16
やっと目的である黒曜センターに辿り着いた。ここはもともと娯楽施設があった場所だけど、一昨年の台風の影響で土砂崩れが起きてしまい今は閉鎖している。
中を進んでいくと何かの動物の足跡のようなものを見つけた。それも大きな足跡…大型の動物かな。近くには食いちぎられた檻も見つけたし、ここに何かいるの?
次の瞬間、ガサガサッという草木の音とともに真っ黒な動物が襲って来た。それも一匹だけではない、何匹もいる。
「狙われてるわ!」
「早くこっちへ!」
みんなが慌てて避難する中、私は一歩出遅れたと思いながらもなんとか足を動かしてその場を離れる。とにかく走らなきゃ、アレに食べられたらまず生きてはいられない。
どこまで走ったのだろう。息を整えながら辺りを見回すとどうやら森の中にはいってしまったようだ。随分深い森…ここではぐれてしまったら、とそこまで考えたところであることに気付く。
「…みんな、どこ?」
ここまであの動物は追いかけてはこなかったものの、はぐれてしまったら意味が無い。記録係のお仕事もできないし、せっかくみんなが励ましてくれたのにさっそく足でまといになってしまった。戻ろうにも道がわからない。
とりあえずここで立ち止まっていてもしょうがないので、おそるおそる地面を確かめるように足を動かした。
歩いても歩いても続いている森。ザクザクと踏みしめる地面には道がなく、周りの様子はちっとも変わらない。綱吉くんたち、どうしてるだろう。こんなところに一人で来てしまって絶対に迷惑をかけている。
そんなとき、草むらからガサッという音がしてとっさにしゃがんで頭を抱えた。もしかしてさっきの黒い動物が…!?
「おや、君は…」
「え、?」
人の声がしたと思い、しゃがんだ体勢をそのままにゆっくり顔をあげると、そこには制服を着た男の子がいた。特徴的な髪型で、左右で瞳の色が違う。この制服は黒曜中の…!
私は一瞬で顔が青ざめた。この人が誰だかは知らないけど、よりにもよって黒曜中の人に会うなんて。
「…君はボンゴレ10代目の仲間ですね」
ボンゴレのことを知っているということは一般人ではない。黒曜中は骸という人に征服されたって聞いたから、もしかしたら人質の人の可能性も考えたけど、今の言葉でその考えは消えた。
どうしよう…いや、考えている場合じゃない。私は戦うことができないのだからこの場はとにかく逃げるしかない。
「ひ、人違いです…!」
はやく、はやくここから逃げなきゃ。それだけを考えて後ろへ逃げようと背を向けたところで、ガシッと腕を掴まれてしまった。
「僕から逃げられるとでも?」
獲物を捕らえるように目が細められる。ぬるりとまとわりつくような声に思わず身震いした。この口ぶりからしてこの人は恐らく戦うことができるんだ。そんな人にただの中学生の私が勝てるわけがない。
腕を掴まれてしまった以上、逃げられないんだ。例え逃げ出せても、きっとすぐに追いつかれる。
「いい子ですね」
まるで母親が自分の子供にいうような優しい口調だけど、その笑みはとてもじゃないが気分のいいものではなかった。大人しくしたのがわかると、彼は掴んでいた私の腕を離す。
それは無言の圧力をかけられたように感じた。腕を離されても私は逃げることは出来ない。それを実行することが何を意味しているのか考えただけでもぞくりと寒気がして思わず両腕を抱える。見えない鎖で繋がれているような感覚だ。
「怖いのなら手でも繋ぎますか?」
恐怖の元凶が何を言うのかと、私は素早く首を横に振る。そんな私に対し、彼の口元は緩やかな弧を描いていた。
彼の後を追うようにして私は後ろを歩く。そういえばまだ名前を聞いていなかったなと呑気に考える私は、捕まるという未知の感覚におかしくなってしまったのかと少し不安になった。
「あの、あなたのお名前は…?」
「そういえばまだ名乗っていませんでしたね。僕は六道骸といいます」
一度聞いたら二度と忘れることはないくらい特徴的な名前だ。たぶん世界中さがしても同じ名前の人はいないだろう。…あれ?
