▼ いつわりの
“私”は“鯉伴様”が怖かった。
今までに見たことのない表情で“私”を見る彼が酷く恐ろしかった。あの時、奴良組幹部が集まる日、自分の素性を明かした時に向けられた時とは比にならないくらいだ。
娘としてではない、他人として“私”を見る“奴良鯉伴”が怖くてたまらない。
出したいのに声は出ない。口が震え、違うと否定の意味で首を横に振る事しか出来ない。掴まれる両肩に鯉伴様の指が食い込んで、身動ぎもできない。
「おと、さ…」
ようやく出た声も小さくて、周りの音に消えそうなものだった。
お父さんはあたしから目を逸らさない。瞬き一つでさえ見られていることに、怖くて、目の前の人から逃げたいと思ってしまった。
その時だった。
「もえ……へ?あれっあれっなに?な…なんじゃこりゃあああ!ワシの妖気が…消えてゆくううう!?」あばばはははぁ!!」
「!」
鏖地蔵の妖気が消えた。それに気付いたのはお父さんも同じで、そこでようやくあたしから目を外したのだった。息苦しさが消えて、解放されたと、思ってしまった。ハッハッ、と短い呼吸をなんとか整え、上を見れば、リクオが羽衣狐を片手に鏖地蔵を祢々切丸で斬ったのが分かった。
しかし、リクオの怒りは治まらなかった。
「てめぇ…何やってんだ。母を手にかけ…、妖怪達をひっかきまわして………。千年前に死んだ奴が、この世で好き勝手やってんじゃねぇ」
切っ先を安倍晴明に向けて息絶え絶えながら言ったリクオ。強く抱きしめる今は無き羽衣狐の依代の彼女を見て、あたしは泣きたくなった。いや、もう泣いてるけど、心が痛くて泣きそうだ。
啖呵切るリクオを見て、怪訝な顔をする安倍晴明。それを気にも止めず、リクオはそっと彼女を安全な場所へ寝かせ、傷に障らないようにした。そして安倍晴明を睨み、祢々切丸を構え、
「たたっ斬る!」
安倍晴明へと立向ったのだった。
「!?リ…リクオ様!!一人じゃダメだ!!」
「リクオ何やってんの、見てなかったのか今のお!?」
「……援護するぞ、リクオを」
「奴良くん…」
「リクオ様アア」
イタク以外は皆、リクオを止めようとする。だって、あまりにも無謀過ぎるのだ。あの羽衣狐も、土蜘蛛も一瞬で地獄へ落とした鵺。
リクオだって、同じようになるかもしれない。
「っ、ダメ、やめてリクオ!!」
「待てリクオ、一人で行くな!!」
「リクオ!!」
「リクオ様ッ!」
あたしもお父さんも声を上げ止めようとする。けれど、もう動いたリクオを止めることもできず、リクオは鵺へと刀を振り下ろし…。
「なる程…祢々切丸か。たしかにいい刀だ」
「ッ」
その刃が鵺に届くことはなかった。
「だが私を倒す程の力ではない」
人さし指一本で刀を受け止めれた祢々切丸を、一瞬で粉々にされた。祢々切丸を破壊され、鵺に立ち向かう術をなくしたリクオは丸腰状態となった。
「ね…祢々切丸が…」
「ッ」
やめて。
「お前が鯉伴の“真の息子”か」
「!!」
「力が足りんな……」
そう言いながら、魔王の小槌をおもむろに振り上げた晴明。その時、ハッと彼女の方を見ると、居るはずの彼女が居なかった。
「だ…」
刹那、聞こえた音。
斬られると腕を前にし構えたリクオ。けれど、リクオにその刃が届くことはなかった。
だって、彼女が庇ったのだから。
「おい、あんた…何を」
「リクオ…」
「っ」
「ぁ、あぁ…」
驚くリクオを余所に、彼女は朦朧としている意識の中動いたのだ。誰も動けなかった中、彼女だけは動いたのだ。
その身を犠牲にして。
「乙女ェェェ!!」
今まで呼ばなかったその名を、お父さんは我慢できずに叫んだ。
彼女の行動に邪魔され、同情じみた目を向ける安倍晴明。
「あわれな…。いつわりの記憶に…情がわいたのか…」
その言葉に目の前が真っ赤になった。
自分を庇った彼女に動揺するリクオ。けれど、すぐ目の前にいる安倍晴明に二振めの攻撃が迫りかけた。今度こそ危ないと、皆が息を呑む中。
「結」
あたしの声が通った。
リクオと彼女を守るようにして生まれた結界。と、同時に腐り落ちた晴明の腕の肉。熟れすぎた果実のように、柱や梁に飛び散ったどろどろのそれ。
「何…?」
二重で驚きの声を上げる安倍晴明。自分の腕を見、リクオ達を守る結界を見、そして、こちらへと目を向けたのだった。
「娘、お前の術式か」
「っ…」
「姉さん…!?」
「リクオ」
「リクオ様!!」
羽衣狐を抱え、屋根の上へと降り立ったリクオを見て安心するが、すぐに鵺へと目を向けた。じっとあたしだけを見る鵺は、興味深そうにしていて、しばらくしてフッと笑ったのだった。
「貴様もまた、“偽りの娘”か」
ドクリ、と心臓の鼓動が大きく打った。
嘲笑うように言った安倍晴明の言葉は、“私”に気付いたのだと察するものだった。
「世は不条理であるのだな。私は千年という長い年を待ったというのに、貴様は…たった短い年月でそれを得たのだから」
それ、が何を指しているのかあたしには分かる気がした。けれど、口にしない安倍晴明は面白がっているということなのだろうか。身構えたあたしを見る鵺。けれど、言うだけ満足したのか、鵺はすぐに自分の手に目を移して言った。
「まだこの世に体が馴染んでなかったのか…。しかたない…」
人差し指と中指を立て、何かを引っ張り上げるようにして下から上へ動かす。すると、それに応えたようにして、地獄の中からそれは現れた。
「ウワァァァァァ!?」
「ひっ」
「な……なんじゃこりゃ」
「地獄の門!?」
「ここは一旦引くとしよう。千年間ご苦労だった、鬼童丸…茨木童子…そして京妖怪たちよ。地獄へゆくぞ、ついてこい」
禍々しい気を発する地獄の門。それを前に、かつての部下であった鬼童丸達に声をかける安倍晴明。その姿は輝かしく、京妖怪達を畏れさせた。茨木童子、鬼童丸に続いて、多くの京妖怪が地獄の門を潜っていく。
このまま鵺を逃がすわけにはいかない。そう思ったリクオが慌てて追いかけようとするが、それを止めたのは爺やだった。
「リクオ、早まるな!!」
「じ…じじい…っ!?」
驚くリクオ。爺やに止められ、地獄の門へ向かうことを断念させられたのだった。
「近いうちにまた会おう。若き魑魅魍魎の主よ…」
その言葉と共に閉じられた地獄の門。
ゆっくりと閉ざされるまで、あたし達はただその様子を見ているだけだった。
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