、後でちゃんと処理をしておかなけりゃ、何かと勘違いした総悟か山崎あたりにニヤニヤと馬鹿にされることになるだろう。
苦々しいようで忌々しい微妙な気持ちになりながら、もうひとつの手紙――こっちは厳重に封をされた封筒だ――に目を通す。差出人が幕府関係からだったから、もともといい気はしていなかったが、その予想を遥かに超えたあんまりな内容に思わず目の前が真っ暗になった。
――…嗚呼、嘘だろう?

「近藤さんの…処刑が決定した、だァ……?」

声に出して読んでみても、これほど実感の湧かない話ってあるか?
副長室でひとり、残酷な文字が書かれた紙切れを眺めて呆然としていると、遠くで総悟が何やら喚いている声が聞こえ、その喧騒は次第にこっちへと近づいてきた。

「土方さん!!」

バシンッと乱暴に襖が開け放たれて、亜麻色の髪が燃え上がるようにして飛び込んで来る。
ほぼ同時に情報を掴んだ監察方などからでも聞いたのだろうか。総悟はそのままの勢いで、いつもの抑揚のない口調とは正反対の怒声――或いは悲鳴か――を響かせて俺の前で仁王立ちをしてみせた。一体これはどういうことなんだと、納得できる答えを聞くまで逃がさないと全身が語っていた。
だがそんな総悟に、俺は答える術をまるで持っていなかった。俺だって、何も知らないのだから。

「土方さん! あの人が…近藤さんが死……!」

「馬鹿、まだ死んじゃいねェよ。処刑の通達が来ただけだ」

「おんなじことでィ!」

激昂した総悟がほとんど掴みかかって来そうな至近距離で叫ぶ。上気した目尻は、果たして怒りのためか、泣く寸前なのか、判断に困った。
とにかく落ち着けと、何とか総悟を宥めながら、俺はそれでもただなんとなく、泣いてくれるなとだけ祈っていた。滅多に泣くことのねェこいつに、もう手立てがねェみてぇに涙を見せられて、希望が絶たれることを無意識に嫌ったんだろう。
……なんて。
本当は総悟のせいにして、暗く沈みかけた自分の気持ちを戒めたかっただけだ。 手立てがねェ『みてぇに』たァ言って呆れる。実際、しがない芋侍に幕府の決定を覆す手立てなんざねェのに。
苛立ちと遣る瀬無さが同時に溢れて、手にしていた通告書を衝動的にぐしゃりと握り潰した。

幕府から渡されたそいつには、無機質な文字で、真選組局長近藤勲の処刑が決定したという意味の文章だけが打ち込まれていた。
手書きの温かみが感じられない機械(コンピューター)の描いた明朝体は、正直あまり好きになれない。今更、攘夷浪士みてぇに天人の技術がどうとか言うつもりはさらさらないし、作業効率を考えたらそれを導入することも寧ろ歓迎ですらある。だがそれでも、効率諸々を差し引いた好みでいうなら、やはりそれで書かれた文字に良い印象は抱けないのだ。
それに加え、今回の件で――もちろん機械にも書体にも罪はないのは承知だが――『好きじゃない』を通り越して『嫌い』になりそうだと思った。
近藤さんの罪状は、逮捕されたのと同じ猥褻罪らしい。他にもストーカー規制法違反やら、住居侵入罪やら、強制猥褻罪やら、果ては暴行罪に傷害罪に器物損壊罪――これらに関しては被害者と加害者が逆だろうが――まで、こまごまとした罪状が書き連ねられている。

「馬鹿げてらァ。こんなことで処刑なんざ無茶苦茶もいいとこでさァ」

忌々しげに吐き捨てられた言葉に、全くだと、内心大きく頷く。かつて、これ程までに露骨な厄介払いがあっただろうか。
天道衆の道楽を潰して以来、より幕府上層部からの風当りが強くなった真選組だが、一方で上様からの信頼は厚いし、とっつぁんという強力な後ろ盾も持っている。それに、一応これでも公式に幕府に取り立てられた役人なのだ。顔も――いろんな意味で――売れている。
名もねェ平隊士ならいざ知らず、いくら邪魔だとはいえ、真選組局長である近藤さんは秘密裏に始末するのにとことん向いてねェお人だろうに。

「無茶だろうと苦茶だろうと、とにかく目の上のたんこぶを消す大義名分が欲しいんだろ。上の連中は」

「回りくでぇモンですねィ。いっそ直接斬り込んでれたら返り討ちにしてやれるってのに」

「回りくでぇモンなんだよ。そうさせねェためにな」

そしていつだって周囲は不条理で理解しがたいモンだ。
何もしなくても不幸は襲い、自分がしっかりしていなけりゃ、あっという間に傍の大切な人に飛び火する。
俺の周りはいつだってそうだった。むしろ俺がいることで予定調和を崩しちまっているような、俺は周囲に対して異物のような、異物のために不具合を起こしているんじゃねェかと疑うような……そんな気までしてくる。
だからといって、あくまでただの『気のせい』でしかない憶測を根拠に、俺は俺を周囲から排除する勇気など持ち合わせちゃいなかったから、まだここにこうしているわけだが。

