▼ 自分に出来る事
その日の屯所は、いつもよりやけに騒がしい雰囲気だった。廊下ですれ違う隊士の数も多く、皆、盛り上がっている様子だった。庭で野菜の泥を落としているあたしと千鶴は気になって見ていると…。
「はあ…はあ…!じょ、冗談じゃありませんよ!全く!」
「伊東さん?どうかしたんですか!?」
「どうしたもこうしたもありませんよ!」
伊東さんが慌てた様子で廊下を歩いていた。千鶴の問いかけに乱れた前髪を整えながら、不機嫌そうに答えた。
「隊士達の健康診断とかで、松本とかいうお医者様が、無理矢理私の服を脱がそうと…!」
「(健康診断を拒むあなたが悪いんでしょう……)」
体を見ないと分からないことだってある。それに、此処に女性はあたしと千鶴しかいない。男なんだから恥ずかしい思いなんてするはずがないというのに。
おぞましい、といわんばかりに腕を擦った伊東についそんな目を向けてしまった。伊東さんを余所に、あたしは曲がり角の向こうを見る。
確かに今日、隊士達は健康診断を受けることになっている。あたしや千鶴は近付くなと、土方さんから言われている。たとえ見た目を男のようにできたとしても、体は誤魔化せないものね。なんて思っていると、千鶴は伊東さんの言葉に引っ掛かりを覚えたのか、食いつくように尋ね出した。
「……松本良順先生ですか!?」
「んー?そんな名前だったかしら?」
「私も健康診断に行ってきます!!」
「あ、ちょっと!千鶴!?」
目を輝かせて千鶴は迷うことなく向かって行った。置いてけぼりにされたあたしと伊東さんは目を点にしたものの、互いに何も言わずそのまま自分の仕事を専念することにした。
きっと、そのお医者は千鶴が京に着いてから最初に頼るつもりだった人なのだろう。父親の手掛かりが知れるとなれば、居ても立っても居られなくなるのも無理もないはずだ。なんというか、千鶴は猪突猛進ね。と苦笑を浮かべながらも、あたしは野菜を洗い終えて勝手場へと向かった。
それから間もなくして、健康診断を終えた今日一日を大掃除の日にするという局長の宣言が出された。
「あら、そんなに怪我人や病人が多かったのですか?」
「みてぇだよ。松本先生に、病の見本市だとか言われちまうくらいにな」
「まぁ、それは大変ですね」
昼餉のあと、大掃除をすることとなって、皆は面倒そうだったり、驚いてたり、怒ってたりと色んな反応を見せていた。幹部の人達も、指示には従いつつも、不満そうな顔をしていた。左之助さんもその一人で、勝手場の掃除をしているあたしの手伝いをしてくれているのだけど、彼の顔は不満げだった。
「でも、池田屋の時も熱中症や腹痛で隊士が半分も動く状態じゃなかったじゃないですか。それを考えたら、松本先生の言葉は否定できませんよ」
「そりゃ……まぁ、……そーだけどよぉ…」
人数も少ないままに池田屋へ御用改めをしたことを左之助さんも思い出したみたいで、何とも言えない渋い顔をされた。分かりやすい態度に、あたしはくすり、と笑ってしまう。
でも、皆が病に伏したりしないのならいくらだって掃除なりなんだったりする。
「左之助さんも」
「ん?」
「くれぐれも、怪我や病気をしないでくださいね」
看病はするけど、ずっと心配してしまうんだから。
そんな事は言えないけれど、あたしが心配してくれていると分かってくれた左之助さんは、一瞬目を見開いたら目をゆっくりと細めて、おう、と答えてくれた。
互いに笑い合って、再びあたし達は掃除を始めた。
「………」
ふと、手を止める。
病気で一人、思い浮かんでしまった人物がいた。
「(……沖田さん…)」
風邪気味だと言われているけれど、彼は今回の健康診断で不治の病である労咳だと確信されるはず。労咳は、現代の日本でも問題視されている病。この時代、治療法はないようなもの。故に、労咳を患った青年を薄倖の者だなんだといって物語の題材にされていることが多かった。
沖田さんともう一人、長州の奇兵隊の高杉晋作は労咳により亡くなった方。
「(……助けたい……)」
高杉さんはできるか分からない。けれど、沖田さんは助けることが出来る。
ここで、長い間お世話になっている人。山南さんみたいに、助けることが出来るなら助けたい。それが驕りだと言われるかもしれないことでも、何もしないままよりかずっとマシ。
でも、助けたとしても彼はどうなるの?
「……」
この世界が、たとえ歴史通りじゃないとしても彼らは誠の道を歩み進んでいくのは変わらない。
あたしがその道を捻じ曲げてもいいのだろうか。
駄目だ。
そんな事をしたって、変わらない。変わることなんてない。山南さんの時にもう学んだじゃない。怪我が治ったとしても、あの人は周りの視線に、言葉に苦しくなって、【薬】に手を出した。
なら、あたしが何かしたって……。
「緋真?」
「!」
ハッと弾くように振り返った。見れば、一緒に掃除をしてくれていた左之助さんが心配そうな表情を浮かべてあたしを見ていた。
自分の世界に入り過ぎていたようだった。
「どうかしたのか?」
「ぁ……。いえ、……なんでもないですよ」
なんとか誤魔化そうと下手くそな笑みを浮かべる。でも、左之助さんが騙されてはくれなかった。きゅっと眉間に皺を寄せ、険しい表情を浮かべた。あたしが、嘘をついていると分かっている顔。でも、左之助さんは自分自身を落ち着かせるかのように嘆息を吐いた。
「……無理、してねぇんだよな」
あたしの事を本当に心配してくれている表情。
真っ直ぐ見つめられて目を逸らすことなんか出来なかった。
この人は、本当に優しい人。
だからこそ、あたしが守りたいと思ってしまう。
「はい。……大丈夫ですよ」
笑って答えた。
あたしがこの世界にいつまでいるのか分からない。でも、その時まであたしはこの人達の背中を守り続けていきたい。
だからこそ、答えは出た。
「(生きて欲しい。たとえ史実であろうとなかろうと、彼らには幸せに生きて欲しい)」
なんだ。結局はそれなんだ。
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