▼ 鬼の情け
翌日、綺麗になった屯所を確認するために松本先生が再び足を運んでくださった。隅々まできれいに行き届いた屯所内に、松本先生の太鼓判を頂いたほど。
綺麗になったことに皆清々しい気持ちになっているようだった。
そんな中、松本先生と沖田さんが二人きりで何処かへ行こうとしているのが見えた。
「………」
彼に本当のことを告げるのだろう。
賑やかな彼らから離れる二人に気付いたのは、あたしだけではなく千鶴もだった。千鶴は気になってしまい、二人の後を追いかけた。
千鶴の事だ。彼の病名を聞いて、言いふらすことはしないだろう。
それなら、あたしはいつも通りに過ごすべきだ。
「あ、新八さん。ゴミを出すついでに、あっちにある不要なゴミもお願いできませんか?」
「緋真ちゃんまで俺をなんだと思ってやがんだよ!」
皆に弄られる新八さんにそう言えば、泣きそうな声を上げられた。
(千鶴side)
知ってはいけない事を知ってしまった。
…そんな感じだった。
まさか、沖田さんが労咳を患っているとは思ってもいなかった。
竹箒を手に、外のお掃除をしながら考える事は沖田さんの事。誰にも言うな。言ったら斬る。もちろん、言うつもりはないけど、それでもどんどん気持ちは沈んでいくばかりだった。
「……おまえは雑用をやらせているのか?」
「っ!?」
突然背後から、嘲笑うような声が聞こえた。聞き覚えのある声に身を強ばらせて、私は恐る恐る振り返る。
「鬼の血を引いているおまえが人間の使い走りとはな」
やはり、風間さんだった。
呆れたような、馬鹿にするような……、醒めた瞳が私を見下ろしている。
私は竹箒を両手に握って身を構えると、見くびられないように精一杯声を張り上げた。
「な、なにをしに来たんですかっ!?」
「……ふん。そんなもので俺と戦う気か?滑稽を通り越して、哀れにすら感じるぞ」
冷ややかな瞳が嘲るように私を見ている。
この人は、危険だ。
だけど、どうすればいい?私ひとりで、どう対処すれば!?
声を上げるべきか。でも、そしたら皆に迷惑が掛かってしまう。
悩んでいたその時だった。
「千鶴ー、門前の掃除はどう……」
明るい声が私の名前を呼んだ。もちろん、その声の主は誰だか分かってる。
考えるよりも先に、私は声を上げていた。
「緋真姉様、助けて…!」
「!」
緋真姉様がこちらに来るのと、私が助けを呼んだのはほぼ同時だった。私の声に、そして私の前に居る風間さんの存在に、緋真姉様は目を丸くした。
「千鶴…!」
緋真姉様は素早い動きで私の前に立った。その手はお姉様の愛刀である刀に添えていた。風間さんの存在にお姉様は普段とは一変し、恐ろしいくらいの形相で睨んでいた。
「この娘に何か用かしら、鬼の人よ」
「ふん、女。この俺の邪魔でもしようとするのか?」
「えぇ。この子に危害を与えるのであればね」
重苦しい空気になりつつあるこの場に、私は思わずお姉様の着物を掴んでしまう。それに気付いたお姉様は、私を安心させるようにそっと肩に手を置いてくれた。
そんな私たちを見て、風間さんは嘆息を吐いて口を開いた。
「そういきり立つな。今日は戦いに来たわけではない。おまえと綱道に関わりがあるか、確認しに来ただけだ」
綱道。……それは、父様の名だ。
何故彼の口から父の名が出てくるのだろう。そう思いながら、私は慎重に尋ねる。
「……雪村綱道は、私の父です!」
「……なるほど」
彼は私の返答に少し驚いたようだけれど、すぐに何事かを納得した様子だった。混乱しているのは、むしろ私の方だ。
「一体、父様の何を調べに」
状況も忘れて問い詰めかけた、そのときだ。
「敵地に単独で忍び入るか。……悪いが、そんな勝手は見過ごせねえな」
「土方さん!?」
私を守るお姉様と風間さんの間に、土方さんが割って入る。
「昼間っから何しに来た?女を口説くにはまだ早い時間だぜ」
「こいつに近付くんじゃねえ!」
「原田さん……、平助君も!」
原田さんと平助君も来てくれて、私は少し安心した。お姉様も同じみたいで、ほっと肩に入っていた力が抜いた。原田さんは、騒ぎに気付いて駆けつけたと言って、平助君はすごく心配してくれた。
「そうして群れる様は、犬猫の如く、だな」
「……言ってくれる」
一触即発の空気が場を覆いかける。けれど、その空気を先に壊したのは風間さんの方だった。
「遊んで欲しいなら相手をしてやるが、あいにく今日は、用事を済ませに来ただけだ。それから……、これは忠告だ。ただの人間を鬼に作り変えるのはやめておけ」
「……?」
人を、鬼に。それってつまり、あの【薬】のこと……?
それを土方さんは一蹴する。
「おまえには関係ねえ」
「おう。白昼堂々と女を襲うような、下衆の言い分なんざ聞く耳持たねえな」
「愚かな……。俺はおまえらに情けをかけ、わざわざ忠告してやってるんだぞ?」
情けというには随分乾いた笑みで、風間さんは目を細める。
「ここはオレらの領分だ!御託を並べてないで、とっとと帰れっての!」
「くくっ、弱い犬ほどよく吠えるな」
興味を失ったように皆から視線を切り、次に彼が見たのは私ではなく、緋真姉様だった。
「人間に気付かれてはいないようだが、俺には分かる。いつまでその身を隠しているのか見物だな」
「……」
鼻で笑って風間さんはお姉様にそう言い捨てた。
身を、隠す…?気付かれていない……?
風間さんは、緋真姉様の何かをも知っているっていうの……?
ハッと緋真姉様を見上げるが、彼女はじっと風間さんを睨みつけているだけだった。何も反応しないお姉様に興醒めした風間さんは、再び私を見据えて続ける。
「千鶴、綱道はこちら側にいる。意味はわかるな?おまえの父は幕府を見限ったと言うことだ」
「え……?」
風間さんはうっすらと笑みを浮かべたまま、そんな疑問を置き去りにして…。
「おまえがここにいる意味はなんだ?よくよく考えることだ」
ゆらりと。ゆらめく影のように緩やかな動きで、私たちに背を向けて去って行った。
どういうこと……?
鬼って、そもそも何なの?どうして彼らは、私を狙うんだろう?それに父様が向こう側……つまり、私たちが敵対している攘夷派にいるってこと……?
一気に抱えさせられた、疑問の数々が頭の中でぐるぐると回る。
「綱道さん探しには監察方も動いている。いずれまた情報も入るだろう」
難しい顔をしていたみたいで、平助君を筆頭に原田さんや土方さんからも元気が出るような声を掛けてもらった。皆の言葉や優しさが、素直に嬉しくて……。
「…はい」
私は素直に頷いた。
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