▼ 京に棲まう鬼
戦場となっている池田屋では、断続的な叫び声と刀が交わる金属音が聞こえていた。悲鳴も聞こえ、建物の外にいる緋真も耳に入っていた。
すぐに池田屋の中へ入ろうとはせず、まずは様子見をする緋真。叫び声の合間から微かに聞こえるのは新選組隊士の声。まだ誰も死んでいないようだと安心しつつも、妖気を再び確認した。昼間は建物全体から感じていた妖気だったが、今は建物の中からだとはっきりと確認できた。彷徨っている様子ではなく、意思があり行動しているようだった。
「……」
静かに目を閉じ、妖気の居場所を探す。真っ暗な闇の中、点々と位置し、動いていたり、フッと消えるのは人の気配。点々とある気配の中、一つだけ何かが入り混じっているような気配。
見つけた。
パッと目を開けて、妖気が混ざったそれがあった位置を確認した。
「…裏庭か」
池田屋の裏。小さな御池と風情ある庭の場所で、新選組隊士と長州の浪士たちが刀を交わっていた。
浪士の一人からじわりと、滲み出る妖気。その者と戦っていたのは、奥沢という隊士だった。
「くっ…!」
攻撃を躱し、刀を振り下ろす奥沢。しかし、浪士は腕の立つ者か、奥沢の攻撃を見抜き、刀で防いだ。力でねじ伏せようとした奥沢だが、まったく歯が立たない。それどころか、力で負けそうになっていた。
その時だった。
ゾクリ、と背筋に何か冷たいものが伝った。嫌な予感がするもので、とっさに奥沢は浪士と距離をとった。
「貴様…何者だ……!」
ただの浪士ではない。本能がそう告げていると感じた奥沢は再度刀を構えた。距離をとられ、刀を降ろした浪士はゆらりと身体を横に揺らした。不自然な動きに、奥沢は自分の目を疑った。
何か霞のようなものが、浪士の身体から出ていたのだ。
「っ…!!」
≪貴様、ワシニ気ヅイテオルノカ?≫」
「!」
人の声ではない、男とも女とも取れないしゃがれた醜い声。
耳に届いたそれに奥沢は引きつった顔になった。分かりやすい反応を見せた奥沢に浪士ではない≪何か≫が喉の奥で笑った。カチャ、と刀を鳴らして構えを解く。
≪ソウカ、ソウカ。コノ男ハタダノ人間ダガ、ドウヤラ貴様ハ違ウヨウダ≫
「お、前…何者だ…!?」
≪ワシガ、何者カダト…?≫
瞬きをした一瞬。
「!」
浪士の姿が目の前から消えた。
警戒し過ぎたのか、突然視界からいなくなった浪士に慌てた奥沢は構えを解いて、辺りを見渡した。しかし、同じく裏口から入った隊士二人が他の浪士と戦っているだけ。
なら一体どこに。
そう思った時、再びただならぬ気配を感じた奥沢。それは、自分の背後からだった。
≪今カラ食ワレル貴様ガ、知ッテモ意味ナドナカロウ≫
「!ぐぁッ!!」
すぐに振り返って刀を横に切ろうとした奥沢だが、それよりも先に浪士の手が自分の頸にかかった。男の力には大きすぎるほどのもので、身長も大差ないはずなのに自分の身体は宙に浮く。
「!奥沢ァ!!」
自分に気付いた隊士が声を上げた。が、それに返事をすることも出来ず、息ができない状況。酸欠状態になり、だんだんと目が霞んでいく。必死に腕を解こうとするものの、意識が飛びそうになり本来の力すらも出せない。
≪コノ男ノ身体ハモウ要ラヌ。次ハ、貴様ノ身体ヲ貰イ食ロウテヤロウ!!≫
浪士の身体から霞が更に溢れ出て、形を成す。だんだんと膨れ上がり、姿を現すそれ。
それは、絵巻物に出てきそうな鬼。
京に棲まう鬼だった。
「た、すぇ…」
≪貴様ノ生キ胆、ワシニ寄越セェ!!≫
涙を浮かべ必死に助けを求める奥沢。しかし、他の隊士は別の浪士によって阻まれて、助けるに助けられなかった。
もはや、諦めるほうが早かった。
自分はここまでか、と鬼に食べられるのだと、悟った奥沢。
刹那。
「そう易々と、許すとでも思ってんの?」
若い女の声が聞こえた。と、同時に自分の首を絞めつけた力が無くなった。次に腰から尻に掛けての鈍痛に、自分は降ろされたのだと分かった。圧迫し続けた喉に空気が入るが、咽る。なんとか呼吸を整え、ふと視界の端に見えた影。
今宵は月明かりがあって、かろうじて人の顔も見れる。影からゆっくりと視線を上げていけば、綺麗な着物を着て、黒髪を風に靡かせる女の姿。脳に酸素が回っていない、視界もぼんやりとしている状態で、はっきりと容姿は見えない。
しかし、彼女が自分を助けたと分かると安心してしまい、奥沢は気を遠くへ飛ばしたのだった。
「よく耐えたよ、アンタ。ゆっくり休みな」
彼女にそう言われたのを耳にして。
「……」
意識を失った彼を他の隊士は奥沢、と呼んだ。となれば、彼が命を失うはずの隊士ということか。間一髪、助けることが安心するが、油断はできなかった。
≪貴様、何者ダ≫
背後に佇む妖怪が、乗っ取っている浪士の身体を操ってあたしに尋ねた。浪士の頭上に、霞を集めて出来ている鬼の姿。だが、上半身のみで姿を全て現してはいなかった。
警戒しているんだろうけど、人間から出ろって思った。
「アンタに名乗る名なんて無いよ」
そう言えば、鬼は数秒黙り、そして鼻で笑って言った。
≪小娘ガ、粋ガリオッテ…。マァイイ、ワシハ京ニ古ヨリ棲マウ鬼ヨ。貴様ノヨウナ小娘ナド、容易イ≫
京に棲む鬼…。だったら、鬼の眷属の一人か?京妖怪だとしたら、この世界は…。
≪アノ男ノ生キ胆、ワシガ食ロウテヤルワァ!!邪魔ダテスルナラバ、貴様ヲ殺スマデダァ!!≫
あたしが考えているっていうのに、鬼は待てなかったのか浪士を操って斬りかかってきた。
「ちょっと、あたしに考える時間をちょうだいよね」
再び浪士を乗り移り、操る鬼。斬撃を何度も浴びさせるが、それを難なくあたしは躱し、鬼哭で防ぐ。あたしだって何度も修羅場を乗り越えてきたんだ。この程度の攻撃に、狼狽えることなんてもうしない。
「…あたし達は、人に仇なす奴を許さない」
≪何ダト…?≫
「“畏”の代紋のもと、アンタをあたしは生かすわけにはいかねぇ。なにより、」
一閃。
気付いた時、鬼は浪士の身体をすり抜け、真っ二つにさせられていた。
≪ナ…ニ…?≫
振り返り見れば、自分を冷めた目で見るあたし。そんな鬼に、あたしは言いかけの言葉を言った。
「テメェみたいなちっぽけな畏に、負けるはずないだろ」
この江戸を仕切る任侠妖怪奴良組の奴良緋真がね。
≪小、娘…ガァァァアア!!!≫
鬼哭に斬られた妖は、祢々切丸同様に妖力を失って消滅した。叫喚が響き渡る。それも程なくして、聞こえなくなっていった。
「何より、こいつらに手を出そうとした時点で、アンタを許してなかったよ」
消えそうな声であたしは呟いた。
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