恐らく十代になった頃から変わらず、鬼道さんにべったりと連れ添っている自分に、嫌気が差したのだと思う。自身に対するささやかな反抗は、合法的には違反行為であるほんの少しの背伸びだった。ビジュアルだけで買っていた不味いチョコレートシガレットを、今後買うことはないだろう。炎が葉を焦がす。肺に吸い込んだ排煙を吐き出しきれずに噎せ込んだ。吐いた煙で辺りが白い。
『近頃の佐久間先輩は何だか苦いですね』
帝国学園OBとして休日に帝国学園高等学部サッカー部へ赴いた際、洞面が真正面からそう言ってきた。当初はその言葉の心裏が理解できなかった。人が丸くなったとか、その類の言葉と同義だと考えていたが、今思えば、恐らくあれは俺自身から苦い匂いがしていたから言われたことなのだろう。
リビングルームに換気扇は無いので、ソファから立ち上がりベランダに出るため窓の施錠を開放する。暖かい部屋に流れ込む凛冽たる空気に、肌の上にTシャツだけの身体は身震いした。ベランダ用に外に置いたままのスリッパを履き出でる。等感覚で設置された街灯は、夜を一層寒々しいものにさせていた。燃えた灰をベランダから暗くて見えもしないアスファルトに真降下させる。排煙は一時輪郭を持ち、闇に霧散した。
俺の中での鬼道さんという人間像は完成されていた。それ故に、新たな一面を覗かせれば覗かせる程違和感が先行し、本当の鬼道さんはここにいるのに、現実から逃げて俺の中の鬼道さん像にピースの嵌る彼だけを選んで見ていた。俺は鬼道さんに伝えがたい人間像を完全に抱いてしまっていたため、それ以外の鬼道さんがどうにも気持ち悪くしか感じられなかった。その胸中は悟られず、覗かせず、あの源田にさえ打ち明けることがなかった。
そう思案を巡らせていると、脳裏にやけに綺麗な笑顔を浮かべる忌まわしい男の顔が浮かんだ。あのクソヤロウなら、俺の誰にも共有を求められない偏見を聞いた途端、歓喜の悲鳴をあげるのだろう。想像任せに吐き気がした。闇夜に吸い殻を投げ捨てる。
ジーパンのポケットから残りが半分になった煙草ケースを取り出す。グシャグシャに寄った皺を伸ばす行為ははた無意味。ケースからジッポーを取り出し、くわえた煙草に火をつけた。俺はまだ吸うのが下手だから、初めに一度ふかす。実に滑稽で馬鹿らしい。
吸う程肺を循環する苦い煙は体内を大概に汚染する。それはまるで精神が洗われる様な錯覚を俺に覚えさせた。豊かな想像力で培われ構成されたせいで、変化を忘れた鬼道さん像に対する罪悪感が、消えて久しい。だが、それも排煙を腹に居座らせ退出させるまでの一時の出来事。罪悪感を取り戻す度に日に日に喫煙回数は増えていった。そんな俺はとうとう自虐的行為にまで及ぶようになってしまう。
この女々しい左手を誰にも見せられない。手の甲を返し、無数の痕をさすった。行為そのものが女々しいのだ。自傷行為に陥る野郎なんて気色悪い。その左手をジッポーの火に透かしてみる。それはまるで月面。所謂クレーターだ。浅黒い歪な月面の凹みは未だに新しいのか赤い。ジッポーをしまって、凹凸をひとなぞりする。微かに痛みが走る。スッとした。痛みを所有している限りは、勝手な想像も許されているような気がした。そんなワケないのにと、俺は笑う。自虐は自虐でしかない。一人暮らしをしているのなら、尚のこと誰も気がついて拾ってはくれないはずだ。いっそのこと、自分の最低な創作活動を示唆し、自ら被虐を誘発すれば、誰かが俺を還付無きまでに叩き伸してくれるだろうか。訳もなく嬉しいな。
遠く見える都心は発行ダイオードが生きている。その出で立ちはまるで信号機。太陽光が鏡に差し込んで、乱反射している様に良く似ている。そこにいる喫煙者達の中に果たして俺はいない。吸い込む他人の排煙は蔑視するが如く俺を追い詰める悪魔にしかならない。その仲間になりたくなくて、部屋には灰皿がない。結局、俺は自分の左手のひらを灰皿に火を消すのだ。



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