やさしい恋をする



ピオニーは腹を立てていた。
目の前にいるのは幼馴染。ついこの間婚約をすると宣言したかと思えば悪びれもなく他の女と逢瀬を繰り広げているのだ。
何の為にヒメを娶るつもりだったのか理解が出来ず、明らかに言い訳をするとも思えないこの態度に一周回って関心を覚えるレベルだった。

「ヒメが可哀想だとは思わないのか?」
「献身的に尽くしてくれる彼女に罪悪感がないと言えば嘘になりますが、知らない方が幸せと言うこともあります。
それとも陛下がヒメにお知らせになりますか?」
「ああ、知らせてやってもいいぞ。そしたら堂々とヒメを連れて帰れる」
「婚約の儀に取りかかるべく、回りではもう既に一緒に暮らしていることを知っている者もいますが
”ただの使用人”に同情して陛下自ら彼女の婚約を破談に持ち込み、また使用人として雇うのですか?それではきっと彼女にとって惨めな噂が立ってしまうでしょうね。彼女ももう若くはない」

ジェイドの言い分はよくわかるものだった。
本来成人をすぎれば軍に属している者ではない限り女性は婚約しているものが多い。
ヒメは何度も求婚の話などがあったがそれを全て蹴り、家柄も地位も納得出来るような人間との婚約話など最後のチャンスなのでは。と言っても過言ではないのだ。
そのまま女中として王宮に仕えれば婚期は遠のいて行くばかりで、生き遅れのレッテルを貼られても可笑しくはなかった。そうまでしてでもピオニーは迎えに行くのか?とジェイドは遠回しに言っていた。

「まあ私と婚約すればヒメの名誉は守られるでしょうし、私としても彼女の家柄は手中に入れておけるに越したことはない」

愛情の欠片が微塵もない発言にピオニーは自然と身体が動いていた。
思い切り拳を振り上げて頬を打つ。軍人のジェイドからすれば振りかぶられた時点でピオニーを制圧することもできただろうが、ジェイドは避けずにそれを頬に受けた。
何も言わずに走り出したピオニーの背中を見送り、殴られた反動でずれ落ちそうになっていた眼鏡を指で押し上げてため息を付いた。


△△△


ジェイドの家はとても静かだった。
寝に帰るだけとも取れる程部屋の中には家具はほとんどなかったが、整頓されて本の匂いがする落ち着いた部屋だ。
ピオニーと離れて1週間、心配で何度か王宮へ行ってしまおうか迷っていたが家で大人しくするように念を押されていたためヒメは紅茶を啜りながら本を読んでいた。
せめてお世話になるのだから家事はやらせて欲しいと申し出たがジェイドは軍の方で休むことの方が多いようで好きにして構わない。とだけ言われていた。
給仕癖がついていることもあってか、非常に持て余していた。
ふう、と一呼吸置くと、玄関の扉が大きな音を立てた。

「ヒメ!!いるんだろう!」

扉を叩く音と同時にここに来ることを想定していなかったピオニーの声が聞こえてヒメは慌てて玄関へと走る。
返事もせずに扉を開ければ、間髪いれずに中に滑り込んできたピオニーに思い切り抱きしめられた。
ジェイドからは相変わらず何も聞いておらず、一体何がどうしてこんな状況になっているのかわからずヒメは混乱していた。
城を抜け出すにしてもピオニーはいつもしっかり変装しているというのに、普段のピオニーのまま目の前におり、人通りは少ないにしても日中なので人の目には晒されていた。
ピオニーはただでさえ目立つのだ、遠目で会話を繰り広げていた夫人たちがこちらを凝視しているのに気がつき抱きしめられている状態でどうにか扉を引っ張ってピオニーを家の中に引きづりこんだ。

「ピ、ピオニーさま…」
「ヒメ、無事か…?」

せめて離してもらいたいと手で抵抗するがピオニーは首を振ってそれを拒否した。
少し落ち着いてきたのだろう、ピオニーは呟き始める。

「ジェイドなんてやめておけ、城に帰ってこい」
「…」
「お前がいないとつまらない」

手の力が緩みかけていたのをもう一度引き締めてヒメを強く抱く。
ピオニーの背中に手を回すべきなのか、行き場に困ってしまった手を握りしめてヒメは黙っていた。

「俺はお前と一緒にいたい」

急に身を剥がされたかと思えば、ピオニーの顔が間髪入れずに近づいてヒメの唇を奪った。
何度か軽く重なるそれに、状況が完全に掴めきれていないヒメは思わず目を瞑ってそれを受け入れると無意識にも生理的な涙が零れた。
紛れもなくピオニーから向けられる感情は愛情で、自分が求めていたものだった。

「…やれやれ人の家でなにやってるんですか」
「…っジェイドさん…!」
「…なんだ邪魔しにきたのか」
「婚約者を上司に取られそうだと思ったので様子を見に来たらこの様です。どうやら遅かったようですね」

クスクスと笑いながら、いやーやられましたーと棒読みをするジェイドにそこでピオニーは察しがついた。

「返してくれと言われても返さないぜ?」
「ええ、構いませんよ。毎日ヒメにお世話してもらうのがなくなってしまうのは残念ですがね?」
「…!お前なあ…」

先日から先ほどまでのジェイドに違和感が合ったのは間違いではなかったようで、どうやらハメられたらしい。とピオニーは呟けばヒメも笑うのでここはグルだったのか。と一度頭を抱えた。

「何はともあれ…ヒメ、帰って来てくれるか?」
「はい!喜んで…」

腕を大きく広げて構えているピオニーの胸に遠慮することなくヒメは飛び込んで抱きしめ合った。

「もう何年も待たせただろうが…ヒメ愛してる。」




やっとやさしい恋が始まる。



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