▼ 素直じゃない我が娘
あたしが素直じゃないと、お父さんが知ったのはまだリクオが生まれて一年経ってないある日の事だった。
「緋真」
「んー?」
小妖怪達と鬼ごっこをしたり、庭の地面でお絵かきをしたりして遊んでいる時に、お父さんはあたしに声を掛けた。振り返ると、正面玄関の近くに佇むお父さん。どこかへ出掛けてたのかな。お父さんに呼ばれて、絵を描くのをやめたあたしはお父さんへ駆け寄った。
「お父さん!」
「おう、緋真。何してたんだぃ?」
「お絵描き!してたの!」
駆け寄ったあたしを拒むこともなく、抱き上げてくれたお父さん。今思えば拙い話し方だけど、お父さんは嬉しそうにそうか。と笑ってくれた。それが嬉しくて、あたしは話を続けた。
「あのね、爺やとお母さんと、リクオを描いたの!」
笑顔で言った言葉にお父さんはピタリと動きを止めた。
「……なぁ、緋真」
「なぁに?」
「お父さんは、描いてくれてねぇのかい…?」
あ、やっば。
笑って教えた内容に確かにお父さんの名前は入ってなかった。つまり、描いてないって事になるわけで…。
「お前のは描いてないそうだ。残念だったな、鯉伴」
「あ!燈影っ」
ゆらり、とお父さんの影から現れたのはあたしの婚約者の燈影。お父さんに抱かれた状態で燈影に手を伸ばせば、優しい手つきで頭を撫でられた。
あたしに向ける眼差しが愛おしいと言っていた。
「ば、バカ野郎!まだこれから描くつもりだったんだよきっと!なぁ、緋真?」
「?今ね、燈影を描いてるの!」
「な…ん、だと…?」
燈影に撫でられる心地よさに身を任せていたから、お父さんの言葉が最初のほうは聞き取れなかった。けど、今誰を描いてるのか、みたいな事を聞かれてると思って、そう答えたらお父さんは雷に打たれたかのように衝撃を受けていた。
…あれ?答え違ってた?
「…おとーさん……?」
顔に影を差すお父さんが心配になって呼ぶと、ゆらり、と身体が揺れた。わ、わ、と驚く間もなくお父さんは、さっきよりも強くあたしを抱きしめてきた。
な、なに?どうしたの…?
「……ぃ」
「……へ…?」
ボソッと呟いた言葉は聞き取れなかった。なんて言っているのか分からなくて、聞き返すと、お父さんは泣きそうな表情であたしを見た。
二代目とあろう御人がなんて情けない。
思わずそうツッコミを入れたくなったけれど、グッと堪えた。
「俺も描いてくれてねぇのかい?緋真」
「………」
あ、そういう事か。
つまりお父さんは描いてくれなかった事にショックを受けているようで、あたしに描いて欲しいみたいだ。そりゃあ描くつもりだよ。
でもね…。
「じゃあ、皆を描いたらお父さんを描くね!」
にこり、と笑って言えば、お父さんはパァと花が咲いたように喜んだ。束の間、あたしの言葉の意味を理解したのか、首を傾げた。
「……ん?…“皆”」
タラリ、とお父さんの額に冷や汗が垂れる。
内心、お父さんに申し訳ないと思いながら教えてあげた。
「んっとね、燈影の次は神無を描いてって約束してるの!そのあと首無に黒と青と、納豆小僧達と、あとね、ぎゅーきとひひも描いてー」
「………」
「…お父さん…?」
うん、見事に硬直していらっしゃった。お父さんの後ろで必死に笑いをこらえる燈影。
「……なぁ、緋真」
「?」
「お父さん、そんなに描きたくねぇのか…?」
気力の無い声色であたしにそう聞いたお父さん。ピクリ、と思わず手が動いた。切実に描いて欲しそうにするお父さんに、頷こうと思ったけど、でも、できない。お父さんの目から逸らすように、左右にキョロキョロと目を動かす。
「あ、のね…あたし……」
我慢出来なかった。
「ま、まだ絵の途中だから!」
「あ、まっ、緋真!」
お父さんの肩を押して、腕から逃げた。絵を描いていた場所から逃げるように。その時、描くのに使ってた木の枝を忘れずに。
後ろでお父さんが「緋真〜…」と弱々しい声で呼んでいたけど、心を鬼にして逃げたあたし。嫌じゃないけど、まだ見せられない。
きっと様子を見ていた燈影は分かっているはず。
だから、彼がきっとお父さんに行ってくれるだろう。
(燈影side)
「そんなにオレって描きにくいのかよ……」
「そうかもしれぬな」
「燈影、オメーはいったい誰の味方だ」
「緋真の味方に決まってるだろう?そもそも鯉伴、俺にその怒りをぶつけたくなるのはお門違いってものだろう」
「……」
「……やれやれ」
百鬼夜行を率いるいつもの総大将っぷりは何処に行ったのやら。娘一人にこの有り様とは、なんとも呆れたものだ。思わずため息を溢せば、鯉伴は「どーせ親バカだ」とぶつくさと言う。
緋真には秘密だと言われていたが、このままだと二、三日はうじうじしたままだと判断した。
「鯉伴」
「…ンだよ」
「こっち、ついて来い」
「あん?」
緋真が逃げていったとは反対の方向へ鯉伴を案内する。俺に言われるままについてくる鯉伴に、小さくため息を溢す。
どれだけ緋真に必死なのだお前は。
庭を通り過ぎ、あまり人が通らぬ場所。そこへ鯉伴を案内すれば、目の前の光景に奴は瞠目した。
「これが、緋真が逃げた理由だ」
「……こいつぁ…」
目を点にする鯉伴。無理もない。人気のない場所の地面は何度も擦ったあともあり、地面に何かを描いたあともある。見覚えのある似顔絵。けれど、納得のいっていないのか、何度も描いては消したあともある。
「……」
「お前の似顔絵は、まだ練習中のようだぞ」
「……ふはっ」
緋真の様子や自分を描いてくれと頼んだ時の事の理由が分かった鯉伴は、吹き出すように笑った。緋真も緋真だな。そこまで必死にならなくても良いというのに。
「たまたま見かけた俺は、緋真に内緒だって言われてな。…だが、お前が出入りもせず部屋に引きこもりそうだと思って言ってしまったわ」
「お前は本当に俺に対して扱い酷くねぇか?」
「日頃の行いだ」
ようやく理解したのか、鯉伴は地面に描かれた己の似顔絵を愛しそうに見つめたのだった。
素直じゃない我が娘
(緋真、そこで何をしているのだ?)
(!…あ、ひえ…)
(それは…似顔絵…?)
(あ、あの、これ…は!ちが…!)
(…ふっ)
(な、内緒!燈影!内緒にして!!)
(……ああ。アイツには内緒にしてやろう)
(!…ありがとう!!)
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