約束


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「そんじゃ、乾杯!」
「乾杯」

 ここは渋谷区のとある居酒屋。とっぷりと夜が暮れる前の境目の時間。ワイシャツにジャケットを引っ掛けただけの簡単な服装の男性二人が、お猪口の中身をぐいっと呷ったところだ。

「くーっ、やっぱ祝い事の酒って最高だな!」
「それには同意だ。……兎も角無事合格したことを喜ぼう」
「相変わらず顔がかったいなぁ正義は。もっと全身で喜べよ」
「……俺は元々この顔だ」

 彼らは学生時代、共に警察官を志し、長い勉学と訓練に励んだ末に見事合格を収めたのだ。この酒盛りはそんな彼らの祝いの席だった。酒が入って気が大きくなったのか、店長、刺身盛り一丁!という時也の声は妙に威勢がいいように正義には聞こえたのだった。
 目の前に置かれた刺身盛りをつまみながら友人と飲む酒は旨く、徳利はどんどんと空になっていく。二人は共に頬を上気させ、他愛もない話を饒舌に語っていた。もっとも、喋っているのは九割が口下手な正義ではなく時也の方であるから、周囲から見れば立て板に水のように見えることだろうが。
 あの教官は厳しかっただの、座学でとんでもない点を取っただの、彼らが話すことはまるで学生のよう。かなり出来上がった状態で少し呂律も怪しくなってきた頃、不意に時也は居住まいを正し、正義の方へと向き直った。

「正義、一つ約束しないか」
「何だ、藪から棒に」

 今までバカ話ばかりしてきていた友人が突然真面目な顔でそんなことを言い出したのだから、不思議にもなるだろう。正義は少し訝しがりながらも、時也に合わせて居住まいを正す。時也はそれを見て、ふと笑った。

「『絶対に死なない』。これが晴れて警官になった俺達の約束ってことでどうよ」

 警察官は、国民を守ることが使命である。その為に命を落とすことだってある。出来ることなら、そんな事態は避けたい。親しい人間であれば余計にだ。きっと時也はそんなことを考えているのだろうと、正義は少し霞がかった頭の中で考えていた。人に頼られる立場であり、危険へ真っ先に飛び込んでいかなければならない立場であるからこそ、その約束は信じられないほど重い意味を持つものだ。人生は何が起こるか分からない。明日生きている確証など何処にもない。だからこその、最後に支えとするための約束なのだろう。

「何を言い出すかと思えば…。お前らしいな」


『正義、――正義……!』

 自分の身体が凍る音がかすかに聞こえる。目を閉じてしまったから、余計に聴覚は鋭敏になっているらしかった。体には冷たい水が打ち寄せている筈なのに、寒いという感覚自体が薄れているからか、ほとんど何も感じられなかった。

 水の中に落ちた無線機から、ひどいノイズ混じりの友人の声が聞こえる。無線機は蒼い水の中で浮き沈みを繰り返し、まるで何かを伝えようとしているようだった。ほとんど動かない手では、それを拾い上げることは出来なくて。無線機の向こうの友人に向けた言葉も、水を伝わらない限りはきっと届かないだろう。それでも口から言葉は自然に滑り出ていた。人が好きで優しくて、どうしようもなく不器用な、荷物を下ろすことが下手な友人へ向けた言葉は、ひどく簡素なものだった。

「……時也、絶対に、お前は生きろ」

 俺も必ず生きてみせる。これ以上犠牲を出さないために。この国の人間を、西京都を、お前を守るために。お前との約束は、まだ有効だろう?

 一度苦しさに閉じた瞳が、開かれる。
 黒い瞳に宿る闘志は、決して凍りついてなどいなかった。


*


豆腐屋ふうかさん宅雨沢時也さん

お借りしました。
都合が悪い場合パラレルとして扱ってくださいませ。



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