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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -
02



その日、四郎兵衛は授業が終わってからずっと半鐘のある櫓に昇って、ぼんやりと過ごしていた。のんびりと時間が過ぎる様子を眺めるのが好きでもあった四郎兵衛は、いつにも増してほけぼけとした顔になっていた。
一度目下で騒がしくなっていたが、特に気にする様子もないまま四郎兵衛は山々の景色を眺めていた。

「これから緊急避難訓練を行う!生徒達は教師の指示に従って行動しろ!」
「……緊急避難訓練…?」

どこからか聞こえた声に、四郎兵衛はチラリと下に目を向けた。正門近くに視線を送れば、数人の教師が集まっていた。何を話しているのかは分からなかった。まだ読唇術を学んでもいない四郎兵衛は、唇の動きだけで会話を理解することはできなかったのだ。しばらく話し終えた後、一人の教師がその場を後にした。
その時、ふと思い出す。今から何やら緊急避難訓練というものがあるということを。ならば、自分も早くみんなのところへ向かわないといけない。ようやく自分がすべき事を思い出した四郎兵衛は、暗くなっていく中一段一段踏みしめて櫓から降りる。降り終えて、四郎兵衛はキョロキョロと辺りを見渡した。

「えっと、避難訓練が行われてるのは……」

その時だ。
全身を覆い隠すような重苦しい空気を感じたのは。
一瞬、呼吸を忘れかけるほどのもの。ぶわり、と全身の毛穴という穴が広がった感覚に、四郎兵衛は息を呑んだ。背筋がぞっとするほど寒い。
なにが起きているのか、分からない。けれど、今、自分が此処に居るべきではないことなど瞭然だった。

「とりあえず、皆のところに……」

どこに行けばいいのか分からなくなってしまった四郎兵衛。息苦しいほどの重圧に、手先が震えていた。それでも、今はただここから離れるんだというのが、己の本能が告げていた。
苦しい。怖い。
そこで理解する。
この重たく突き刺すような空気の正体を。

ドン ドン

「!」

ハッと横に顔を向けた四郎兵衛。自分が今立っている場所が何処なのか分からなくなっていたが、それが目に入って少しだけだが落ち着いたように思えた。しかし、それはただの錯覚。この箱庭の入り口であり出口であるそれを叩かれた違和感。
強く、叩きつけるような音。
行ってはいけない。
ぐっと拳を握り、警戒心を強めた四郎兵衛。近付くのも危険なことだと分かっている。しかし、この場から逃げる事もできなかった。ただただ、何度も叩かれる門に四郎兵衛は恐怖に体を震わせた。
緊急避難訓練。それは、もし学園が何者かに襲撃された際に無力である下級生達が生きるために逃げようとする演習。
なのに、この状況はどうだろうか。
もうすでに避難訓練を始めて、避難場所へ向かっているであろう他の忍たま達は気付いていない。教師達が知っていることを。仮初のものであることを。今、自分達がいるこの箱庭が、どんな状況であることかを。
ビシビシと肌を突き刺すような気配に、四郎兵衛はじわり、と目尻に涙が溜まった。

「……たすけ、て……」

誰にでもなく、本能が求めた。

「時友四郎兵衛」

低く、凛とした声が耳に届いたのはほぼ同時だ。今まで重苦しく感じていた重圧が、一瞬で消えた。フッと背中が軽くなり、思わず四郎兵衛は尻もちをついた。ドサッと体が地面についた音がまるで他人事のようだった。
西日が沈んでいき、だんだんと暗くなる空。当たりが影に呑み込まれつつある中、彼の姿ははっきりと見えた。
息苦しかったはずが、徐々に呼吸できるようになった。
ぼんやりとした輪郭の彼を四郎兵衛はうわごとのように呼んだ。呼ばれた彼は特に何も反応を示さないまま、四郎兵衛の傍に歩み寄って、手を伸ばした。不思議と恐怖は感じなかった。

