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梅雨明けをして、7月頭
ジメジメが終わったかと思えばジリジリと肌を焦がす様な日々が続く。
ここ最近で一番の真夏日につくづくエアコンのない学校の日じゃなくてよかった。と安堵しながらも私はバイトに行くための準備をしていた。
鏡の前に座って薄めに化粧を施して、風通しのいいワンピースを着て外に出る。
あ〜帽子被って来たらよかったかな。と少し歩いた所で立ち止まって見たけれど家からそう遠くないバイト先へと早足で逃げ込んでしまった方が早い
もう夕方の時刻だと言うのにまだまだ沈むつもりのなさそうな太陽を睨みつけて、なるべく日陰を通っていつもよりも少し早足でバイト先に逃げ込んだ。
ドアベルがなったのに気が付いた店長が厨房からひょっこり顔を出して、笑顔で迎え入れてくれる。
今の時間帯は夜の営業に備えて一旦お店を閉めている状態だ。
バックヤードに入ってホール用の服に着替えると、店長がキンキンに冷えたレモネードを出してくれた。
出されたレモネードを飲みながら予約票を見ていると、後30分もしないで夜のオープンの時間に合わせて一件だけ予約が入っている。
冷房のお陰で汗が引いて、髪を一つに束ね上げて今日のバイトも頑張るぞ!と気合いを入れて私は立ち上がった。

ホールの準備を終えてお客さんがいつ来てもいい様に待ち構えていると、ドアベルが鳴った。


「いらっしゃいませ、1名様でよろしいですか?」
「…!」
「…お客様?」
「あ、あぁ。ミー1人だけだよ」


最初にドアを開けたお客さんは1人で、店で待ち合わせでもしているのかを確認しようと声をかけると何故かお客さんは私を見るなり硬直した。
もう一度声をかけるとどもりながらも、1人だと答えた男性客をカウンターに通した。
聞き間違いかもしれないけど、自分のことミーって言った?ミーって名前なのかな。


「こちらおしぼりとメニューです。お決まりになったら呼んで下さい」
「! おお、サンキューね。久しぶりにこのシティに来ましたが、ユーのようなキュートなガールに出会えるなんて嬉しいでーす」
「キュートなガール…?あはは、ありがとうございます」


少し変わった口調のお客さんは私の一つ一つの対応に過剰に反応している。
話好きそうにニコやかに笑うミーさん(仮)ともう少し談笑でもしていようかと思えば、ドアベルがまた鳴って新たにお客さんが現れた。
会釈して席を離れ他のお客さんの対応をしていると、なんだか視線を感じる。
お客さんを席に通して荷物入れやらおしぼりやらを渡して対応している合間にその視線の感じる方を見ればミーさんがいる。
なんでそんなに見つめられているのやら検討が付かない私は、注文が決まったのかと思ってまたミーさんに近づいた


「あ、あのご注文お決まりですか?」
「うっかりしていました!エールとユーの好きなフードをプリーズ」
「私の好きなものでいいんですか?」
「イエス」


バッドなフードはノー!とその後に付け足されたので、悩んだ末にお店で人気のオムレツを伝票に書き込んで店長に手渡した。
会話が聞こえていたのか店長は、姫ちゃんに熱烈なお客さんだねぇ。とクスクス笑っている。
裕樹さんは何か困ったことがあったら俺にすぐに言うんだよ!と少し心配そうに私にエールを手渡してきて、大丈夫です。とだけ返しておいた。
害があるような人には見えないし大丈夫。多分…


「お待たせしました、こちらエールです。あとフードですがオムレツをお持ちしますね。暫くお待ち下さい」
「Oh!ディスティニー!」
「へ…?運命…?」
「ユーはオムレツがライクなんですねぇ!ミーもでーす」
「そ、それは良かったです!」
「ユー、というのも味気ない…ユーのネームを教えて下さい」
「え!っと…姫といいます」
「姫ですか。キュートなネームです!…そしてミーのハニーとそっくりです」


大袈裟に身振り手振りをしながら笑うミーさんは最初は意気揚々としていたのに最後は少し無理に笑っているようで、言葉も尻窄みだった。
ハニーということは彼女か奥さんがいるということなのだろう。
そのミーさんのハニーさんに私が似ているからついつい目で追われていたのなら、なんとなくそれで納得できた。


「ソーリー。ミーはイエガーといいます」
「イエガーさんですね!イエガーさんの彼女さんはそんなに私にそっくりなんですか?」
「一瞬マイアイを疑いました」
「そうなんですね…今度是非連れて来て下さい!お会いしてみたいです」


