影と日の恋綴り | ナノ
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 動き始める時代

高杉晋作。
幕末に長州藩の尊王攘夷の志士として活躍した人間。奇兵隊という義勇軍を創設し、長州藩を倒幕に方向付けた存在。
そんな彼が、何故此処に居るの?

「…妖怪を気に入るなんて、変わった人なこと」
「妖怪だ人間だンなこと関係ねェよ。俺が気に入った、だからアンタが欲しいと思う。そうだろ」
「……残念だけど、あたしはアンタに気に入られようが、あたしはアンタを気に入ってないから、アンタについて行くことはできないよ」

史実通りの人だと、思ってしまった。
いち早くこの国が諸外国の植民地にされると危機感を抱き、このままではいけないと腰を上げた人なだけある。そのカリスマ性、非凡さから、多くの人に一目置かれていたのもうなずける。

「で?」
「?」
「おいおい、俺は名乗ったんだ。アンタも名乗るってのが筋じゃねぇのか?」
「……」

ニヤリと笑う彼に、あたしはやれやれとわざとらしくため息を溢して彼を見て言った。

「関東任侠妖怪総元締奴良組三代目補佐、奴良緋真。…妖怪・ぬらりひょんの孫だよ」

羽織に描かれた畏の代紋を見せて言えば、高杉はますます気に入ったといわんばかりに笑みを深く刻んだ。
予想外の人物に会ってしまったあたしとしては、これ以上一緒に居るわけにはいかない。このまま明鏡止水で消えようか、と思った矢先だった。

「ッ、ゴホッ!ゴホッ…!」
「!?ちょっと…!」

突然咳き込み始めた彼。口元に手を押さえ、苦しそうに何度も咳をする彼にあたしはハッと有る事を思い出した。
彼は、若くして労咳で亡くなった人間である事を。
風邪っぽい咳を何度も繰り返し、血痰を伴うこともある症状。
抗菌剤による治療法が確立する以前、つまり、この時代は治る事の出来ない病、「不治の病」と呼ばれていたものが労咳だ。

「っ……」

彼を助けたいと、思ってしまった。
彼が倒幕側だとしても、あたしにとっては関係のないことでもあった。目の前で失う命を見て見ぬ振りなどできない。
けれど、世界は、歴史はどうなってしまう?
高杉晋作が生きたまま幕府に終止符を打ち、新たな時代を開いたら、世界は、歴史は変わってしまう。
史実通りではなくなってしまう。
後の時代に悪影響を及ぼしかねない。
でも……。

「…っ……」
「ゴホッ!ゴホゴホッ!」

口を押えていた手からこぼれ落ちた血。
ぽたり、と地面を赤く染めるその光景が、魔王の小槌から護ってくれた鯉伴様を彷彿させる。
理性では分かっている。許されない事であると。
でも、無理なのだ。
この手で護れるものは護りたい。
助ける事の出来る命を助けたい。
もう二度と、悲劇を繰り返すわけにはいかない。
何もしないまま護られるばかりなのは、もう嫌だ。

「!おい、緋真なにを……!」

彼が何を言おうと、止めようと、あたしの中には「しない」という選択肢は無かった。
彼の胸にそっと手を押しあて、手に力を込めた。

「っ……!?」

温かい光が手の平から現れ、彼を苦しませている病を消そうと、癒そうとしてくれた。
徐々に咳き込む苦しさがなくなったのか、それとも、突然光を出して何かを始めたあたしに驚いいたのか、どちらにせよ咳をすることがなくなった彼。数秒なのかもしれないし、数分の出来事だったのかもしれない。
その短い間で、あたしは彼を不治の病で亡くなるという道を失くしたのだった。

「……こいつァ、どういう…」

息苦しさや今まで感じていた気怠さがなくなったことに驚く彼は、説明しろとあたしに目で訴えてきた。治った、ありがとう。で終わるなんて分かっていること。
だけど、たとえ病を癒したとしても、あたしの力を教えるつもりは無かった。

「せっかく治したんだ。せいぜい長生きしなよ、奇兵隊総督さん」
「!?おい、緋真!待て!!」

手を伸ばされたが鏡花水月で消えたあたしに届くことはなかった。
気配を断ち、目に映す事もできなくなったあたしを探そうとする彼だったが、しばらくしたら諦めて藩邸へと戻って行った。彼が屋敷に入るまでを見送ったあたしは、さりげなく姿を現してホッと安堵の息を漏らした。

「……」

彼が再び労咳で思い悩むことは無い。
祖母の力を受け継いだのだから、間違いない。
だけど、もし、また彼が労咳を患うようになる時があればその時は分からない。誰の悪戯なのか、再び彼と会うことがあればまた治すことができるかもしれないが、このご時世。動き始める時代で相見えることがあったとしてもその時は長州藩士と新選組として、対立しているかもしれない。
斬り合いになる未来が起きなければいい。

「……また会えば、その時は」

貴方が気になっている事を教えようかな。
なんて勝手に思いながら、あたしは屯所へと戻った。



夏の暑さがだいぶ引き始めた慶応二年、九月の事。
家茂公が亡くなり、程なくして行われた第二次長州征伐は大敗北で集結するという衝撃的な出来事が続いていた。この事により、幕府は長州藩が朝廷に仇なす者、朝敵である事を知らしめるために、京の三条大橋の袂にその旨を記した制札を立てた。しかし、最近になってその制札が引き抜かれ鴨川に捨てられるという事件が度々起きた。その警護を新選組がする命が下り、今日は左之助さんが率いる十番組の隊士達が当番であった。

「………」

日が沈み、十番組の隊士達がぞろぞろと門前に集まる中、あたしは一人門前でその様子を眺めていた。しばらくして十番組組長である左之助さんも門前にやってきた。組長が着たことでガラリと空気を変えた隊士達。浅葱色の羽織を着た左之助さんが、ひっそりと気配を消していたあたしに気付いて、近付いてきた。

「お、緋真。なんだ、見送りか?」

その言い方に素直に言えなくて、あたしは顔を背けた。

「…たまたまです。ぬらりくらりと歩いてただけです。…警護の任ですか?」
「おう」
「……お気をつけてくださいね」

幕府側が続けて良くない事が起きている事にあたしは思わず身を案じるような言葉を口にしてしまった。この時代はあたしの生きる時代とは違い、真夜中は暗い。灯篭を掲げたとしても、一寸先は闇だ。何かが近付いても気付くのは難しい。左之助さんがたとえ槍の使い手だとしても、油断しているところを突かれてしまえば怪我はする。
不安そうに見てしまったあたしを見て左之助さんは目を瞬かせたけれど、それは一瞬。ふわり、と嬉しそうに見える笑みを浮かべて「ああ」と一言だけ口にして隊士達と共に屯所を後にした。

「……何も起こりませんように」

誰かに希うわけもなく、ぽつりとそんな言葉を口にしてあたしは屯所へと戻って行った。
その翌日、真選組十番組が制札を引き抜こうとした下手人達を捕縛し護り抜いたという話があたし達に届いた。
幕府からは今回の制札警護の功績を称えるとして左之助さんに報奨金を与える事になったと本人から話を聞いた。けれど、その日の夜以来、左之助さんは何やら考え込んでいる様子であった。

「………」

思い悩み、けれどそれを誰かに言おうとはしない左之助さん。その視線の先には千鶴がいて。
少しだけ、胸が痛んだ。
それから数日後、あたし達は島原へと赴いた。

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