36


「えっ…わ、私がやるんですか…?」

お昼過ぎ、いつものように昼食をとったあと部屋で昨日の記録を手帳に書いていたところ、部屋にベルフェゴールさんがやってきた。珍しい出来事に首を傾げていると、とあるお願い事をされたのだけど…。

「だって他にいねーし」
「こんなにすごい豪邸なんですから使用人はたくさんいるのでは…」
「でもミスるとボスに消されるから誰もやりたがらないんだよね」
「それ聞いて私がやると思いますか…!」

頼まれたのはXANXUSさんのもとへテキーラを持っていくこと。本当なら担当の使用人がいるらしいのだけど今日は風邪のためお仕事ができないらしい。
その場合は代わりの使用人が担当するはずだけど、XANXUSさん相手だと怖がってしまって誰もやってくれないそうだ。

「大丈夫じゃね?記録係なんだからさ、運が良かったら何もされないかもしんないよ」
「こ、怖いですよ私だって!ベルフェゴールさんのほうが付き合いも長いんでしょうし、いいんじゃないですか?」
「王子がこんな雑務するわけないじゃん」
「横暴だあ…!」

反論してみたはいいもののアッサリと返される。うう…やっぱり私がやるしかないのかな。XANXUSさん相手じゃ万年筆の力とか意味なさそうだけど…。
そんなビクビクしながらも結局私が運ぶことになってしまう。テキーラとグラスをワゴンに乗せて広い談話室へ向かい、大きな扉の前で深呼吸した。

「…失礼します」

ノックをしてから扉を開け、ガラガラとワゴンを押す。XANXUSさんはテーブルに片足を乗せ腕組みをしながら目を閉じていた。お休み中というわけでもなさそうだけど、目を閉じていても近寄りがたい雰囲気は変わらない。
XANXUSさんのいるテーブルまでやってきたところで彼はゆっくりと目を開けた。私はそれにビクリと震え上がり、ガタッとワゴンを揺らしてしまったが幸いとくに睨まれることはなかった。
テキーラの栓を開け、溢れないように細心の注意を払いながらグラスにトポトポと注いでいく。ちょうどいい量になったところで注ぐのをやめ、グラスをXANXUSさんの方に置いた。

「ど、…どうぞ」
「…あぁ」

XANXUSさんはグラスを手に取ると一口…といってもかなりの量だと思うけどそれを飲んだ。私が作ったわけじゃないから味は問題ないと思うけど、運んでいる最中に何か失礼な態度を取らなかったかと必死に頭の中で考える。大丈夫、だよね?一回音を立てちゃったけど、何も言われなかったし。
XANXUSさんは一口飲んだグラスをテーブルにコトリと置く。そしてまた腕を組んだところで私にその鋭い視線を向けた。
その瞬間私は異常なまでにビクついてしまい、ぶわりと冷や汗が出た。視線で殺されるとはまさにこのことなのではないか、生きている心地がしない。XANXUSさんにとっては私の息の根を止めることなんて造作もないだろう。視線だけで首を締められているような、そんな息苦しさを感じた。

「…下がれ」

意外にもその声には落ち着きがあり、怒っているような雰囲気はない。ハッとしてXANXUSさんの方を見るけど、彼はすでに目を閉じていて顔色を伺うことは叶わなかった。
「は、はい…!」と、裏返ったような返事をして私はまた空になったワゴンを押して部屋を出た。

「……っ、はぁ…」

やっと息ができた。手で胸を押さえながら呼吸を整える。あれは、心臓に悪い…!

「…ぬ?おまえはこんなところで何をしている」

くたびれたように壁にもたれかかっていると、こちらに歩いて来たのはレヴィさんとベルフェゴールさんだった。

「あ…今、XANXUSさんのもとにテキーラを運び終わったところです」
「ボスのところへ?」
「へぇ、ほんとにやったんだ」

なんとか呼吸ももどってきた。目があったときは本気で殺されるかと思ったのだ。無事に生きて帰ってこれた!

「何もされなかったのか?」
「え?はい…、グラスを渡したらお返事してくれましたし、あとは下がれって言われただけなので」

私の言葉にレヴィさんは唖然とするし、ベルフェゴールさんはししっと笑いだす。

「ボスが返事?めっずらしー、機嫌よかったんだ」
「有り得ぬ…オレがやったときはボトルごと飛んできたというのに…!」
「それはおまえがヘマしたからだろタコ」
「タコ!?」

息をするように悪態をつくベルフェゴールさんに私は苦笑いした。こうして聞いてるとレヴィさんはかなり苦労しているみたいだ。
ミスしたら私もボトルごと投げられるのかな…それは怖いから絶対に嫌です…。


ワゴンを片付けてから私は部屋に戻ろうと廊下を歩いていた。真昼間から本当に災難だった。一度もXANXUSさんと会話をしたこともないのにいきなり給仕のお仕事がまわってくるとは。でも本当に何も起こらなくてよかった。
レヴィさんはボトルごと投げられたらしいし、そういえばスクアーロさんも昨日ワインをかぶったと言っていたから、多分それもXANXUSさんがやったのかもしれない。
スクアーロさんの顔が頭に浮かんだところで昨日の対決がフラッシュバックし、それに伴ってビクリと肩が震える。だめ、悪い方向に考えちゃ…!信じるって決めたんだもの。一生懸命頭に浮かんだ光景を振り払いながら私は廊下を歩いていった。



