嵐の前の日常


ピオニーとヒメの衝突した一件からしばらく経った。
あれ以来2人の関係は少しだけ変化を遂げた。
ピオニーはヒメ以外の紅茶を受け付けることはなくなり、ヒメはピオニーに仕えることに今まで以上に精を出した。
だが、一つの噂が立つ様になった。
それは言うまでもなく前回ピオニーが直々にヒメの部屋へ赴いたことが原因だった。
ピオニーの寵愛を受けている娘はどうやら女中らしい。
その真意を確かめるべくピオニーを訪ねるものは多かった。

「陛下、これは一体どういうことなのでしょうか?」
「ん?どういうこと?一体何の話をしているんだ」
「お戯れを…!今王宮では陛下の寵愛を一心に受けているのが傍付きの女中だと噂が流れております。その真意をお聞きしたいのです」
「ああ、おかしな噂だよなぁ。俺はただ古い付き合いの友人が体調を崩したから見舞いに行った。ただそれだけだぞ?」
「女中が友人ですか…その他には何もないと…?」

ピオニーに今にも食って掛かりそうになっているこの男は貴族院の人間で、兼ねてより自分の娘を是非とも後宮にと申し出ている者だった。
ピオニーには元々恋人がいたことがあるのを一定の位のものは知っており、しかしその相手が貴族ではなく一般の女性だったことが面白くなかった。
だがその恋人との破局が広まれば大手を振ってピオニーにお目通りを志願するものが増えその度にピオニーは手を焼いていた。
令嬢や女中にも紳士に対応するピオニーに株は上がる一方だったが本人は毛頭娶るなんてその気はなく、未婚の娘を抱えた貴族の人間は歯がゆい思いをしていた。
そして今、ピオニーが寵愛している人物像が噂され、その人物を辿れば傍付きの女中だなんだと焦る者が増える一方だ。

「付き合いの長い女中を気にかけてなにか悪いことでもあるのか?」
「いえ、そのようなことは…」
「俺らだってそのおかしな噂を立てられた被害者だ。なあ、ヒメ?」
「…はい。恐れ多いですわ」

紅茶のおかわりを求めて後ろに控えていたヒメに合図をしてわざとその話を振るピオニーは今いたずらっ子さながらに楽しそうだ。
貴族の男はその噂の中心の人間が同じ部屋に2人揃っているとは思っても見なかったらしく、何かを言いかけて口をつぐんだ。
男に紅茶を勧めたが、丁重に断りを入れて男は焦って部屋を後にしようとしていた所でピオニーはまた口を開いた。

「コイツは今まで体調を崩したことなどなくてな。コイツの紅茶がないと俺は仕事に集中出来なくて困っていたんだ。
それだけだ、良いな?」
「は、はい。左様でございますか…」

へこへこと男は礼をして急ぎ足で部屋を後にして行く。それをピオニーは見届けて鼻で笑った。

「ピオニー様、あの様に言ってはまた貴族院との関係が悪くなってしまいますよ」
「なに、俺は事実を言ったまでなのでな」

得意げに笑うピオニーを見ながら遊ばれた男に少しだけヒメは同情した。
散々笑って気分転換ができたのだろうピオニーは書類を見つめていた。
ケセドニア戦争の復興も着々と進み、ここ最近ピオニーは次の段階へ話を進めていた。
戦争を望まず、平和を願うピオニーは今度こそキムラスカと和平を結びたいと考えており、それの相談役としてジェイドは私室へよく足を運ぶ様になっていた。
貴族の男との話が終わりもう暫くすれば次の作戦会議の時間だ、と資料へ没頭する様になったピオニーをみてヒメは暫くの間は自分の役目はないだろう。と寝室や中庭の掃除へ向かうために部屋をあとにした。


寝室の掃除を終えて中庭へ足を運んだヒメは庭師に負けず劣らずの腕前で木々を選定していた。
それを終えれば、草花に水をやり、芝を掃く。
日常のルーティーンを崩さずにある程度やり終えてしまえば、少し息抜きをしよう。と芝の上に腰掛けた。
ヒメは王宮の中でもこの中庭が一番好きだった。
自らこの中庭の管理を申し出て、仕事を終えればこのように息抜きをするのもまた好きだった。

「おや、先客が居ましたか」
「…あら、ジェイドさん。ごきげんよう」

後ろからの声に振り返れば、もう何度かこの中庭でジェイドと出くわしている気がする。

「陛下なら私室にいらっしゃいますよ」
「ええ、ですがまだ約束の時間までありますので私も息抜きにこちらへ参りました」
「そうでしたか」

ヒメは自分が座っている横を進めると、小さく失礼します。と聞こえてジェイドが腰掛けた。
目を閉じて涼んでいる所を見るとジェイドもこの中庭は少なくとも気に入っているようだった。

「ああ、そういえば最近おかしな噂を聞きますが陛下はどうですか?」
「普段と変わりありませんよ、むしろ面白がっていますわ」
「でしょうね。しかし貴女としては好都合では?」

ジェイドはその噂に対して少なくともヒメは満更でもないのでは。と思っているようだった。
もちろんヒメも悪い気はしておらず、ついこの間噂が立つ発端となってしまったあの日に、従者としての気持ちよりも自らの恋心を主張してしまいたくなったのは事実だった。

「意地悪なことをおっしゃいますのね」
「おや、図星でしたか」

クスクスと笑うジェイドにらしくもなくヒメは赤面すると、ジェイドは提案があります。と更に意地悪そうに笑った。
提案とは一体。と小首を傾げれば、そう悪い様にはしません。私は勝算がなければ動かない主義ですから。と得意げに言うのでヒメは内容を聞いてみることにした。

「まず、前提に。少なくとも陛下は貴女のことを気になっていると思います。
まあ、アレは馬鹿な所もあるので政策以外では血迷った提案をすることもありますが…」
「…なんのお話です…?」
「単刀直入に言いますと。一度私の元へ来ていただいてもよろしいですか?」
「…?」
「私は他人の恋愛に首を突っ込むような趣味はないのですが、アレにはよく振り回されますので仕返しをと思いまして。貴女は私と陛下が言うことに、はい。とだけ言っていて下されば構いません。」

ジェイド・カーティス。この男は一体何を考えているのか。
それはヒメには毛頭理解出来なかった。がピオニーに仕返しをしてやろう。と言う魂胆だけははっきり伝わり自分にとってのメリットは一体どこにあるのかもわからなかった。

「暫くの間陛下にお仕えすることはできなくなると思いますが、今後は保証致しますよ」

悪魔の囁きにも取れるそれにヒメはぎこちなく頷いた。
さて、話も済みましたし陛下の所へ参りましょうか。と立ち上がりヒメに手を差し出す。
それの手を取ったヒメもこれからジェイドが一体何を仕出かそうとしているのか想像は付かないが、嘘をつくような人間ではないのは事実だった。
少しの不安感と好奇心を寄せて契約を交わした。




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