世の中には自分に似た顔の人が何人かいると聞くからそうとなれば是非とも会ってみたい。純粋にそう言ってみたつもりが、楽天的そうなイエガーさんは機会があれば、と残念そうに肩を落としながら笑った。
少しの間イエガーさんとの話を楽しんだ後に、続々と仕事終わりのお客さんが増えて来て、ファイト!と激励されながら接客を私はした。
イエガーさんはカウンターで店長ともにこやかに話しているし暫くは他のお客さんに集中することにした。

夕飯時に相変わらず混む店内で奮闘していると徐々に客足が引いて行く。
やっと一息つける頃合いになって、休憩を声かけられると何故か厨房の奥ではなくてイエガーさんの隣に賄いを出された。

「姫ちゃんが落ち着くまでイエガーさん待つって言うから…今日はそこで食べて?」
「あ、はい。わかりました」

サロンを外してカウンターに向かうとイエガーさんは馴れた手つきで隣の椅子を引いて私を座らせた。
身なりは綺麗なスーツを着ているし、馴れたように隣にエスコートされてしまうと接客をしているはずなのに私がお客さんになった気分になった。
ニコニコと笑うイエガーさんは気にせず休憩してくれて構わない、と言いながら私を見ている。…食べづらい


「ユーは美味しそうにイートするね」
「そ、うですか?イエガーさん、そんなに見られると私食べづらいです…」
「ソーリー、キュートなユーはハニーにそっくりだから目に焼き付けておこうかと」


ハハハ!と口調に似つかわしい感じにアメリカンな笑いを零すイエガーさんは楽しそうだ。
休憩時間も限られているし、仕方ないから賄いを食べようと諦めてスプーンを口元に運んでいるとまたドアベルが鳴って、やっほー。と聞き慣れた声が聞こえた。
カウンターから振り返ると学校で部活とデスク仕事を終わらせて来たレイヴンが、暑そうに顔を手で仰ぎながら店長や裕樹さんに手を振っている。


「ん?姫ちゃん今日いる日じゃないっけか?」
「レ、レイヴンさん!」
「おわっ!なんでカウンターで飯食ってるの?もう上がり?」
「あ…いや…その」


俺そんな働いてたっけ?と頭を掻きながら腕時計を見ているレイヴンに事情を話そうとイエガーさんにチラリと視線を移すとイエガーさんの表情からにこやかな笑顔が消えていた。
少し睨みつけるような視線はレイヴンに突き刺さっている。暢気に時計を見ながら、んーと唸っているレイヴンはやっとその視線に気が付いたのかイエガーさんと視線が搗ち合った。
店長は不思議そうにこちらを見ているけど、私たちが付き合っていることを知っている裕樹さんは修羅場!?と心配そうに柱の影からこっちを見ている。
イエガーさんにはハニーさんがいるのだから私とどうこうなるなんてことは考えていない筈だ。
さっきまで暢気な顔をしていた筈のレイヴンもなんだか強ばった顔をしているし、一体どういう状況なのか、私にも検討が付かない。
間に挟まれて沈黙のまま、両者を交互に見ているとイエガーさんがやっとのことで口を開いた。


「…やっと会えましたね」
「お前…やっぱりイエガーか…?」
「ユーも随分雰囲気が変わりました、とんだサプライズです」
「え…?お知り合いですか…?」
「マスター。ミーはそろそろゴーホームするよ」
「帰るのか?」
「出張でこのシティまで来たのでね。姫、グッバイ」
「なぁ、いつまでこっちにいるんだ?お前に返したい物がある」
「キャナリのアニバーサリーまで、でしょうか」
「そうか。じゃあ、その時に」


会計を淡々と済ませてイエガーさんはお店を後にした。
普段とは違って笑顔のないレイヴンに他の常連のお客さんもキョロキョロと辺りを見渡していた
重たいため息をついてレイヴンは私の隣のカウンターにドカリと座って項垂れる
最後に聞いたキャナリのアニバーサリー、というのが私の中で引っかかる。覚えのある名前だ。以前レイヴンから聞いたことがある名前だった筈


「キャナリ、さんって…」
「…前に話したことあるでしょ?」
「わ、私イエガーさんに失礼なことを…!」


10年前、レイヴンが胸に傷を負った時に亡くなった人
レイヴンの大切だった人
イエガーさんはそのレイヴンの大切だったキャナリさんの恋人


皿に置いてあったスプーンが床へ音を立てて落ちた。
私に似ているハニー…キャナリさんはもうこの世にはいないのだから連れてこられる筈がない



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