「ん?あれって…」

しばらく廊下を歩いていると、テラスの方にマーモンくんの姿が見えた。そういえば今夜はマーモンくんとの対戦なんだよね。
綱吉くん側の霧の守護者って誰なんだろう。こっちにいると向こうの情報が何も入ってこないからわからない。せっかくということで私はマーモンくんの方へ足を運んだ。

「マーモンくん、何してるの?」
「ム…、亜衣か」

マーモンくんも名前で呼んでくれたことに少しだけ心臓が跳ねた。綱吉くんたちに呼ばれるのはもう慣れたけど、この人たちの場合は私の名前を覚えられてしまったという怖さがちょっとだけある。
今はこうやって普通に話しているけど、ここにいる人たちはみんな暗殺部隊ヴァリアーなんだよね。

「今日の相手を見つけてるんだよ」
「え、わかるの…?」
「また粘写?」

第三者の声が後ろから聞こえた。驚いて振り向くと松葉杖をついたベルフェゴールさんが立っている。

「見つかったの?相手の霧の守護者は」
「相変わらずだよ」
「用意できてねーんじゃねーの?あいつら」
「それはないよ。僕の粘写を阻止しようとする力を感じるからね」

マーモンくんが持っていた紙に書かれていたのは"cd"という文字だった。

「cd?何それ、暗号?」
「さあね、こんなことは初めてさ」

あの暗号みたいなのが綱吉くん側の霧の守護者を指してるってことかな。どういう意味なんだろう。
ぐるぐると頭の中で考えた結果、もしかしてと思い付いたことに私はゆっくりと口を開く。

「…音楽関係者ですかね?CDを出したりするので」
「…それはないんじゃね」
「ないね。マフィアの対決に関係ないやつ出してどうするんだい?」

論破されたあ…!

「まあ要するに相手は僕と同じ特殊な人間らしい」
「特殊ねえ…。オレとしてはバトルがなくても初公開のマーモンの力を見せてくれればさ」
「……?ベルフェゴールさんは見たことなかったんですか?」
「ないよ。全然使ってくんねーし」
「僕の力はボスの許可がいるからね。さっきその許可が下りたところさ」

許可制のマーモンくんの力…。相当危険な感じがするけど、綱吉くん側の霧の守護者は大丈夫なのかな。そもそも本当に誰なんだろう。

「ししっ、たんのしみー。夜が待ち遠しいや」
「ただで見せる気はないよ。今晩の勝負も見物料くれなきゃ入れないし」
「うわー何このチビ。ムカツク殺してー」
「やるかい?」

当たり前のようにナイフを取り出すベルフェゴールさんに私は一気に真っ青になる。こんな狭いところで戦うなんてとんでもない…!

「ま、待ってください!ここで戦ったら…!」
「…はぁ、わかってるよ。ボスが近くにいなきゃなー」
「僕の口座にSランクの報酬三倍分ね」
「ふざけんな鼻タレ小僧」

この二人、色々言い合ってるけど仲は良さそう…?室内に戻ろうとするベルフェゴールさんの背中を見送っていると、くるりと振り返り私の方に顔を向けた。

「亜衣、戻ろーぜ。ここにいてもしょーがねーし」
「あ、はい…そうですね」

マーモンくんをテラスに残して私たちは中に入る。さて、これからどうしよう。ほんのちょっとだけどXANXUSさんと接触できたし手帳に書けることが増えたからいいけど、まだ夜まで時間がある。
本当は綱吉くんたちに連絡したいところだけど、暇なのは私だけであってみんなは修業中だ。対戦が終わった山本くんたちも治療しなきゃだからそれどころではないだろう。
仕方ないのかもしれないけど、みんなが頑張っているのに私だけ何もしていないこの状況が辛い。記録係の仕事っていっても何も起きてない今は書きようがない。どうしようかと悩んでいると、ふいにベルフェゴールさんに「亜衣」と名前を呼ばれた。

「この後暇?」
「え?えっと…暇、ですね」
「じゃあさ、オレに付き合ってくんね?」

付き合う?何の用事だろう。そもそもベルフェゴールさんはそんなに動きまわっていて怪我のほうは大丈夫なのかな。

「どこか行くんですか?」
「中庭にいくだけ。今こんな状態だけどリハビリくらいはしておきたいんだよね」
「リハビリ…?」
「腕が鈍ると困るからナイフの練習。おまえ、とりあえず的になってよ」

一瞬、何を言われたのかわからなかった。え、今何ていったの?的になれだって?的って…標的?ナイフの標的になれってこと…?

「お、お断りを…」
「断ったらサボテン…あ、亜衣には意味ねーんだっけ。じゃあ一週間ボスの給仕」

嫌すぎる…!私は慌てて首を横に振った。

「リハビリを手伝うのはいいですけど何故私が的なんですか…!壁じゃダメですか?」
「動いてないものに投げたって練習になんねーじゃん」
「正論…!」

確かにそうかもしれないけどいくら当たらなくてもこっちにナイフが飛んでくる時のあの恐怖感は変わらないんですよ!

「さっそく始めよーぜ」

とてもデシャヴを感じます。ナイフを構えるベルフェゴールさんに恐怖が一気に身体から溢れ出すと、私は転びそうになる足を何とか動かし思いっきり地面を蹴った。


36.ボスさんとも接触成功…?

「はぁ…、いい加減うるさいよ。集中できないじゃないかベル」
「だって退屈しててさ」
「あとでボスに何か言われても僕は知らないよ」
「…それはさすがに王子でも困る」
「困るっていいながらナイフ投げないでください…!」

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