そして、理解しがたいといえば、もうひとつ。
近藤さんを厄介払いしようとする動きが前々からあったのは承知している。だが前々からあったからこそ、何故今のタイミングで決行したのかが分からない。
近藤さんのストーカー癖は昨日今日始まったわけじゃあ決してない。勿論、たまたま何となく『今』だということもなくはないだろうが……。
ふと脳裏に引っかかる光があった。
明るさの似合う太陽みてぇな光じゃなく、闇の中で蛾を引き寄せる篝火みてぇな淫靡な光だ。悩む暇もなく、それがあの夜に直視した翡翠色の隻眼だと気付いて、ギシリと歯ぎしりをする。総悟は処刑に対するものだと思ったのか、幸か不幸か、訝しげな視線を寄越すことはしなかった。

「…高杉晋助……」

聞かせるつもりで呟いた声量は思ったよりも小さくなり、声音は想像以上に感情の漏れ出したものとなった。
滲んだ感情は恐らく、限りなく嫌悪に似た※※。

「何がですかィ?」

「……今回のこと、鬼兵隊が糸を引いてるって可能性もあるかもしれねェ。少なくとも高杉は、1週間前に江戸で目撃されているらしいからな」

らしいも何も目撃したのは俺なのだが、そう言うと何故報告をしなかったのかだとか色々面倒なツッコミが入りそうだったからとりあえずは伏せておくことにした。

「紅桜の一件で、鬼兵隊と春雨が繋がった危険性もあるって前に会議で話したろ。幕府上層部にも春雨と繋がっている奴らはいる。だとしたら……」

「そんなたまですかィ? からくりの件や紅桜の件からして、奴ァ相当の派手好きですぜ?」

「否定はしねェが、派手好きだって時には暗躍するモンだろ。何も派手イコール正面ってこともあるめェ。喧嘩は魅せてこそ粋、だが真正面からぶつかって玉砕じゃあ意味がねェ」

「…まぁねィ、それこそ否定はしやせんが」

何かまだ腑に落ちないらしい総悟は、含みを持たせた歯がゆい調子で言葉を返した。

「だとしたら高杉は、随分と突然真選組を敵視し始めたモンですねィ」

「そんなこと知るか。つーか、もともと敵対組織だろ」

「いえ、心当たりがないんなら、それはそれで寧ろ肩の荷がひとつ降りまさァ」

「……………」

総悟は暗に釘をさすような面持ちでしばらくじっと見つめてきたが、やがて「とりあえず見廻り行ってきやす」と、隊服の裾を翻して副長室から退出し、縁側から軽やかに飛び降りた。
それに「間違っても奉行所に乗り込むんじゃねェぞ」と忠告すれば、図星だったのか舌打ちだけが返ってきた。不貞腐れた若い背中を見送って、まだまだ甘いなと思いつつ、しかし時としてあいつは厄介なほどに鋭いとも思うのだ。
俺は溜め息をひとつこぼしてから、机の上に放りぱなしだった艶文に目を向けた。広げてみれば、焚き染めた香の匂いの中に短歌が一首したためられていて。馬鹿馬鹿しいと内心で強がって、ライターの火で燃やして消し炭にしてやった。
部屋にゃあ誰もいやしねェのに、意思表示を見せつけるかのようにゴロリと仰向けに寝っ転がる。屯所の天井は、高くもなければ低くもない。

いやでも、しかし、それにしても。確かに近藤さんの件に関して不確定要素が多いのは事実だ。情報もないに等しい。
もしこれが近藤さんでなく他の誰かだったならば、罪状と刑罰の重さのあまりの差に、公表できねェ何か裏の罪状――例えば地位ある人間の不敬罪とか、物的証拠の見つかっていない裏切りとか――があるんじゃねェかと邪推してたに違いない。
いや、それすら今回の計画の一部なのかもしれない。こうやって少しでも『読める』奴らに邪推させることで、真選組は幕府…否、将軍のご不興を買う失態を演じたのだと、真実味の高いデマを流すことなしに広めることができるのだから。

「……情報…か」

欲しいのは、真実味が薄くても何はともあれ信じるに足る事実だ。
そして、俺は近藤さんを例えどんな手を使ったとしても死なせたくない。
嗚呼そうだ、だからこそ俺は。
だからこれは、『行かねばならない』のだ……。