愛しいあなたへ



月光が怪しく照らす夜の街。ピンク色のいかがわしいネオンが煌びやかに点灯している道の裏側でソイツは走っていた。最初は意気揚々と現れたくせに実力差がわかると壊れたおもちゃのように何度も同じ言葉を繰り返す。

「た、っ助けてくれ!お願いだ!」

発言する人間はいつも違うのに言う言葉はみんな同じ。これほど面白いことがあるだろうか。いつ転んでしまってもおかしくないような危なげな足取りで必死に、必死に地面を蹴ってはオレから遠ざかろうとする。
無駄だっていってんのに。コレ、鬼ごっこだぜ?逃げたら追いかけるに決まってんじゃん。

「金ならあるんだ!だから…ッ」

そうそう、そういう顔。歯はカタカタとうるさく、目は焦点が定まっていないかのように忙しなく動き、恐怖で引き攣らせているその顔。オレもオレで心拍が速まり、ニタァと裂ける口を軽く舌舐めずりする。
残念ながら金には困ってない。むしろ有り余ってるくらいだし。まあそのせいでよくマーモンに何かと理由こじつけられて奪われそうになったことはあったけど。

「んじゃ、バイバーイ」

キラリと浮き上がる銀の糸によって無数のナイフがソイツに向かっていく。四方に仕掛けたから死角なんてない。恐怖の色に染まった目が限界まで見開かれたら最後。
ブシュリ、と肉に刺さる嫌な音がしたと同時にソイツは止まった。大量の血が吹き出し崩れるように倒れ込む。
枯れたサボテンの出来上がり、と。



いつもより早く任務が完了したオレはとくにどこかに寄るわけでもなくまっすぐ帰ってきた。つっても時間は既に0時まわってんだけど。眠い、最高に眠い。今回は返り血も浴びなかったしこのまま寝ても問題ねーかなあ。
ふわぁ、と大きな欠伸をこぼしたとき目に入ったのは使用人。──なまえだ。こんな時間ということもあって彼女も眠そうに瞬きを繰り返している。

「なまえ〜」
「……!」

眠いのを理由にオレはなまえの肩に腕を回して体重をかけた。眠い、歩くの面倒、このまま部屋まで運んでくんねーかな。…無理か、体重的に。
なまえは一瞬ビクリと肩を震わせたが、オレだとわかると隠すつもりもないのかため息をひとつ。人の顔見てため息つくとか失礼じゃね。

つい先日、あの脚を見た日からなまえはオレに対して気まずそうにしている。過去になんかあったみたいだけど、あんなもん見せられたら気になるじゃん。だから何度も聞いてはいるけど一向に話す素振りを見せない。よっぽど知られたくないことなのか。

このことはまだ誰にも言っていない。つーか言ったところで、だから?って言われるのがオチだ。その強さで精鋭部隊に加わるならまだしもあの一撃だけじゃどれぐらいの力量なのか説明もできない。よって言いたかったとしても言えない状況である。
コイツの弱味も握ったし、邪険に扱われることは無いだろう。どっちにしろオレにとってはこのままのほうが都合が良い。

「ベルさん、これどうぞ」

そうだ、と思い出したような顔でポケットから何かを取り出すなまえ。差し出されたのは一通の真っ黒な封筒だった。差出人の名前も宛先も何も書かれていない。

「何これ」
「ポストに入っていました」

それで何で王子に渡すんだと思ったところでそういえば今日は幹部のやつらはほとんど任務で不在だったと思い出す。
とりあえず受け取ったけどこういうのはスクアーロかルッスーリアのほうが適任だ。会ったときに押し付けよう。でも今日は眠いから明日でいいや。

「部屋までオレを運んでくんね?」
「まだ片付けが残ってるのですが」
「王子と寝たくねーの?」
「寝言は寝て言ってください」

なーんだ、つまんねーの。まあコイツが承諾したらそれはそれで何事かと思わなくもねーけど。
会話が無くなりそろそろ部屋に戻ろうかとも思ったけど、何となく、ほんとに何となく肩に回していた腕をそのままに、スルリともう片方の腕をなまえのお腹に回してみた。

「………」
「………」

何か言えよ。驚くとか照れるとかあるだろ。コイツは本当によくわからない。毒舌吐くくせに何だかんだ話し相手になる。オレにナイフや蹴り入れてきたくせにこういうスキンシップのときは何もしない。

「抵抗しねーの?」
「する必要がないので」

首元に顔を埋めて耳元で言ってみても淡々と返ってきた答え。なるほど、今のオレに殺意を感じないからってことか。殺意やそういう"欲"よりも眠気のほうが勝ってる今は例えナイフを出したとしても無意味なんだろう。ヴァリアーにいる時点でこういうのを察知するのは長けていたほうがいい。まあなまえはあくまでも使用人なんだけど。

殺意を感じ取れるのはいいとして、そもそもいきなりこうされんのって普通は嫌がるんじゃねーの。なまえにとってはこれが普通なのか?わかんねー。
それに殺意に敏感であの脚力…今は使用人やってるけどコイツももしかしたらオレらと同じ…?

「寝なくていいんですか?」

なまえの一言にそういえばと思い出す。そうだ今すんごい眠いんだった。

「なぁ、運んで」
「仕事があります」
「本音は?」
「面倒くさい」

コイツほんと可愛くねーやつ。

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