痛いの怖いの飛んでいけ
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何故追われるのか。
何故捕らえられるのか。
それが分からないまま、殺意も敵意も欲も未知数の人間に追われるのは、不条理で、理不尽で、そして――恐ろしいことである。
「……完全に迷ったな、これ」
話は数十分前に遡る。
一時的に共に行動していた数人のグループがあった。その中の一人が迷子になっめしまったのだ。一人ではぐれてはかなり危険なこの状況で、思わず探索を申し出たはいいものの、そもそも自分も土地勘がないということをすっかり山崎春乃は忘れていた。これぞまさに、ミイラ取りがミイラになるということだ。入り組んだ違法建築に、アリの巣のような路地裏。おまけに自分たちには数も目的も未知数の追手がいるときた。これでは帰り道どころか行き先すら不透明なままだ。おまけに天候も悪くなってきて、春乃は長い袖の服を着た抱いた。
どこか少し休めるところはないか、とうろうろ歩き回っているうちに、数年前に放置されたと思しき空き家を発見した。中を覗くと、むっと黴臭い空気と埃の臭いが彼女を出迎えた。ぱたぱたと顔の前で手を振っていると、奥の方で何かが動く気配がする。思わず手に持っていた鉄パイプを握り締め警戒したが、その気配の主は奇遇にも自分が知る人物だった。あの背格好には見覚えがある。
「――峯言?」
「えっ、ハルち?」
当たった。クラスメイトの浅葱峯言は、こちらの声に驚いたように振り返ると、なんや〜驚かせんといてや〜と脱力したように声を上げた。思わずこちらの気も抜けるような脱力っぷりに、春乃は上げかけていた鉄パイプを下ろした。
ハルち座らんの?と声をかけられ、そちらへ近づく。その見えない瞳の奥に、不安の色が見えた気がした。当然だろう、見知らぬ土地に突然放り出されたかと思えば、研究者と思しき謎の白衣の集団に、何もしていないのに追われるのだから。人員も土地勘も力も、こちらが圧倒的に不利。もし捕まれば――なんて、最悪な結末も考えずにはいられない。その思考から目を逸らすように、春乃は話を降る。
「にしても、こんなとこよく見つけたね」
「偶然やて。ほんまは合流予定やってんけど、出遅れてもうて。ハルちもそうやったん?」
「いや〜…あたしは人を探しに来たら迷子にね…」
「あらら。そんで代わりにわいが見つかってもうた訳やな」
「それはそれで。あんたが無事で良かったけどね」
二人とも、ほんの少し声が乾いている。それを互いは互いに知らぬふりをした。
峯言はまるでベンチのように横たわっている丸太の真ん中に腰掛けていたが、地面への脚の置き方が不自然な気がした。彼の正面に立った春乃は、ふと浮かんだ一つの疑念を投げかける。いつもとは逆の身長差だ。
「足、怪我した?」
「……はは、分かってまうかぁ。逃げる時、ちょい足捻ってもうたみたいや」
「見せてみ」
了承を得て彼の靴を脱がせて見ると、足首が赤く腫れていた。歩くことは可能だろうが、走るなんてしたら確実に症状が悪化することだろう。氷嚢なんて持っているはずもないから、ひとまず固定だけでもしなければ悪化する一方だ。運動部は怪我と隣り合わせの活動をするから、自分は手当に慣れているのが不幸中の幸いだと春乃は密かに思った。
空き家の周囲に転がっていた、比較的清潔そうな木の棒をへし折りいい感じの長さに調節する。添え木の問題はこれで片付いたが、ポケットに手を突っ込むと包帯が足りなかった。そういえば先程、班で突き指をした子がいてその時の手当に使ってしまったのだ。巻くだけならいいが固定するには足りない。何か代わりになるものは…と考え、数秒も経たぬ内に案は閃いた。
しゅるり、と胸元にきつく結んでいたリボン――柔道の白帯を解く。そして彼の腫れた足に添え木を当てて、包帯と帯を丁寧に巻いて固定した。
「一丁上がり」
「おわ、おおきに〜。ハルちそれ使ってええのん?」
「いいよ。この帯、あたしのお守りだからさ。なんか御利益あったらいいなって」
「お守りだったんか。そういやハルちがリボン付けてんの見たことあらへんわ」
「でしょ」
壊れた窓から外を見る。ぐらついていた天気は少し回復し、雲の切れ間から空がちらちらと顔を出していた。相変わらずその空の色は、自分の好きな赤い色とは違うけれど。
「動ける?肩貸すよ」
「おおきに。出来たらヤマセンなんかと合流できたらええなあ…」
「こういう時は大人に頼りたくなるもんだよね」
一箇所に留まっていると、発見される確率が上がる。それは声に出さずとも二人とも了承していたようで。しかしここに頼れる大人はいない。しっかりしなきゃと、春乃は自分にまたお呪いをかけた。
峯言は素直に春乃の肩を借り、ゆっくりと立ち上がる。歩けはするもののこれではスピードは出ないだろう。出来るだけ人通りがなさそうな路を選んで移動するしかないと思いながら、春乃は空き家を後にしようと外に出た。――が。
「いたぞ!」
「捕まえろ!!」
挟まれた。そう認識した瞬間、自分の顔が引き攣るのが分かった。自分の脳が警鐘を鳴らし初め、一気に心臓の鼓動が早くなる。峯言の身体を支える腕と、鉄パイプを握り締めた手に力を込めた。まるで脅すように鉄パイプを振りかざし、距離を詰めてくる白衣の影に抗う。
どうして自分たちは追われなければならないのか。
どうして自分たちは捕らえられなければならないのか。
その理由を知る術も、理不尽に抗う術も、日常に戻る術も、今の彼女たちには持ち得ない。その絶望感はひたひたと足元に押し寄せてくる漣のように、氷のような冷たさで以て脚の震えを呼び覚ます。その脚を叱咤して、血のように赤く染まってしまった瞳で春乃は追手を睨みつける。この感覚は、どこか昔に似ていた。ただ一つ違うのは、隣に人がいることだ。
精一杯張り上げた声はどこか掠れて、震えていた。それが彼女の張れる精一杯の意地だった。
「――それ以上近づいてみろ。あんたらの頭かち割るよ」
お守りの御利益は、どうやらまだないらしい。
*
レゴさん宅浅葱峯言くん
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