影と日の恋綴り | ナノ
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 春風との出会い

慶応二年、七月。

「家茂公が亡くなった!?」

早朝、西本願寺に訃報が届いた。耳を疑うあたし達だったけど、新八さんの焦りようが冗談でないことなど分かっていた。

「次の将軍は、もう決まったのか?」
「その辺りは、よく分からねぇけどよ」
「………」

亡くなったという知らせだけでも寝耳に水。嫌な予感が胸の中に渦巻く中、この後まもなくして禁門の変に端を発した長州征伐が行われた。しかし、戦費の負担や兵士たちの士気が上がらなかったこともあり、幕府軍の大敗北という衝撃的な結末で幕を閉じた。
二百六十年間揺らぐことのなかった大樹が軋み始めた瞬間であった。

「……」

給仕の支度をしていると、勝手場の外から乗って入ってきた風にあたしは手を止めた。じっと見ても何もないけれど、その嫌な気配に眉を顰めた。
ただれた風の臭い。不穏な気配を漂わせ吹き荒れる風は、気分が良いとは言えるものではなかった。

「お姉様、こっちは用意できましたよ。…?…お姉様……?」
「(嫌な感じ…)…なんでもないわ」

じっと空を見ていたあたしに声をかけた千鶴。不安に思わせないためにニコリと笑って見せれば、彼女はほっと肩を降ろしたのだった。
江戸幕府十四代将軍徳川家茂が亡くなり、世間は大きく動き出す。
幕府に対する不信を抱き始める者。攘夷浪士が各地で暴挙に上げる中、京内でも由々しき事態が起こりつつあった。

「(そして再び妖たちも天下を取ろうとしている……)」

蒸し暑さが続く京の市街地。
冷えるようで冷え込まない夏の夜中は、妖達が人間を襲おうとする。人間に仇なす事を許すはずなく、あたしが今日も今日とて妖を倒していた。

≪貴様何者ダァァァ!!≫
「名乗る前に、まずは自分から名乗りな。話はそっからよ」
≪ギャアアア!!!≫

聞く耳を持たない妖怪を一刀両断。辺りが静かになり、妖気を感じなくなったところであたしは溜め息を溢した。

「……平穏な日はいつ来るのかしら」

時代は大きく動こうとしていた。江戸幕府第十四代将軍がお亡くなられになって、幕府側の士気は急降下。そんな中、第二次長州征伐が行うのは、はっきり言って時期尚早というものだ。二百六十年間鎖国を行い外国の情勢も分からないこの国は内憂外患。諸外国から攻められ、護るべきである民からも攻められては、幕府の立場は崩壊する一方だった。
そんな不安定な状況で妖達も動いているとなれば、人間達はどうする事もできないだろう。とはいえ、群雄割拠の時代から闇は薄くなっている。けど、妖は人間の事など気にしない。力を蓄えることが出来るなら蓄え、機を伺うだけだ。

「(そんな事、させないけどね…!)」

鬼哭を片手に襲い掛かってきた妖怪を倒す。
リクオが毎夜蛇ニョロに乗って夜の散歩をする気持ちが分かる反面、毎日こうやって面倒事に遭遇していたのかと思うと気がしれない。五条大橋を後にしようとしたその時だった。

「なんだこいつ…!?」
「!」

驚き動揺する声が聞こえた。ハッとその声がした方を見れば、通りから外れた川沿いの道。普通なら暗闇で見えないけれど、夜目も聞いて妖の姿となればそんな事関係なかった。
声を頼りに向かえば、見えていくその姿。
川岸ギリギリに立っている人間が対峙しているのは、見紛うことなき妖怪。

「!」

人間を襲っている。
あたしの目の前でそんな事、許すはずがないじゃない。

「明鏡止水・桜」

紅い盃を手にし、酒に息を吹きかける。盃に波紋が広がり、それと同時に炎が妖怪に纏った。

「波紋が止むまでその火は消えないわよ」
≪ギャアア!!≫

野太い叫び声を上げる妖怪を容赦なくに切り刻んだ。次第に妖気と共に消える妖怪を横目に盃を収める。そして妖怪に襲われていた人間に目を向ければ、バチッと火花が散るかのように目が合った。
この人、あたしの姿が見えるの?
驚くあたしとは違い、その人間は刀を片手に口をぽかんと開けていた。けれど、丸くなっていた瞳は鋭くなり、あたしを警戒した。

「…あんた、何者だ」
「………」

そう訊ねるということは、やはりあたしの姿が見えるという事だった。
茶色がかった短髪に京紫色の瞳。和装かと思えば、中に着ているのは洋装のシャツ。少々傾奇者に思えてしまう彼の瞳の奥底には、揺るぎない信念を抱いていた。

「……さっきのバケモン、ありゃ何だ」
「……」
「最近京内じゃ、不逞浪士や怪しい奴がいるってのに、あんなバケモノまで京にはいるのかよ」

無言でいるのに一方的に話し始める彼。警戒心は解かれていないままで、彼はあたしから少し情報を得ようとしているのは分かった。
何者か分からない彼に、情報を与えるつもりはない。
けれど、彼の真っ直ぐな瞳が彼と重なって見えた。

「……さっきの化け物は、京に棲まう妖さ」
「!」
「人間じゃあ、たとえ剣の腕っぷしが良かろうと倒すことなんて出来やしないよ。妖怪は妖怪が斬り合うしかないからね」
「…なんだよ、あんた喋れるじゃねーか」

そう笑って刀を収める彼に今度はあたしが目を丸くした。あたしに向けていた殺気もなくなった。警戒心はまだ解いていないけれど、戦うつもりはないと言葉ではなく態度で示す彼。
変わり者だと思わないはずが無かった。

「妖怪だってーなら、あんたも妖怪ってのかよ」
「……四分の一正解」
「なんだそりゃ。残りは何だってんだよ」
「教えるつもりはないよ。夜の京は物騒なんだ。早くお家に帰りな」
「俺は餓鬼じゃねェ」
「ムキになる時点で餓鬼だと言ってるようなもんさ」

ふふ、と売り言葉に買い言葉の彼に笑ってしまった。大人っぽい人かと思えば、存外子供らしい人だった。

「…なぁ、アンタ。名前は?」
「名乗るなら、まずはテメェから名乗るってのが道理じゃないの?」
「ブハッ、クククッ…違ェねえな」

あたしに興味を抱いた彼は豪快に笑って、そしてあたしの目を逸らさず真っ直ぐ見つめて言った。

「俺は長州藩士の高杉晋作だ。アンタが気に入った。俺と一緒に来ちゃくれねぇか?」

強い眼差しに、そう名乗った彼に、あたしは目を丸くした。

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