03
鋭い目つきに自分の姿が映る。
その瞬間、ゾクリと背筋に冷たいものが走った。
「っ……」
本能的に抱いてしまった恐怖。
その事実に、剛羅自身が戸惑い目を見開いた。
「(この俺様が…たかが餓鬼にビビった…!?)」
有り得ない。そんなことがあるわけがない。
たしかに、剛羅の拳を受け止め力を相殺し、地割れを起こしたのは。剛羅に予備動作を見せることなく、トンファーでその拳を止めてみせたのは。
目の前にいる、この餓鬼。
しかし、剛羅の本能が警鐘を鳴らす。
この男に自分が敵うはずが無い、と。
想像してしまったのだ。
強者に喰われ、敗北する己の姿を。
押しても前にいかない自慢の拳。
この拳一つで多くの武士を、忍を亡き者にしてきた剛羅。策略も何もかも無関係で好きなだけ暴れて、敵を殲滅する。口うるさいどっかの頭脳派が毎回小言を言うが、そんなものは無視してきた。頭も一人たりとも残さなければ文句は言わなかった。それを良いように、剛羅は拳を振るい敵を薙ぎ払い、その命を奪ってきた。
そう、この闘いも。
「さっきから動かないけど、これで終わりでいいみたいだね」
怯える様子も、逃げる素振りも見せない恭弥。
むしろ、その口元には笑みが浮かんでいた。
「じゃあ、次は」
トン、と拳からそれは離れた。
恭弥と剛羅の間に生まれた距離。
攻撃を仕掛ける好機が生まれたはずだった。しかし、剛羅の頭の中には反撃や攻撃といった指示は生まれなかった。
あったのは、防御、それだけだった。
たとえ恐怖に身体が動かなくなっていたとしても、今までの戦場で身についた自己防衛本能が動く。少しでもダメージを受けないようにと、頭の出来が悪い剛羅ですら構えたのだ。
しかし、そんな咄嗟の防衛など恭弥の前で無意味。
腕を交差したその先に見えたのは、獰猛な獣の如き鋭い目。
そして、視界の端で鈍色に輝くそれ。
「僕の番だ」
瞬き一つの出来事だった。
ドガァアン!!
大きな音を立てて、地面が割れ、抉れる。土煙が濛々と立ち昇り、煙幕でも張っているかのように周りの景色を遮断した。
伊作と仙蔵はただその様子を声が出ないまま見る事しかできなかった。
徐々に薄くなり、土煙が晴れていく。
始終流れる沈黙。
二人が最初に見たのは、恭弥の姿だった。無事であることに安堵の息を洩らしかけたが、その足下にあるそれに顔が強張った。
地面であったそれが鋭く尖った岩の如く大きく地形が変形していた。
その中心に沈められている巨体。
それがもちろん剛羅であることは既に分かっていること。」
ふらり、と体勢を直した恭弥。
沈黙が走る中、ピクリとも動かないそれを見て。
「弱いな」
そう言い捨てるだけだった。
***
ピクリ、と男は指先を反応させた。
手にしていたそれを降ろして、周りなど関係ないまま静かに格子窓の外を眺めた。
黒色にぽっかりと穴が空いたように浮かぶまんまるの金色の望月。
それを目に映し、目は三日月のように細めた。
「ああ……ようやくですか」
ゆるりと笑みを浮かべて、男は―――。
***
「それじゃあ、僕は先に行くね」
「えぇ!?」
その人ことに驚き声を上げる伊作に、こいつ本気かと目は口程に物を言うように視線を送る仙蔵。二人の視線を気にすることなく、巨体の剛羅をそのままに、恭弥は背を向ける。本気で先に行く気だと分かった伊作は「ちょ、ちょっと!ちょっと待ってよ恭弥!」と必死に制止の声を上げて呼び止める。
「この敵はどうするのさ!?そのままにしてたら意識戻って、襲ってくることだって……」
「そんな一撃を与えるはずないだろ。しばらく起きないよ」
「………」
そうは言っても心配な様子の伊作はそろりと剛羅を盗み見た。白目を剥いて口を開けて気絶している剛羅。動いていないというのにその迫力にビクリ、と身体を揺するのは、誰に対してであろうか。仙蔵は恭弥の事だから加減などしていないか、と無理矢理納得させるように自分に言い聞かせた。
