部活動を終了し、各自学校を出た生徒達は帰路に着いた頃であろう。宵へと変わる時刻、長い通学路を下校する者がいた。夕陽が赤々と世界を照らす中、狩屋はおひさま園へと帰るため、稲妻町郊外にあるバス停へと向かっている。町内を抜け、獣道を通り、河川敷前の長い土手を一直線に歩く。それは本来の帰宅ルートとは異なる。狩屋は誰かに後をつけられていることに気がつき、故意に遠回りをしているのだ。そして、それが誰であるかにも気がついていた。
町内は兎も角、河川敷に身を潜ませる様な影はない。後ろを振り向けば人物の確定が出来るだろう。狩屋は何故彼が自分の後を付いて回し、また、声も掛けてこないのか不思議でならなかった。
「影山くん、俺に何の用かな?」
痺れを切らし立ち止まった狩屋は、一呼吸を置いて言い放つ。後方にいる人物は足を止めた。気の抜けたような笑い声が聞こえたかと思うと、名を呼ばれた彼は狩屋の前に回り込む。実際、狩屋の後方に付けていたのは影山輝であったワケだが。狩屋の前に立った輝は学生バックのショルダーを握り締め、少し俯いた。
「あの、ちょっと相談しても良いですか」
暗い表情をした輝は、目を伏せたまま狩屋に問い掛ける。狩屋も何か奇妙だとは思っていた。そう思えてしまう程長い間、輝は狩屋の後を付けていたことになる。
「良いよ」と答えると、河川敷を顎でしゃくった。唖然顔をして自分を見つめ返す輝が応じるように、狩屋は軽く土手を駆け降りる。「来いよ」と言い、ちょいちょい指先で拱く。「し、失礼します」などと恭しく言った輝は狩屋がそうした様に軽く土手を駆け降りた。
夜が迫っていることを伝える様に河原を生温い風が凪いだ。狩屋は肌をなぞり去るそれに不快感を露わにする。川を臨む狩屋の横に輝が並ぶ。間隔がよそよそしかった。
「相談って何かな?」
ちらと輝の顔色を窺い、今はまだ未完成な低い声は話を促す。芝生の生えた地面に腰を降ろしあぐらをかく狩屋に倣い、輝は腰を降ろして膝を抱えた。
息を吸い込む音がする。息と共に吐き出された言葉に、狩屋は切実さを覚えた。
「僕、嫌なんです。影山って呼ばれるの」
僅かに空を染める赤い陽が輝の顔に、明暗を濃く映し出す。しかめられた眉間がより一層苦味を増している。
切実さを覚えたのと同時に、笑うのをくっと堪える。少年には余程関係のないことであった。時間を費やしてまで自身を追ってきてみれば、その相談内容がさしたるものではなかったため、拍子抜けによる呆れから嗤いを忍ぶ。
「君とか、先輩達が影山って呼ぶのはなんだかわかるんですけどね」
意見を求めるような口振りで、その目は狩屋を見た。狩屋は少し口の端を歪め、聞こえていないと言わんばかりに首をすくめさせる。少年は元より、他人に同情する性分ではない。膝を抱え直している輝の話をつまらなそうに聞いているのは、人並みの優しさ故だ。
「鬼道監督が影山って呼ぶのは、何か違う気がするんです」
しかし、輝が低いトーンで口から吐き出したその内容に眉を微かに潜めた。その違和感に狩屋は輝の顔色を窺うべく、輝に目を寄越す。
(何を思い悩んでいるのか知らないけど)
狩屋が横に目をやったとき、もはや輝は此方から目を外していた。輝は泣きそうな横っ面をしていた。その反面、瞳に宿す光があまりにも暗く、狩屋はゾッとする。眼前にはいない誰かを呪う眼差しだ。河川敷を生温い空気が包む。
「あの人は、僕を通して叔父を見ている」
輝が誰を呪っているかはどうでも良かった。ただ、狩屋は輝に規視感を抱く。暗い炎のたぎる瞳を、遠い日に見たことがあると、意識の淵に浮上してきた記憶が語る。誰かを呪うその瞳をお前は知っていると自答した。
「大人は結局、僕を見てくれないんだなって思っちゃいました」
輝の言い方は、まるでこれが初めてではない言い回しだった。その感情を味わったことがあると、耳元で囁やかれる錯覚に、狩屋は目を見開く。悲しそうに微笑む顔に、胡散臭く微笑んでいた幼げな自分を重ね見る。既視感の正体に気がつき、輝から勢いよく目を逸らした。思い出さなくても良いあの日の記憶を忘れられぬまま、今を悦ばしく活きることが、狩屋には少し難しい。それに加え、輝の抱く悩みを狩屋が抱くことはないだろう。
空が夜の重い青さに見舞われる。その寒色は少し肌寒い空気を地に降ろす。狩屋は居心地が悪く、唇を噛む。
「あのさ、辛気くさい所悪いんだけど」
微かに冷気を含んだ風が少年達の髪をさわさわと揺らす。噛んだ唇に親指を当て、くぐもった声音で狩屋は呟く。
「君は天馬くん達に輝って呼んで貰っているじゃないか」
輝はキョトンとした顔をする。狩屋は親指の爪をかじった。どうにも歯がゆそうに、目を伏せている。不思議そうに輝は狩屋の顔を覗き込む。狩屋は悔しそうに親指を舐めた。
「俺は、誰からも下の名前で呼ばれていないんだけど」
狩屋が言わんとしている意味がわかった時、輝は寂しそうに笑う。風が陰鬱とした空気を浚う。
「じゃあ、今度から僕が君をマサキって呼んであげる」
何も解決しないままに、小さな背中が二つ、闇に覆われた。






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