影と日の恋綴り | ナノ
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 【池田屋事件】

屋根から屋根へと飛んでは走って、あたしは新選組よりも先に屯所へと戻っていた。

「……」

思い出すのは、さっきの妖怪の事だった。
あの鬼は古くから京に棲んでいると言っていた。加えて、力を得る為に生き胆を食べようとしていた。
生き胆信仰は、京妖怪が古くから信じている俗信。赤子や巫女、皇女といった尊い存在の人間の生き胆を食らえば、絶大な力を得られると信じられていた。そして、通常の人間には持っていない力などを持つ生き胆は別格とされていて、羽衣狐たちは「天下への道」とも言っていたのを思い出した。
しかし、あの鬼は隊士を狙っていた。いくら妖を視る力があったとしても、尊い存在とはいえない。特別な力があるわけでもない。そこまでして生き胆を狙うというのもおかしい。

「(……それに、本当だったら…)」

“私”の記憶に残っている出来事を思い出すと、やっぱり此処は違う世界なのだろう。
江戸幕末、池田屋事件の際に、京都の螺旋の封印が破れたのを知って父・鯉伴様が此処を訪れて妖怪を倒すはずだったのだから。
それがなかったという事は、やっぱり“ぬらりひょんの孫の世界”との混合でもないという事になる。

「…ちゃんと、元の世界に戻る術を探さないといけないわね」

消えそうな声で自分自身に言いかけて、あたしは大きく跳躍した。
着地する場所はすでに決めていた。

「山南」
「!」

門の前に立つ彼の隣に着地した。音もなく降り立ったあたしに山南さんは一瞬警戒したが、すぐに誰か分かるといつもの柔らかい表情になった。

「奴良くん、ご無事だったのですね」
「まぁね。約束通り、皆より早く帰ったよ」
「そのようで。…それが、いわゆる“夜の姿”なのですね」
「ええ、そうよ」

ほっと息を吐いた山南さんは、今一度改めて、あたしを見た。特に変わったようなことはないはずだけどね。それでも、“奴良緋真”だって初見で分かる人は大概いない。
リクオやお父さん、爺やみたいに頭が長くなるなんて事はないんだけどね。なんであたしはぬらりひょんの頭にならないんだろ。

「初めて会った時、貴方は血まみれでしたからね。怪我がなければ、そのような容姿なのですね」
「人間のあたしだって分からないでしょ。山南も、一瞬あたしだって分かってなかったみたいだしね」
「“夜の奴良くん”は、随分と砕けた口調なんですね」
「あら?嫌かしら?」

嫌味らしく聞こえたからついそう言ってしまえば、山南さんは首を横に振った。つまり、嫌じゃないって事。

「“奴良緋真”という人(妖)をまた知る事ができましたよ」
「……変わってるわね」

その言葉は嘘偽りでないというのはすぐに分かった。

「それで、例の妖気の正体は分かったのですか?」
「ええ。池田屋にいた人間に憑りついていたわ。逃げようとした時、隊士と交戦。その隊士、霊力があるのか妖気に気付いたみたいで、殺されそうになってたわ」
「なんと…」

掻い摘んで話せば、今まで信じてこなかったような内容に山南さんは驚きを隠せなかった。まぁ、普通なら信じれるはずがないよね。

「安心しなよ。その隊士はちゃんと助けたから。そんで、妖怪もちゃんと倒した」
「そうでしたか…。…隊士を助けてくださって、ありがとうございます」
「よしてよ。“昼のあたし”が言ったでしょ」

ばさり、と“畏”の代紋がついた羽織を山南さんに見せてあたしは言った。

「奴良組は人に仇をなす奴を許さないってね」

人間を助けることはあたし達にとって当たり前のこと。
だから礼なんていらない。そもそも、人間が妖怪にたてつく事など出来ないんだから。妖怪案件は、今だけあたしに任せてくれたらいい。