「…骸さん、ですか」
「ええ」
しゅ、主犯の人だ、ラスボスだ…!どうして戦えない私がそんな人に偶然にも出会ってしまうんだと一気に脱力する。
このあと無事に綱吉くんたちと再会できるのだろうか。誰にも助けを求めることができない今の状況に大きくため息をつくしかなかった。
「着きましたよ」といわれて顔をあげると、"黒曜ヘルシーランド"と書かれた建物が目に入る。すでに廃墟になっているため、あちこちが崩れかかっており、とてもじゃないけど人がいるとは思えない場所だ。
それでも目の前の彼は構わずにどんどん歩いていく。ここではぐれたら洒落にならないので私も慌ててついていった。
「…あの、」
どこに連れていかれるんだろうと聞こうとしたところで気付く。名前は教えてもらったけど何て呼べばいいかな。一応敵ではあるから呼び捨て…でも私にそんな勇気はない。苗字…うーん、でもリボーンくんも綱吉くんもそういえば名前で呼んでたっけ。
「…む、骸さん」
「僕の名前を呼ぶのに随分時間がかかりましたね」
バレている…。う、だってこういう場合ってなんて呼べばいいのかわからなかったから…!でも名前を呼んだことにとくに否定はしなかったのでこの呼び方でいいのかな、と自己完結することにした。
どこにいくんですかという質問をする前に骸さんはすぐに扉の前で立ち止まった。キィ…という錆びた音をたてながら扉が開き、中に入る。外と同じくこの中も酷いさびれようだけど部屋の奥には病室にあるようなベッドがあり、そこに誰かが座っていた。
「おや、目を覚ましていたのですね」
「…ボンゴレのボスと接触しました」
「そのようですね。彼ら、遊びにきてますよ。犬がやられました」
「!」
「慌てないでください。我々の援軍も到着しましたから」
ベッドに座っていたのは獄寺くんを襲ったあのニット帽の男の子。やっぱり仲間だったんだ。電気もついていない薄暗い廃墟の中、そこで交わされる会話はとても異様な雰囲気を醸し出している。
「相変わらず無愛想なやつね。久々に脱獄仲間に会ったっていうのに」
別の場所から女の子の声がしたと思い振り向くと、そこには女の子だけでなく黒曜中の制服を着た人たちが数人こちらに視線を向けていた。
この人たちは全員敵なんだ。骸さんが率いている、これから私たちが倒そうとしている敵。そんな中に私一人がポツンといるこの状況はとても息苦しい。
一刻も早くこんなところから逃げ出したいのにそれができないだなんて。心臓を握られているこの時間が怖くて怖くてたまらない。
「それより、その女はなんなの?」
女の子が私に視線を向けたことでこの部屋にいる全ての視線を集めることになってしまい、冷水を背中に浴びたような感覚が走った。
「ここに来る途中で迷子になっていたので連れて来てあげたんです」
ま、迷子…!間違ってはいないけど、中学生にもなって迷子呼ばわりされるのはちょっと心苦しい。
「ふーん、じゃあ人質ってことでいいのね」
人質、か。私は戦えないけど、ボンゴレの記録係として綱吉くんたちについてきた。彼らの行動を手帳におさめなきゃいけないのに、自分が捕まっていたら来た意味がない。これでは完全に足でまといだ。
もやもやと考えていると、女の子たちはこの部屋を出て行った。多分、綱吉くんたちの邪魔をしにいったんだ。
「ところで、君の名前をまだ聞いていませんでしたね」
二人だけになったところで突然話をふられ、骸さんに視線を戻す。本当なら名前なんて名乗りたくはないけど、ここで私が反抗するのはあまり頭のいい考えではないことは理解している。
「…桐野亜衣、です」
「おや、素直に答えてくれましたね」
白々しいその表情に少し苛立ちを覚える。誰のせいで私がここから逃げ出せず、抵抗もしないと思っているのか。その取ってつけたような笑顔には不気味さしか感じられなかった。
「それでは亜衣、場所を移動しますので僕についてきてください」
呼び捨て…!私があんなに骸さんの名前をどう呼ぼうか迷ったのにこの人はさも当たり前のように名前を呼んでくる。
そっちがそうやって呼ぶなら私も呼び捨ての方がよかったのかな。でも初対面なのにいきなりそれもどうなんだろう。突然会ったこともない人から呼び捨てで呼ばれたらやっぱり嫌かな、とここまで考えたところで、どうして私は敵である骸さんに対してこんなに気を使ってどう呼ぶかを考えているんだろうと自分自身に驚いた。
名前の呼び方のことばかり頭の中でぐるぐるさせていると、「面白い顔をしていないで早く行きますよ」と注意されてしまった。…お、面白い顔って、私どんな顔していたんですか。
大人しく骸さんの後ろをついていく。ここはどこもかしこも廃墟なために空気もあまりいいとはいえない。
これから私はどうなるのだろうか。あの女の子の言う通り人質だとしたら、とりあえず今すぐにどうこうされるわけでは無さそうだ。
でも人質という立場は何かがひとつ狂い始めた瞬間が一番危険。私のこの命を保証するものは何も無い。
そこまで考えて足元から冷えていくようなぞわりとした感覚が背中を駆け上る。命の危険が伴う恐怖なんて初めてだ。しかもそれが私の前を歩いている人によって生まれているものだなんて。
前を向くのが怖くて私は足元に視線を落としながら重りが付けられているような足を引きずって歩く。光を見ることが出来ないこの状況で、私は何を望んで進めばいいのだろうか。
足元を見て歩いていることで、地面には壁が崩れたことによってできた破片などがあちこちに落ちているのが見える。今にも崩れそうだけど骸さんたちはずっとここにいたのかな。
そんなことを考えていた私は骸さんが足を止めたことに全く気付かず、その背中に顔から突っ込むことになった。
16.掌で踊らされる
「…何をしているんですか君は」
「ご、ごめんなさい…あの、顔が痛いです」
「痛いでしょうね」
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