「これは夢だ。君が起きた時には、何もかも終わってるよ」

瞼を降ろされる寸前に、四郎兵衛が見たもの。
それは、淡く綺麗な紫色の炎だった。


***


教師からの避難訓練だという言葉を鵜呑みにしていた忍たま達が、徐々に教師達の纏う空気によって疑心し始めた頃。忍術学園から離れ、三郎達を救出に向かう部隊である五、六年生編成チームは、ニセクロバリ城の領内へと足を踏み込んでいた。

「(此処まで来たら、あとは城まで向かうだけ…!)」

ニセクロバリ城は表面上、戦を好まない城。いかなる場合でもまずは話し合いであり、話し合いで終わらせようとする無血主義。しかし、その裏では忍七人衆という強大な戦力を持っていた事は、どの城も知らないことであった。救出部隊の隊長である勘右衛門は、月を背後にした城を見据えてそんな事を思っていた。
捕らわれたままの三郎や四年生は大丈夫だろうか。酷い事はされていないだろうか。傷つけられていないだろうか。殺されたりなどしていないだろうか。
嫌な予感が頭をよぎってしまい、咄嗟に頭を振るう勘右衛門。たとえ敵だとしても、そう簡単に殺すはずがないだろう。そう考えてしまうのは、己がまだ忍者のたまごだからだろうか。甘ちゃんだと言われても仕方ないのかもしれなかった。

≪ここからは、矢羽音で≫
≪おう≫
≪分かった≫

すでに敵陣に入っているため、極力会話をしないように指示をしたのは仙蔵だった。
その時だった。

「!」

何かが風を切った音がした。
いち早く気付いたのは、野生の勘が働いた小平太だった。

「伏せろ!」
「!?」

つい先ほど矢羽音で話すようにと言ったばかりだというのに。もし今が穏やかな様子だったらそんな事を簡単に口にしただろう。だが、ここは敵の領地。つまり、相手からすれば、自分達が敵であるということ。早口で張り上げた声に、五年生も六年生も培ってきた反射神経で地面にしゃがみこんだ。
瞬間、頭上を何かが通った。

「罠か!」
「ああ!今のはお前達が好みそうな仕掛だったぞ、仙蔵!」
「お前は一言多いぞ、小平太!」

それが何かの合図だったのか、立て続けに仙蔵達へと降り注ぐ矢の雨。

「散!」

合図を出したのは文次郎だった。
雨の如く降り注いでくる矢に当たらぬよう、木陰に隠れた文次郎たち。凌ぐためにしばらくここで待つべきか、などと思っていると何かに気付いた留三郎が声を上げた。

「長次、前だ!!」
「!」

留三郎に言われて木陰に隠れていた長次は前を見た。自分の視界に映ったのは、絡繰り人形と思われる物体が自分に向けて斧を振り下ろそうとしていた瞬間だった。
しまった。

「ッ中在家先輩!」

傍で同じように待機していた雷蔵が長次を押して、斧から逃れることができた。幸いなことに雷蔵も怪我はないようで、二人して思わず安堵の息を吐いてしまった。しかし、これだけで終わることは無かった。
迎撃するかのように、次から次へと絶え間なく仕掛けが忍たま達を襲った。

「兵助、横だ!」
「ッ」
「八左ヱ門、お前も右から!」
「どわッ!」
「!尾浜、下だ!」
「!?」

上下左右前後から、猛追する仕掛けられた罠の数々。どこに罠を稼働するものがあるのか分からない今、勘右衛門達は必死に攻撃を回避するしかなかった。どう動いているかは分からないが、武器を持った絡繰り人形と戦い破壊し、巧妙な罠を掻い潜り、前へと突き進む。何度も何度も自分達の前に立ちはだかる仕掛けに、体力が消耗し始めていることなど分かっていた。
しかし、進むしか方法は無かった。大事な仲間を、後輩を助けるために。

「(三郎、待ってろ…!絶対に助けに行く…!)」

天守閣を見つめ、勘右衛門は強く拳を握った。
そんな彼らを、天守閣の頂から見ている者に気付かずに。

「……雑魚ばかり、ですか」

冷めきった眼差しを向けたその者が一瞬で消えたことにも、忍たま達が気付くはずなどなかった。

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