ピオニーの脱走


太陽が丁度頭上の真上へ昇った頃、事件は起きた。
ピオニーと想いが通じ合っても尚傍付き役を辞めずに献身的に世話係を担っているヒメは、ああ、またか。ともぬけの殻になった部屋を見て頭を抱えた。
ピオニーは皇帝だと言うのにいつも気が付いたら何処かへ抜け出していってしまう。
どんなにバリケードを作っていてもスルリと何事もなかったかのように脱走していくピオニーは、ある意味身体能力に長けていると言うべきなのか、ただずる賢いだけなのか。
怒られるのは庭や、ピオニーの部屋付近を警備している兵とヒメだ。
タチが悪いのは帰って来る頃には変装もなしに表の門からケラケラと笑って帰って来るのだ。
メイド長達にバレないうちにまた引き戻さなければならない。ヒメは意を決して腕をまくった。
ほぼ7割方はジェイドの執務室に忍び込んでいることが多いのでまずはそこから始めようと、憲兵に口止めをして城の外へ出る。
少し歩いたところでグランコクマの商店街はいつもよりも大いに賑わっていることに気が付いた。
ここに紛れていたら捜すのに一苦労しそうだ。

「…ピオニー様ったらいつも何処かへ行ってしまうんだから…」

文句をタラタラと漏らしながら通りすがる目深にフードを被った人間を注意深く見極める。
ふと、ある露店に目がいった。ここらでは見かけないジュエリーショップだった。
煌びやかな石装飾に目が眩みそうになる。ピオニーの捜索がなければじっくり見ることも叶うかも知れないのに…と後ろ髪を引かれる思いでその場から離れた。
なかにはケテルブルクで発掘された宝石もあったようだったので少し懐かしい気持ちにもなった。

「ジェイドさん…!」
「おや、ヒメじゃありませんか。やはり私と縁談を進める気になりましたか?」
「何をおっしゃってるんですか。そんなつもりでこちらへ参ったのではありませんわ」
「ふむ、残念です。…その様子だとまたあのバカ…失礼。陛下が城から抜け出したのですね」

ヒメが頷くと、ジェイドは眼鏡を押し上げながため息をついた。
ジェイドの執務室に真っ先に来たのはピオニーがいる確率が高いこともあるが、幼馴染のジェイドは捜索時にとても力になってくれているのを知っていたからだ。
私も暇ではないんですがねぇ…と小言を呟くジェイドにいつものように謝罪するとニコリと笑って物騒なことを言うのも日常だ。
普段からジェイドにこっ酷く叱られていると言うにこうも抜け出したがるのは一種の病気か、マゾヒストなのではないかとヒメは心配になるのもしばしばだ。

「こうも賑わっていると陛下がどこにいるか検討もつきませんね…ヒメ、最近陛下のご様子はいかがでしたか?」
「特に変わった様子は…ただご公務の時間にお茶を持ってお部屋へ入った時…酷く慌てた様子で机に何か隠していたのは見ましたが…」
「ふむ…それは気になりますね。また怒られるようなガラクタでも集めているのでしょうか」
「一度お部屋を掃除している時に、引き出しが開いていたので不躾ですが覗いてみたんです。鍵のついた書類ケースのようなものは見ましたが中身は…」

両者頭を捻りながら商店街での捜索を試みるがどうしても見つからない。
諦めて帰って来るのを待とうかとまで話していると、ジェイドは日暮れも近いこともあってか城まで見送ってくれることになった。
探し始めてから数刻…頂上にいたはずの太陽は気が付けば見上げずとも確認出来るほどの高さまで降りて来てしまった。
白っぽい景色が赤やオレンジ色へと変わる様を見ながら城の近くまで辿り着くと、裏庭の方へ走っていく人影が見えた。
一瞬の出来事だったがジェイドは見逃さなかったらしく走り始めた。後を追うようにスカートの裾を握ってヒメも追いかける。

「まったく…貴方という人は…」
「ちゃんと無事帰って来たんだ大目に見てくれ」

ヒメがジェイドに追いついた頃にはフードを目深に被ったピオニーに対しての説教が始まっていた。
久しぶりに走ったヒメは肩で息をしながら無事だったピオニーの姿を確認して疲労感と安堵感でその場で膝を付いて崩れ落ちた。

