影と日の恋綴り | ナノ
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 桜の雨の中

走りまわるほど、あたしを探していたのだろう千鶴。荒い息遣いをなんとか整えようと必死に深呼吸をする彼女に、あたしは言い難い気持ちになった。そこまで必死になるのはどうして、あたしに言いたい事でもあるのか、と聞きたかった。
でも、どんな返事がくるのかが怖くて、訊けなかった。
無言を貫き通すあたしに、千鶴はようやく呼吸を整え終えたようで、口を開いた。

「緋真姉様と初めてお会いした時、私の中で何かが駆け巡りました。今まで感じたことのないものに、私は畏れました」
「………」
「私は、怖かったです…!昨日、お姉様が躊躇うことなく隊士たちを斬りつけたことに。冷ややかな眼差しが、私に向けられたことに…!」

ああ、やっぱり怖がらせてしまった。
千鶴の声が震えているのが分かって、これ以上長居してはいけないと思ってしまった。そんなに酷く怖がらせてしまったのなら、今までのように一緒にいることは難しい。
なら、最後に一言謝って、千鶴や皆と関わらないようにしておかなくちゃ。
左之助さんはああ言ったけど、でも、向けられる目が冷たいものだったら、あたしは此処に居たくない。

「………千鶴、今までごめ、」
「助けてくださって、ありがとうございます!!」

言葉を遮り、届いた言葉にあたしは耳を疑った。
ありがとう……?
今までの会話の中で、お礼を言われるようなことはあっただろうか。
目を見開くあたしを余所に、千鶴は迷って迷ってそして出た考えを、自分の思いをあたしに教えてくれた。

「緋真姉様は、私を助けてくださった。ずっと今まで隠し通したかったはずの正体を明かしてまで……!私は、緋真姉様の足を引っ張ってしまいました……」
「っ、待ちなさい千鶴。あたしはそんな事思ってなんか……」
「私がそう自分自身で感じたんです!」

否定の言葉を口にしようとしても、その上から被せてくる千鶴。必死に伝えようとしてくる妹のような娘に、あたしは何も言えなくなった。今は、彼女の気持ちを聞かなくちゃいけない。そう思ってしまった。
千鶴は自分の中で考えがまとまっていないようで、拙い言葉であたしに伝えてくれた。

「緋真姉様の覚悟なさった気持ちを、私は信じることができなかった…!緋真姉様には、帰る場所があってそのために必死に生きているのに、父を探している私をも見捨てず守ってくれています。……緋真姉様、本当に、ごめんなさい!」

怖がってしまったことに謝らなくてもいい。実際にあの状況は怖い思いをしてしまうものなのだから。たとえ新選組の人たちと長年過ごしたとしても、命を危険にさらすことは千鶴にはないこと。
それなのに、あたしは千鶴を危ない目に遭わせてしまった。
自分の秘密を隠し通すことと、千鶴の命を守ることを天秤に掛けるなら、迷うことなくあたしは後者を選ぶ。そういう性分なんだ。
だから、千鶴がそこまで気に病むことでもない。
そう言いたいけれど、千鶴はまだ何か伝えたいことがあるのか、口をはくはくと開閉する。落ち着いて、と目で言うと、あたしの目を見た千鶴は一瞬瞠目し、そして心を落ち着かせた。
聞くわ。聞くから、だから、落ち着いて。

「……お姉様の御姿が人じゃなくても、妖怪という異形の存在であろうと、私を救けてくださり、見守ってくださったことは変わらない事実です。お願い、です。緋真姉様……」
「…なぁに?」

最初はポロポロと真珠のように零れていたものが、ボトボトと大粒となった。

「私と…妹と…距離を置かないでください……!」

そう声を張り上げたのと、あたしが千鶴を腕の中へ閉じ込めたのは、いったいどちらが早かっただろうか。

「おね、さ……」
「馬鹿ね」

いや、馬鹿なのはどちらなのか。
自嘲的な笑みを浮かべながら、あたしは言葉を紡いだ。

「可愛い妹から離れることも距離を置くわけないじゃない。…妹を護るのが姉の役目。……たとえ血が繋がってなくても、可愛い可愛い妹を助けないはずがないでしょ。あたしからしたら、当たり前のことをしただけ」

でも、怖い思いをさせちゃってごめんね。
怖い目に遭うのは一度きりでいいことだ。それを千鶴は何度も遭っている。そしてそれを自分がさせてしまったのだ。謝っても謝りきれない。

「千鶴と離れることなんてないわ。いつか離れたとしても、その日まで護る。離れても、妹を見守っている」
「お姉様……!」
「ほら、そろそろ泣き止んで。妹の涙って、姉にとっては弱いんだから」

目尻に溜まった涙を指で拭う。ああ、やっぱり赤くなってる。
あとで冷やしましょう。
そう言って、あたしは千鶴の手を握る。
強張ることは、もう無かった。



千鶴はまだ仕事が残っていたようで、それを片付けるためあたしと別れた。笑顔を浮かべる彼女にあたしの心は救われた。悲しませるつもりはなかった。護るために姿を変えたことに後悔はしていない。でも彼女を怖がらせてしまったことは後悔した。

「…あれ」

俯きがちだった顔を上げた。
視界に入ったのは、桜の雨と、その中で佇む彼。
あっちもあたしの事に気付いた、顔色一つ変えることなく淡々とした様子で名を呼んだ。

「……奴良か」
「斎藤さん…」

さっきも顔を合わせたけど、一人で行動しているのは好都合でもあった。
彼に歩み寄る。あたしから桜へと目を向けた斎藤さんに、困ったように小さな笑みを一つ溢す。

「……見事な桜ですよね。風情ある景観って、つい宴を開きたくなりますよね」
「……、…そうだな」

しかし、暫くできることはない。
それが分かっている斎藤さんの返事は沈んでいた。本当だったら話すことは駄目なはずなのに、別れの前に話が出来ていることは斎藤さんも何か言いたいのだろう。平助と話したように、斎藤さんとも話しておきたかった。

「また、皆さんと花見でもしましょうね」
「…、…奴良、あんたな…」
「たとえ別れたとしても、繋がりが断たれるわけじゃない。……繋がりがある限り、また会えます。……そうでしょう?」

新選組と御陵衛士。立場が違う組織だ。
互いに密会することも話をすることも金輪際許されることはない。
でも、それでも。
互いがこの幕末の世を生き抜いたら、再び盃を酌み交わす事だってできるのだ。

「…その時は、斎藤さんに美味しいお酒を用意しておきますね」

笑って言えば、観念したかのように斎藤さんも笑みを浮かべた。

「…お気をつけてくださいね。……行ってらっしゃいませ」
「ああ。……皆のことを、頼んだ」
「任されました。……平助のことを、支えてください」

あの子は今、分かれ道の前で悩んでいるから。
わざわざ冗談を言わなくてもいい。出掛けなくてもいい。
ただ一言、大丈夫か、と声を掛けて欲しい。
そうしたら、きっと平助は斎藤さんに話してくれるから。

「……留守の間、副長を支えてくれるならな」
「…最初の言葉は、聞かなかったことにしておきます。…副長のことは任してください」
「……では、またな。緋真」
「はい」

密偵だというのに、そう簡単に言葉にしたら駄目じゃない。
背を向け歩く斎藤さんにあたしは苦笑を浮かべた。
慶応三年三月二十日。
伊東を支持する十三人の隊士と共に、平助と斎藤さんは新選組の屯所を後にした。

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