Side:土方



「どうかしたんですかィ?」

朝稽古が終わり、井戸で汗を流していると、珍しくバズーカを向けられることもなしに、総悟が後ろから問いかけてきた。
命を狙われなかったことを意外に感じるなんて、俺も昔から変わらず、大概な生活を続けてるもんだと苦笑する。
だが、会話の最中にもいつ総悟の気が変わって襲撃されるか分からねェ。頭から井戸水を浴びたためにびっしょり濡れた髪の毛を掻き揚げて視界を確保する。

「どうしたって、何がだ」

「自覚ねェなら重症でさァ。こりゃそろそろ施設に容れた方がいいですねィ」

「誰が痴呆だァァァァ!」

「俺ァそこまで言ってませんぜ? 痴呆の自覚だけはあったんですねィ。さっすが土方さんだ」

「つかお前ホントなんなんだ」

やはり総悟は総悟だったと、相変わらず人を――というより俺を――おちょくった態度を貫き徹すクソガキに、呆れ半分諦め半分、脱力して尋ねれば、返ってきたのはまさかの真剣な眼差しだった。
こいつの真剣な眼差しというのは、大抵ドSを発揮するときに見られるもんだから……いや、俺は断じてビビッてなんかねェからな。頬を水滴が伝うが、水浴びの最中だったんだ。何もおかしくはねェ。
そんな思いとは裏腹に、総悟は直ぐに眼に込めた力を抜くと、普段の茫洋然とした表情を見せた。

「いえね、最近の土方さんは殺す気も起きない程、あほヅラ晒してボケーっとしてるもんで」

「おいこら」

「別に茶化してるわけじゃありやせんぜ」

殺す気たぁ馬鹿にしてんのかと凄んでも、さらりと受け流して肩をすくめられるだけだった。「下手すりゃ本当に殺しちまいそうでさァ」と、どういう意味かよく判らない矛盾した台詞を呟かれたような気もしたが、まぁこいつが意味不明なのはいつものことか。
そもそも俺は総悟の言うようにボケーっとしていた覚えはない。確かにここのところ考え込むことの多かった自覚はあるが、だからと言って何かをおろそかにした、なんてこたァあり得ねェんだから。

俺の頭を悩ませているのは、言うまでもねェ、例の忌々しい隻眼だった。1週間前に初めて顔を合わせて以来、高杉とは会ってねェが、それでもあの日の衝撃は時間を置いてもちっとも薄らいじゃくれなかった。
それはある意味誤算だったが、警察がテロリストのことを考えるのに大した不都合もあるめェと、深く考えることはやめた。

「くだらねェこと言ってねェで仕事しろ仕事」

この話題は仕舞ェだとばかりに手をひらひら振れば、未だ渇ききっていなかった水滴が僅かに飛び散る。
それに顔を顰めながらも、総悟はさも当たり前みてぇな調子で「俺ァ今日は自主休業でさァ」なんてふざけた返事を寄越してきた。

「馬鹿言ってんじゃねェ! そりゃあただのサボリだろが!」

「人間たまには休まねェと壊れちまいますぜ?」

「もっともだが、年中サボリまくってる奴が言う台詞じゃねェな」

「だって忠告ですからねィ」

「はぁ?」

どういうことだと問い返そうとしたとき、門の方から「副長ォォォォ!」と叫びながら、ドタバタ駆けてくる人影があった。山崎だ。
相変わらず、地味なくせに騒がしい奴だと思いつつ顔を向ける。

「副長! 大変です!」

「なんだ」

「局長が猥褻罪で奉行所にしょっ引かれました!」

「……またかよ」

はぁ、と溜め息をついてズキズキ痛む頭を抱える。
どうせストーカーに精を出していたところをあの女に発見されて、いつも通りボコボコに殴られた後、ついでとばかりに身ぐるみ全部剥がされ棄てられたのだろう。近藤さんは、お妙さんは菩薩だと声高に主張するけれど、俺に言わせりゃ最早タチの悪ィ追い剥ぎだ。
毎度毎度自重してくれと頼んでるってのに、飽きもせず繰り返される日課にいっそ感心する。まぁ、簡単に諦めねェところが、あの人のいいところでもあるんだが。