「よ!ヒメ今日は俺を見つけられなかったみたいだな」
「…よ!ではありません…どれほど心配したと思っているんですか…」
「全く…こう頻繁に抜け出されては私の仕事も貴方の仕事も溜まる一方です。いい加減にして下さい」
「しかしなぁ…俺だって自由に買い物しに行きたいぞ」

悪びれもせずに淡々と言い返してくるピオニーは小包を手にチラつかせながら腕を組んでいた。
ちょっとやそっとのサボリ癖ならまだしも大体いつもサボっているとなると許せることと許せないことがまた違ってくる。これはどんな身分でも共通の意識だ。

「それで…一体何を買われたのです?」
「よくぞ聞いてくれた!ヒメ開けてみろ」
「は、はい…!」

小包を手渡され綺麗に包装された紙やリボンを解いていく。
箱を開ければ更に箱が入っており、スウェード調の縦開きにするタイプの箱だった。
得意げにピオニーは早く開けろ!と子供のように促すのでヒメはその箱を開けるとなかには商店街で自分の目に留まったジュエリーショップの品物に酷似していた。
同じものなのであればこれはケテルブルク産のオパールの指輪だ。

「これは…」
「俺からのプレゼントだ。そんなに上等なものではないのだろうが…商店街で見ていなかったか?」
「!何故それを…」
「大変だったんだぞ?お前に見つからないようにするのは」

ジェイドが痺れを切らして説明を求めると渋々ピオニーは訳を話し始めた。
今回の脱走はヒメに婚約の贈り物とまではいかないが贈り物がしたく、たまたま商店街で露店が多く立ち並ぶという広告を目にしたこともあって自ら赴く計画を元々立てていた、らしい。
皇帝ともなれば城に宝石商を呼ぶことも可能だったがそれでは何も面白みがないし、未だに世話役を買って出る女中のヒメは素直に受け取ってくれないだろうとピオニーは考えたようだった。

「なるほど…単に惚気ですか」
「なんだ悔しいか?」
「今日のところはそういうことにしておきましょう…。陛下次は無断で抜け出してはいけませんよ」
「へいへい…ところでヒメ…嬉しくないか?」
「…そんなことないです…嬉しいです」
「そうか…ならよかった」

ヒメは今この場が人気のない裏庭で良かったと心底思った。
メイド長達に見つかりにくい場所、ということもあるがピオニーがそこまでして自分に贈り物をしたいと思っていたことに純粋に感極まっていた。

「な、なんだ…泣くほど嬉しいのか…?」
「ええ、もちろんです…ですが私は何もピオニー様にお返し出来ませんわ…」
「そんなの俺は毎日もらっている。気にするな。それにお前が傍にいてくれればそれでいいんだ」

強く抱きしめるピオニーの胸にヒメはすっぽりとはまって少しの間温もりを堪能した。
もう戻らないとマズいと思ったヒメは胸から自分の身体を話そうと手で押すがビクともせず、ピオニーに故意的にホールドされていることに気が付いた。

「まあ…また今度渡す時は本番だからその時も受け取ってくれよ?」
「…!はい…わかりました!ですがそう頻繁に抜け出さないで下さいね?心臓が持ちません」

クスリと笑う2人は見つめ合うと合図もなくキスを迫った。
裏庭に多い茂る木々に太陽はすっかり隠れてしまい2人が抱き合っている姿を夜が隠した。




△△△


「今日も…いない…!」


昨日はなんだかんだで惚れた弱みでピオニーを許してしまったが約束したはずのピオニーはまた今日も姿を消していた。
昨日から着け始めた指輪の石を撫でながら困ったように外へ目をやれば、ガサリと下の方で物音がした。
窓から覗くと真下にはピオニーがおり、たった今帰って来た様子だった。
垂れ下げたまま隠したロープを引っ張り出してピオニーは馴れたように窓まで上り詰めるとヒメに袋を手渡した。

「土産だ!美味いぞ」

何事もなかったかのように振る舞うピオニーにヒメは飽きれてモノも言えず、ピオニーはソファーに座ってヒメの出す茶をちゃっかり待っていた。

「さ、食おうか」
「ピオニー様…しばらく外出禁止です…」

土産の茶菓子を頬張り茶を啜るとピオニーはそれは困ったな!と笑って答えた。



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