32

大地が割れて空が遠のいた。いや、遠のいたのは自分たちだと気づくのに時間は要さなかった。
ティアの譜歌に守られ一行が身を寄せていた大地だけが残っている。
泥沼のようなどす黒い海にちらほらと大地の欠片のようなものや坑道にあったであろう木片が微かに浮いているが音もなくそこに飲み込まれて沈んで行ってしまった。
不幸中の幸いなのか激しく落下した一行は身体を打ち付けただけで大きな怪我はなく、崩落に巻き込まれ逃げ損ねたタルタロスが近くに浮遊していた。
辺りを見渡せどただどす黒い海と身の回りに確かにあったはずの大地の欠片だけで、一行は状況が掴めずにいた。
サシャはぼーっと割れて光が差し込んでいる空を見上げていた。
打ち所がわるかったのか身体が少し軋んでいるように感じたがそんなものは気にはならなかった。


「ティアがあの譜歌を詠ってくれなければ、私たちも死んでいました。あれがユリアの残した譜歌の威力か…」
「俺達アクゼリュスの崩壊に巻き込まれて…。地下に落ちたのか?他に生き残りはいないのかよ…」


ジェイドが独り言のように呟くとぼーっとしていたサシャの肩を叩いた。
鈍い痛みが広がりながらもジェイドの方へと振り向ことはなく、サシャはこれも夢の一部なのではないだろうかと考えた。
最初の夢では自分はこの沼にハマっていたはずだ。二回目は…そうだ少年が…少年?と何かがつっかえる気がして耳を澄ませた
ナタリアやティアは地面に倒れ込んでいる人々にまだ息がないか確認している、悲しいことに未だに生存者は見当たらない。
呻くような声がサシャの耳に微かに届いた。何も言わずに一目散にそちらへ駆け寄った。


「サシャ!どこに行くんだ!」
「……う……ぅ……」
「誰かいるわ!」
「…ジョン、今…助けるからっ…!!」


サシャの声に一行は駆け寄ると心許ない板の上にパイロープとジョンがいた。
この様子だとパイロープはもう既に息絶えてしまっている。どうにか息子だけでもと崩落の際に庇ったのだろう
ジョンはうわ言のように父ちゃんと小さな声で呼びかけている。
サシャに続いてナタリアが助けようと飛び出そうとしたが、寸での所でティアが障気を含んだ海だから入るなと止めに入ったがサシャにその言葉は聞こえていない。


「サシャ!いけません!」
「私ならあそこに行ける…!!!」
「だめよ!!」


ティアとジェイドの必死の訴えも無意味にジョンの元へと続いて微かに浮いている大地の欠片にサシャは飛び乗った。
心臓が早鐘を打ちつけるなかジョンの元へなんとか飛び移りジョンを抱えた。
ジョンを引き上げたと同時に板が転覆して行き、皆の元へと戻る為の大地もいつ転覆するか定かではないなかサシャは必死に飛び移る。
あと一つの所で目の前で大地が転覆してしまい手も足もでない状況になってしまった。


「くっ…」
「サシャ…どうにかできないのかなぁ…」
「ジョン少し痛いかも知れないが…我慢してくれよ…」
「兄…ちゃん…?」
「ガイ!しっかり受け取ってよ!」
「お、おい…!投げるのか!?」


サシャの言葉にガイは動揺したが返事も待たずにジョンを思い切り投げやる、どうにかガイがジョンを捕らえるとサシャは儚く笑った。
ジョンを投げた衝撃で自分が乗っていた大地がツプリと沈み始めたのだ。
一瞬の安堵のあとにティアやナタリアがサシャの足下を見て悲鳴を上げる。


「サシャ…!貴女も!」
「ん…ちょっと難しいかも」
「何を言っているんです…!無理矢理救出に向かったのだから生還なさい!」
「…足の感覚がないんだ」


見る見るうちに膝まで沈み始めてしまった。
軋んでいたはずの身体は徐々に感覚を失って行くようで、痛みがない分何故か笑みが零れた。


「!くっ…ここも危ない…!タルタロスでサシャを引き上げましょう、この泥の上でも持ちこたえています!」
「サシャ待ってろよ!!」


サシャがゆっくりと沈んで行くなか一行はタルタロスへと急いだ。
なんて無茶なことを…!とジェイドが怒りと心配を露にしながら操舵室へと急ぐが沈むのが待ってくれる訳ではない。
近づくタルタロスの揺れが伝って小さく波が立ち始めるとじわじわと腰まで浸かり始めた。
タルタロスの外側にある梯子にガイがおり必死に手を伸ばしているのが見えてサシャも手を伸ばすがギリギリ届かずにそのまま波が距離を開かせてしまう。グラリと身体が揺れて視界が霞み始めた時だった。


