▼ 知らない場所
「…、ん…」
目を閉じても分かる陽の明るさに、意識がゆっくりだけど戻っていく。ぼんやりとした視界も、何度か瞬きをすれば鮮明になっていく。
見覚えのない天井だった。
「……」
奴良組の屋敷の何処の部屋?でも、こんな造りの部屋が屋敷内にあったかな。
首だけ動かし辺りを見渡しても知らない造りだった。
知らない部屋にどうしてあたしは寝ている?
その疑問が浮かんだら、思い出すあの時の記憶。
「ッ!!」
思い切り起き上がり、何度も周りを見た。自分がいる空間に置かれた書物も、机も、何もかも知らない。まず窓が丸の形だなんて、こんなちょっとお洒落な部屋知らない!
そしてハッと自分の身体を見て気付く。
「(寝間着のまま…!)」
あの時あたしは妖怪化した。つまり、着物姿になっていたはずだ。そうじゃないって事は、妖怪化が解けたということ。
それに驚くのはそれだけじゃなかった。
「(傷が、無い…!)」
お腹を擦るけど、あの時の痛みが全く無かった。
どういう事?
なにが起きたの?
それよりも、リクオは?鯉伴様は?燈影は?
お母さんは?
「っ」
あの時あたしはお母さんを守ろうと走っていた。敵はリクオ達が応戦しているから、屋敷内には入られていないと思っていた。けど、それは間違いだった。敵は正面玄関から堂々と入って来ていた。他の妖怪達はどうしたの、と思ったけど、あの時はあたしの、いや、“私”の知らない出来事で気が動転していたから、仕方なく応戦。倒したと思ったら、ああ、そうだ。
「(誰かに呼ばれたんだ…)」
お父さんたちの声じゃない、知らない声に。
その声に注意が散漫してしまったあたしは、まだ隠れていた敵に腹部を刺されて…、そこから何も覚えてない。
「…」
そっとお腹を擦る。
あの時、確かにお腹に刀を突きつけられた。痛みもあった。なのに、今は痛みも傷もない。
それに、気のせいだと思うけれど、空気が違う気がした。部屋の中の空気じゃなくて、此処そのものが。目を閉じ、周りに誰かいるか探るけど、妖気は全くない。反対に、大勢の人間の気配しかなかった。
その中に感じた、違うものも。
「此処は、何処…」
そもそもあたしは助かったなのかすら分からない。あんな大怪我をしたというのに、身体は無傷。でも起きたら知らない部屋で寝ていたなんて、どう考えてもおかしい。
奴良組に恨みを持つどこかの組があたしを攫ったとでもいうの?
いや、それでもおかしい。まず傷がない時点で何もかもがおかしい話になるのだから。どれくらい寝ていたのか分からないけれど、立ち上がる時にふらつく身体。体感時間も狂っているように思う。急に立ち上がったから眩暈を起こす。そっと壁に手を当て落ち着かせてから、ゆっくりと障子を開けた。
「…」
知らない造りの部屋だから分かっていたが、やはり部屋を出た廊下も、中庭だろうか、造りも全く知らないものだった。
やっぱり攫われたのか…?
呆然と突っ立っているあたしは目の前の光景を眺め、自分の置かれている状態が理解できずにいた。
その時だった。
「!」
人の気配。
自分の近くに感じた方に気配に勢いよく振り向いた。
「ぁ…」
廊下の突き当りに、気配の主である人が突っ立っていた。
着物の前を全開に広げ、お腹まわりに晒を巻いている男性。珍しい赤みのかかった茶髪を雑に一つに結んでいるその風貌は、どこか色気を漂わせていて…。
「緋真!!」何故かあの時呼んだのはこの人じゃないのかって思ってしまった。
固まるあたし同様に、相手もあたしの事を驚いた表情で見ていた。いつから居たのか分からないが、全くと言っていいほど気配が無かった。何者か分からない。もしかしたら、あたしを助けてくれた人なのかもしれない。けれど、警戒するに限る。
「…(人間…妖気は、ない…)」
妖の類なら真言でも唱えて逃げようと思った。でも、相手からは妖気は微塵も感じなかった。最悪なことにあたしは武器は持っていない。何かされそうになれば素手で闘うしかない。しかし、男性の腰に差さっている刀に、無傷で抵抗できそうにないと悟る。
だから相手が何者かだけでも聞こうと口を開けたと同時だった。
「なんで此処にいるんだよ!」
「…へ?」
驚いた顔から一変、キュッと眉間に皺が寄せられて怒った表情で彼は怒鳴った。あまりの変わりように目を点にするしかないあたし。その反応が気に食わなかったのか、彼はドタドタと足音を立ててあたしに近寄ってきた。
え、え?なんで怒るの?え、これ殺されちゃうの?
思わず一歩後ずさったら、それが逃げようとしたと勘違いした彼は、あたしに手を伸ばしたのだった。
「まだ寝てろ!お前、三日も寝込んでたんだぞ!」
「寝てろって、いやあの貴方どなた…え?」
あたしは貴方に拉致されたんじゃないの?と思いつつもまず貴方は誰だと尋ねようとしたあたしは、彼が続けた言葉に自分の耳を疑った。
三日?三日寝込んでいた?
「様子を見に行こうとしたら起きてたとか吃驚だぜ。ちょっと待ってろ、近藤さん達に伝えなくちゃならねぇし、布団の中に入ってろよ」
「え、あ、あの…!」
私の言葉を無視しないでー。
嵐のように過ぎ去って行った彼にあたしは流されるまま。部屋へグイグイ押されて寝るように言われた挙句、再び来た道を戻っていった男性。あたしを心配してくれていたのはなんとなく分かるけど、そんな簡単に放置してもいいのか、と敵ながら心配してしまった。
「…それにしても…」
彼の顔を“私”はどっかで知っているような気がした。
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