「それに、あたしが元の世界に戻る方法を見つける事も出来る」
「そうですね。…ですが、隊士を助けて下さったのは事実。お礼は言わせてください」
「……山南は固いわね。仕方ないから、受け取るわ」

頑なにそう言った山南さんに折れるのはあたしのほうだと悟れば、そう言うしかなかった。人と妖の領分をきちっとしなくちゃならないんだから、本当にいらないんだけどね。

「それじゃあ、“昼の姿”に戻るわね」
「ええ。分かりました」
「……この子のこと、頼むわよ」

もう。そんな事、言わなくたっていいのに。
心の中で苦笑を浮かべた。
ずっと“夜の姿”のままでいるわけにはいかないし、もし誰かに見られたら困るため、姿をもとに戻した。目を閉じて妖気を収める。そうして、“昼のあたし”と入れ替わった。
目を閉じて、視界や身体の様子を確認して、山南さんを見た。

「ただいま帰りました、山南さん」
「……お帰りなさい、奴良くん」

姿が変わった事に驚いたはずなのに、山南さんは笑ってあたしにそう言ってくれたのだった。
暫く、あたしと山南さんは屯所の前で彼らの帰りを待った。ここから池田屋まではそう遠くない。風に乗って微かに臭う血の匂いに気付けば、あたしも山南さんも眉間に皺を寄せたのだった。
そうして、長い夜が明けた。あれからどれほどの時間が経ったかは分からないけれど、東の空がうすらと白くなり始めた頃に彼らは帰ってきた。

「お帰りなさい、局長。副長」
「!奴良、山南さん……」
「皆、ご無事のようで安心しました」
「山南くんたちこそ、屯所を守ってくれてありがとう」

羽織や頬に返り血をついたまま、太陽のように笑う近藤さん。土方さんはずっと眉間に皺を寄せていたけれど、少しだけ解れたのがあたしや山南さんは分かった。
池田屋にいた尊王攘夷過激派の浪士は、二十数名だと言われている。新選組は七名の浪士を討ち取り、四名の浪士に手傷を負わせている。また、これは後で分かったことだが、会津藩や京都所司代の強力のもと、最終的には二十三名を捕縛することに成功しているとの事だった。
さらに、彼らの逃亡を助けようとした池田屋の主も改めて捕縛される事になったらしい。数に勝る相手の懐へ突入したことを思えば、新選組は目覚ましい成果を収めている。
しかし、新選組の被害は浅いものでは済まされなかった。

「!沖田さん、平助…!!」

土方さんたちの後ろ。怪我をしている人はあれからいたのかどうか気になって見れば、目を丸くした。
知ってた。史実通りなら、怪我をすると分かっていた。
でも、そうであって欲しくなかった。
沖田さんは局部に一撃を受けて気絶され、平助は額を切られてしまい出血が止まっていなかった。永倉さんも左手の肉を抉り取られてしまったとの事を耳にした。
しかし、不幸中の幸いか、死人は出なかった。

「(史実と異なる事をしたけれど、新選組の隊士が誰一人欠けることなく帰って来てくれたのは嬉しい…)」

奥沢さんは左之助さん達が応援に来てくれたから、助かったのだろう。妖怪に憑りつかれた浪士に殺されかけていたけど、命に別状がないのなら本当に良かった。
裏庭で戦っていた新田さんや安藤さんは重傷は負っていないけど、しばらくは療養しなければならないそうだ。
会津藩が担う京都守護職や、桑名藩が担う京都所司代もそれぞれに浪士と戦っていたらしい。でも、どうせ重たい腰を持ち上げたのは、新選組より遅かったんだ。そんなの知るかって話なのよね。

「……」

でも、本当に良かった。
妖怪によって人が死ぬのなんて見たくない。
だから…あたしは、決意したのだった。
この出来事を、あたし達の時代では『池田屋事件』として後世に名を残し、新選組は広く名を馳せるようになったのだった。

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