「処理は君に任せるよ。じゃあね」
「あっ、恭弥…!……もう!」
伊作の声を無視して、スタスタと武器を片手に恭弥は大天守閣へと歩いて行った。何ものにも捕らわれない雲の彼に伊作はもう何も言えなかった。
「相変わらず自由人なんだから……」
「それが、恭弥だろう……。…くそ、借りを作ってしまったな……」
緊迫状態が霧散し、緊張の糸が切れた様子の仙蔵は仰向けのまま安堵の息を漏らした。伊作も仙蔵がいつもに近い様子になったことに安心して、困ったねと笑みを浮かべる。
仙蔵としては悔しいことだったかもしれない。苦戦を強いられた相手を一発で伸した級友。瞬く間に起きたその出来事は、しばらく仙蔵は忘れることはないだろう。彼の強さと同等の実力が自分も到達することは一生かけても難しいことを再認識させられたはずだ。
けども、恭弥の強さに恐れて距離を置くことはないようだった。
「怪我が治ったら、恭弥と組み手でも頼むとするか……」
「そうだね。恭弥には手加減をお願いして、だけど……」
「いや……、…アイツが加減すると思うか?」
「しないね」
「だろうな」
一瞬真顔になってしまった二人だった。
「…伊作、お前も恭弥の後を追うんだろう?」
「え、うん。……他の皆も無事じゃないと、思うから……」
六年生の中でも実力がある仙蔵がこの有り様。城内へ向かった他の救出部隊の面々も仙蔵同様に忍七人衆と戦い苦戦しているのが容易に想像できた。仙蔵も否定にするつもりもないようで、コクリとひとつ頷いて伊作を見た。
「気をつけろ。敵は一筋縄ではいかん」
「うん。僕も恭弥も気をつけるよ」
「お前は自分だけの心配しろ。不運なんだから」
「……否定はしないけど、カッコよく決めさせてほしかったな…」
恭弥のことは置いておいて、不運な伊作は自分の事だけを心配していろというのは、仙蔵らしい言葉だった。
「恭弥はちょっとやそっとで死ぬことなどないだろう。……あればそれこそ忍術学園が滅亡、いや、人類滅亡かもしれんぞ」
「そこまで!?いや、想像しちゃってるから否定はしないけど!」
彼らの中で“雲雀恭弥”という人間がどんなものか色々事細かに聞きたい台詞ではあったが、今はそんなギャクをしている場合ではなかった。
話をしながらも応急手当は完了した。両腕に巻かれた包帯が痛々しいけれど、とりあえずは一安心だった。
「それじゃあ、仙蔵。大人しくしておいてくれ。皆と一緒に戻って来るから!」
「ああ」
人目につかず、背もたれのある場所へ仙蔵を移動させてから伊作は、恭弥の後を追った。
その後ろ姿を暗闇の中で消えるまで見送った仙蔵は、そのまま天守閣を見上げた。まるで迫りくるかのような迫力。ここまでたいそうな城を築くところはあまりないだろう。その天守閣から聞こえてくる斬撃や銃撃、轟音。風に乗って漂う血生臭い臭いに、顔を歪める。
「(……気をつけろよ、恭弥…)」
伊作がいる時には、冗談のように言っていた仙蔵だったが、恭弥のことも心配をしていた。先ほどまでの会話は思っていることであり本音。
しかし、あの剛羅と同様、もしくはそれ以上の実力を持つ忍がまだ六人もいるとなると、流石の恭弥でも体力がもたないのではないのか、と考えてしまうのだった。
強いと分かっていても、心配してしまうのが級友だ。
手を握れない分、奥歯を噛み締めて仙蔵は睨むようにニセクロバリ城を見つめるのだった。
そして、仙蔵はまだ知らなかった。
あの男が如何にして最強という名を手にしていたのかを。
この世界ではない、彼が本来存在する世界でその名を表裏の社会問わずに轟かせていたことを、彼は一生知る由もなかった。
「―――さぁ。狩りの時間だ」
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