妻が死んだ。
妻とは見合い結婚だった。
器量はあまり良くなかったが、立ち振る舞いの美しい凛とした女であった。
何も言わず、笑うことも少なかった。
自分自身、仕事が忙しくて家に帰ることが少なかったため、妻と過ごした時間はごく僅かだった。淡々と、作業する女だった。
彼女がいなくなってはじめて、我の人生に女がいたことを感じた。
生活のあちこちに、対して構ってやれなかった妻の後ろ姿が見える。
食事、洗濯、熱帯魚の世話、花の水やり、あちこちに。
結婚生活もはじめの頃に、できればこどもがほしいと言った女の顔を思い出す。
そして、後悔。
睦事への関心の薄さから、求めることもなかった彼女に対して、やるせなく感じる。
妻は死んだ。
子供を庇って、走ってきた車に轢かれ、頭を強打した。打ちどころが悪かった。
あの女は、助けた男児に笑ったという。
自分を置いていった癖して。
俺は嫌われて当然の夫かもしれないが、こんなにも妻を必要としている。

もう一度、あいたい。






「やる」
短い言葉と共に差し出されたのは紅色の花だった。
小粒の花弁が丸く可愛らしい花だ。
「こんな花を飾るような家じゃないぞ、クンミ」
「アンタにだよ、アンタにくれてやるんだ」
面倒そうに、嫌嫌とした表情で後輩は言った。心做しか、窶れた顔をしている。
いまいち理解出来ず、花を見つめるとクンミは大きなため息をついた。
「一度だけ、花に願うんだよ。ユリに会いたいって」
「……それで」
「それでって……、アンタが嫌われてりゃ会えないんだろうよ」
後は勝手にしな、と花を押し付けて彼女は去っていってしまった。
残された花と後悔を抱き、我は目を瞑った。
妻の横顔を思い浮かべ、ゆっくりと目を開いてみたが、何も起きなかった。







いつもは灯っていないリビングの明かりがついている。おかしいと思って用心しながら入ると、妹と妻が並んで座っていた。楽しげにふたりは話している。
「あっ!おかえりなさい、お兄さま」
先に妹が我に気づくと、何時ものようにそう言った。妻もそれに続く。
「何故」
「あのね、私も凄く驚いたんだよ!学校から帰ってきたらユリさんが花壇の水やりしてて」
花園から帰ってきたんだって、と年の離れた妹は言う。
「……ユリ」
「はい、御飯の支度出来ていますよ」
「ぁ……いや、いい。貴様は動かなくていい」
妹を向くと柔らかい笑みを浮かべた妻に、心臓が跳ねた。きらきらと光が溢れている。
「それよりも、マリー……また来たのか」
「あら、お兄さまったらひどい言い草ね!心配して来てあげたのに!!」
セーラー服の襟を触りながら、妹は言う。
「お父様も口にはしないけれど、お兄さまが気の毒で心配でいるのよ」
「そうか」
「それにね…あの男の人はやっぱ信用出来ないみたい。はやく戻ってきなさいって」
「その話は聞き飽きた。何度言われても返事は同じだ、マリー」
「“帰らないわ”。私、今日は泊まることにしたの」
ぎゅっと妻の腕にしがみつく。普段しっかりとしている妹の幼い仕草に驚きながらも、それは認めることが出来ない。
「明日も学校があるだろう」
「ここから通うわ!それに、ユリさんがお弁当作ってくれるって!」
喜びを隠せない妹に妻は大人しくうなづいた。眠たげな瞳と一瞬視線が合った。
「お兄さまが送ってくれるでしょう?可愛い妹を心配しないはずないもの」
「ふたりとも、取り敢えず夕ご飯にしましょうか」
ソファーから立つと、キッチンへ向かう妻の背を見つめて細く息を吐いた。
「マリー、お前はあれがユリだと思うか」
「……私には何もわからないわ。今は嬉しい気持ちが大きくって」
けれど、と妹は繋げた。
「義姉はもう亡くなったのよ。生き返ることなんて有り得ないわ、人間であるのなら」
「そうだ。生き返ることはない」
「お兄さま、一体何をしたの?」
疑うというよりは探るような目。緩く結ばれた三つ編みを見つめて、我は後輩に貰った花のことを思った。
紅色の花。花言葉をしらないその花は願いを叶えてくれる花だったか。
「我は何もしてない。ただ」
口にするのを恐れた言葉は香ばしい香りに呑まれた。

君と、向き合いたい。





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