影と日の恋綴り | ナノ
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 引き抜き

慶応三年一月。

寒さが肌を突き刺す中、一人勝手場で炊事をせっせとこなしていた。千鶴には洗濯物を頼んでいる。季節は移り変わり、その間世間は目まぐるしく変わりつつあった。

「……」

勝手場の窓から空を眺める。清々しい青空とは裏腹に、吹き抜ける風は生温く、顔を歪めてしまうものだった。不穏な空気は動くこともなく、停滞しているように感じた。
この三日間、新八さんと斎藤さんが伊東さんに誘われて島原へ向かった。島原に泊まるなんて、局中法度を堂々と破って士道不覚悟で切腹なんて言われる可能性があったけど、伊東さんに言われてとなると拒むことなど出来ない。そしてそのまま三日ほど島原に泊まり込んで、何も無かったように彼らは屯所へ帰ってきたのだ。
何かあったのは明白。しかし、その時は二人とも話してはくれなかった。
昼食の下準備を終えたあたしは、千鶴の方も手伝おうかと思い移動した。
その道中だった。

「奴良くん」

耳障りな声で名前を呼ばれた。返事はせず、振り返って見れば、思った通りの人物がそこに立っていた。開けっ放しの障子からみると、まるで待ち構えていたかのように見える。関わりたくない、話したくないという気持ちを思い切り顔に出しているというのに、伊東さんは何処吹く風の如く、素知らぬふりをしてあたしを手招きしてきた。
拒むことは出来た。しかし、それをすれば数時間後には根も葉もない噂を流されるのは目に見えて分かった。

「何の御用でしょうか」
「そんなに固くならないでちょうだい。私は貴方とお話がしたいだけよ」
「手短にお願いします。勤めの最中ですので」

小間使いとしてしなければならないことは多い。それをこの男でも分かっていること。それでもあたしを呼んだと言うことは、よほど何か伝えたいことがあるようだ。

「そんな時間は取りませんわ。少々よろしくて?」
「………何でしょうか」
「貴方、今の新選組のこと、どう思っていらっしゃるのかしら?」

ああ、来た。
そろそろだとは思っていた。

「(隊士の引き抜き、か)」

時期から考えると、伊東の脱隊もそろそろなのかもしれない。

「どう、とは」
「私はね、近々新選組を抜けようと思っておりますのよ。もちろん、きちんと話し合って互いに承諾をした上での離隊ですの」
「………」

御陵衛士。
長州の動きをより詳しく知るため、また、孝明天皇の墓を守るという名目で隊を抜けるというもの。
それは、今まで密かに、裏で行っていた計画。

「(まさか、あたしにまで声をかけるとは思わなかったわ)」

そう。小間使いという、隊士でもなんでもないあたしに声をかけるのは、想定外だった。

「つきましては、奴良くん。君にも是非一緒に着いて来てほしいの」
「お断りします」
「………………なんですって?」

間髪入れずに、あたしはきっぱりと断った。
理解するのに数秒かかった伊東さんはあたしを凝視する。そんな視線など痛くも痒くもない。馬鹿げた話をあたしに振ってくるものだ。

「以前、言いましたよね。貴方について行こうと思うか、と」

山南さんを侮辱したあの日。あたしはそうきっぱりと言い切った。
怒りと殺意がちぐはぐになったまま、私利私欲のために他人を傷つけるこの人にあたしは部下になるつもりはない、と。
それをもう忘れたというのか。

「貴方の手足になるつもりは毛頭もない。自分の欲望のままに隊を乱す貴方に、尊敬の念も感情も湧かない。離隊するのであれば勝手にどうぞ。新選組を陥れたいのであれば、勝手にしてください。……新選組は、そう簡単にアンタのような三下にやられるような存在じゃない」

失礼します。そう言ってわなわなと顔を赤く染めて震えあがる伊東さんに背を向けた。あたしを手中に収めようとする時点で間違っている。あんなちっぽけな人間に仕えたいと思えるはずがない。それにあたしは、もう違う存在に魅入られているんだ。
あたしの大好きで自慢の可愛い弟に。
人を畏れさせるのが妖怪というもの。恐怖心で満足するような、自分だけが満足するような輩に、誰が畏を抱くのかというはなしだ。
だが、事態は思った以上に深刻となっていた。

「……面倒ね」

伊東甲子太郎が離隊するのも時間の問題だ。
新選組の歴史を知っている者として、避けては通れない案件だ。止めようとか、変えようと思う気持ちはない。これが彼らの生き様だと分かっているからだ。
でも。
それは歴史上でのことであり、この世界は違う。

「(……鬼という存在が、羅刹という存在が、彼らの人生を大きく変えてしまう)」

自分に出来る事はなんだろうか。
螺旋の封印や再び洛中に入らんとする妖達を討伐しながら、あたしは元の世界に帰る術を見つけられないままこの世界を生きて行くのだろうか。
そんなのは、嫌だ。
刻々とタイムリミットは迫りつつある。
時代が動き、変わろうとする中、あたしはのうのうと生きていくわけにはいかない。

「絶対に、帰るんだから」

その思いを胸に、あたしは日々を生きるしかない。
その日の夜、千鶴から聞いた話。新八さんと斎藤さんは、島原で過ごした三日間、引き抜きの話を持ち出されていたという。こそこそ裏で何をしているんだ、と思いながらもやっぱりあたしだけじゃなく他の隊士にも誘いをしていたんだと思った。
変わりつつある新選組。
ううん、徐々に崩れかけの道を歩もうとする彼ら。

「……千鶴」
「何ですか、お姉様?」
「貴女は、何も、変わらないでね……」

一つでも変わらないものがあれば、人は頑張ろうとする。
そっと彼女の頭を撫でて、あたしはただただ願った。

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