「分かった、車回せ。迎えに行く」

てめえもこんなことでギャーギャー騒ぐんじゃねェよと山崎を睨み付けると、「それが……」と歯切れの悪い反応が返ってくる。
それを訝しく思っていると、横から総悟が「だから最近のあんたはボケてるってんでィ」と平淡な声で口を挟んできた。

「近藤さんがストークや露出で捕まるなんてしょっちゅうでさァ。なのにわざわざ山崎が慌てて知らせに来たってこたァ……」

そこまで言われたところで、ハッとした。

「何かあったのか?」

「ほら見なせェ。いつもなら誰よりも敏感に気付くだろーが、あんたは」

小馬鹿したようにせせら哂う総悟を、しかし今は構っている場合じゃねェと横目で流して山崎に詰め寄る。
すると、「大したこととは言えないんですが……」と前置きをして報告が続く。

「俺が仕入れた情報によると、局長が逮捕されたのって何日も前のことらしいんですよ」

「あぁ? 確かに最近顔見ちゃいなかったが、道場の床下に潜り込んでるっつー報告は一昨日ぐれぇに聞いたぞ」

「ええ、その直後らしいです。奉行所のパトカーに押し込められる局長を、野次馬の隙間からパチンコ帰りの旦那が目撃しています」

それが本当だとしたら、丸2日、近藤さんは留置所に容れられていることになる。 いくらなんでも屯所に引き取りの要請が来ていないのは奇妙なことだった。せめて、身内への連絡という形で、何らかの知らせがあるはずだ。
しょっ引かれたとは言うものの――顔見知りのよしみか、あの女もある程度絆されてきてんのか――被害届は出されていない。武装警察の局長ということもあって近藤さんはなんだかんだで顔が広いし、身元が判明してねェなんてこともないだろう。
公僕の不祥事なんて外聞の悪ィこたァ、内密に手早く処理されるのが常識だ。被害届が出されてねェことも相まって、幕府としても真選組局長の逮捕などしたくないはずなのだ。
現に今までは即座に、それが奉行所だろうと見廻組だろうと、『お宅の局長を“保護”した』と迷惑そうな声で連絡が入っていた。

「捕まえたのァ奉行所だったよな?」

「ええ、見廻組だったら、おそらく副長に対する嫌がらせだと予想がつくんですが」

「ふん、伊東に関してもそうだが、俺ァどうやらインテリ野郎に嫌われやすいらしいからな」

「そういうことじゃない気もしますけど」

「とにかく奉行所についちゃあ理由が検討がつかねェだけ、こっちも下手に動けねェってか」

だとしても、とりあえず引き取りに行くしかないだろう。そもそも、ただの連絡ミスだということもありえる。
それに見廻組ならともかく管轄の被ってねェ奉行所となら、うちは折り合いが悪いわけでもない。……いいわけでもないが。

「あのエリートが噛んでるなら面倒だが、奉行所は歴史が古く石頭な分、真選組(おれたち)や見廻組(やつら)みてぇな新参の組織や天人どもと繋がりにくい。あまり気を揉み過ぎても逆効果だろう。なんでもねェ可能性も十分あるしな」

「じゃあ俺が迎えに行ってきやす」

おそらくついでにばっくれる気なのだろう。総悟が嬉々として名乗りを上げた。

「そうはいくかよ。奉行所は石頭だっつったろうが。礼儀やら格式やら、窮屈なモンを重んじる奴らの許にテメーなんかやれるか」

手早く近くのタオルで湿った髪をガシガシ拭いて、「着替えてくる」とだけ言い残し、自室に戻る。稽古着から隊服に着替え終わる頃には、言外の意味も汲み取った山崎が車の用意をしてくれているだろう。
申し出を素気無く却下された割に、特に何も思ってないらしい総悟から「帰ってこなくていいですぜ」なんていつもの『いってらっしゃい』を受け取って、俺は近藤さんの元に向かった。