『全く…ここで死なれては困るわ…』
「だ…れ?」
『もう忘れてしまったの?しょうがない人…』


声が聞こえたかと思えばサシャは暖かい光に包まれ気を失った。


△△△


俺は悪くねぇっ!悲鳴のような声が聞こえた気がした。
ルークが責め立てられている、サシャはその光景が一瞬見えた気がしたかと思えば声が降ってきた。


『サシャ』
「…ウンディーネ?」
『えぇ。あと一歩遅かったら貴女は死んでしまっていたわ』


ゆっくりと瞼を開けるとそこは以前ウンディーネと対話をした何もない空間で
死んでしまっていた。というウンディーネの声にゾクリと一気に血の気が回るような感覚に襲われて吐き気を催した。
やれやれと覗くウンディーネはサシャを一瞥してため息をつくとゆっくり口を開いた。


『貴女が海にいたから辛うじて助けられたの、こんな役目は二度とごめんよ』
「私…生きてるのか…?」
『まだ気を失っているわ。……今起こっていることは必然よ』
「夢は…現実に起こることだったって言うのか?」


頷いたウンディーネにサシャは憤りを感じた。
そうとわかっていれば阻止できたかも知れない未来だったのに、と。
何故教えなかったのかを問おうとすればウンディーネは困ったように笑った。


『貴女はこの世界に必要だから』
「…ほかの人間が不必要だとでもいうの?」
『…すべては主様のために』
「その主っていうのは…」
『貴女は主様の器…主様の解放をするその日まで生き延びなくてはならない』


すべては必然。
ウンディーネはそういって消えてしまった。
サシャは急激にどこかに意識を追いやられるようにして目の前が暗くなったかと思えば突如手の平に温もりを感じた。
身体が鈍く傷みだして、瞼を揺らすと聞き慣れた声が微かに聞こえた。


「サシャ…?」
「……っ…」
「無理に喋ってはいけません…よかった、目を覚まされたのですね…」
「……イド…?」
「ええ、そうです。少し待っていて下さい、医師を連れてきますから」


薄らと目を開けて朧げにだが少々憔悴したジェイドの姿を確認すると、ジェイドはサシャの頭を撫で上げてその場を後にした。
徐々に鮮明になってゆく視界にうつる自分が寝かせられている部屋はセフィロト同様見たことがない雰囲気を醸し出している、ジェイドがいるということは所謂、死者の世界というものではないらしい。
半信半疑ではいたが本当にウンディーネに救われたのは確からしいとぼやける思考で自覚した。
バタバタと部屋の外側から複数の足音が聞こえたかと思えばドアが乱暴に開け放たれた。
血相を変えた医師やティア、ガイらもいる。


「サシャ!よかったわ…目が覚めたのね」
「俄には信じ難い…障気にあれ程まで汚染されていたというのに…」
「とにかく…無事で良かったよ!」
「傷む所はありませんか?外傷はある程度は手当もしましたが」


医師は信じられないものを見るような目でサシャを見やったが他の者たちの表情にうつるのは安堵そのものだった。
出遅れたと言わんばかりにナタリア、アニス、イオンも部屋へと勢い良く入ってきたが診察をすると医師に閉め出されてしまった。
そして何故か閉め出されずに残っているジェイドにサシャは小首を傾げると、今後の治療内容はジェイドが引き継ぐことになっているということだった。
ある程度の診察を終えて奇跡を通り越して奇妙だとまで医師に言われたがサシャの身体に異常は見当たらなかった。
医師に鎮痛剤を打たれ席を外したあとに入れ替わりでティアたちが再び訪れた。怪我の治療をしながら今いる場所が魔界であることなどをティアは献身的にサシャに説明した。
ルークが未だに目覚めていないままではあるがこのまま地上―外殻大地へと戻る手段を打ち合わせているらしい。サシャも目覚めなければ一度魔界へ置いて行くことも考えられたと話された時は思わず苦笑したがそこはジェイドが承諾しなかったという。
ジェイドは魔界から外殻大地へと帰るための作戦会議以外ではこの部屋から離れることはなかったらしく、目が覚めた時にジェイドがなんだかやつれていたような気がしたのはその所為だったようだった。
ある程度の治療を終えて目覚めたばかりだから身体に障るとティアを筆頭に部屋を出て行ったがジェイドが部屋から出て行く気配はなかった。
近くのソファに腰掛けて本を読んでいたジェイドを盗み見ていると視線に気が付いてか話しかけてきた。


「本当に身体は大丈夫なんですね?」
「ん…大丈夫だと、思う…?」
「自分のことだというのに…本当に貴女とう言う人は」
「ジェイド」
「はい、なんでしょう」
「ごめんね、迷惑かけて」
「!迷惑をかけられたとういうよりは貴女は私に心労を絶えさせる気がないという認識でしょうか」


困ったように笑うジェイドは本を閉じてサシャに近づいた。
徐にベッドに座るとグローブを外した手で額に触れる。
障気に当てられて熱が上がっているのかジェイドの手はとても冷たく感じ、心地よい体温に目を閉じた。


「眠ってしまいなさい」
「ジェイドは眠らないの?」
「えぇ、私も休みますよ。早ければ明日にも出立するでしょう」
「そう、じゃあ明日には動けるようにならないとだな」
「はい、期待していますよ。その為にも私が心労で倒れてしまう前に寝て下さい」
「…おやすみ、ジェイド」


おやすみなさい。とジェイドが声をかけると、催眠術にでもかかったかのようにすぐにサシャは眠りに落ちた。


「貴女という人は目が離せない人だ」



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