新しい家に新しい街。少しだけしょっぱいようなそんな気持ちのいい香りに誘われて、家を飛び出した。
気が付いたらここがどこなのか分からなくて、ただ、ご主人さまにもらった赤い首輪の鈴が、チリンとしょっぱい風に揺られて鳴っただけだった。
水玉模様の恋
今日の夕食を探すために重たい腰をあげた。するとすぐに自分の縄張りに異変があったことに気が付いた。磯の香りに混じった猫の匂い。舌打ちをしてからアスファルトを蹴る。春の日差しに熱せられたアスファルトは意外にも肉きゅうを痛める。あまり走りたくもなければ猫と一戦交えるのも面倒だ。
「めんどくせーな」
そう過ぎ去っていく風景にごちてから匂いを辿る。どんどん近付いてくる。甘い匂い。雌…にしては媚びるようなあの厭な甘ったるい匂いではない。かといってあの雄猫の腹の立つ匂いでもない。
「にゃあ」
赤崎の耳に届いたのは至極小さな鳴き声。目前にふわふわとした赤茶色のかたまり。
「おい、」
そう声をかけると赤茶色のかたまりは大袈裟なくらい飛び上がりそのままアスファルトに転げた。そのまま犬みたいに服従ポーズをとったままブルブルと震えている。闘う気も追い出す気も一気に萎えた。まだ子ども。それに飼い猫。見たことない顔…雄。
小さくため息をはきだすとまたビクビクっと震えて今度は涙目。いい加減にしろと肉きゅうで尻尾を踏んでやった。
「ぴにゃっ…」
大きな瞳からポロリと涙が溢れた。イライラする反面反応がいちいち大袈裟すぎて面白い。耳は元からなのだろうが、垂れていてさらに情けない。顔は可愛いが、どうみても雄。
「お前…ここが誰の縄張りだか知ってんの?」
「すすすすみませんっすみませんっ」
すすすってなんだよ。変なやつ。尻尾を離してやったら尻をアスファルトにつけたまま後退りしやがった。器用なやつ。それにしても、甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
赤崎はまだ身体が出来上がっていない猫にのし掛かると鼻先をふわふわの毛に擦り付ける。本当に甘い。
「にゃっにゃっ…?」
にゃーにゃーとくすぐったいのか身動ぐ。声まで甘ったるくて耳が痒い。けれど心地いい。
「お前、ここでなにしてんの?」
「あ、えと…」
言い淀んで少しだけ下がった眉が可愛くて舐めると一瞬強張ったが、すぐに気持ち良さそうにされるがままになっていた。
「おれっ…今日、引っ越してきて…でも…友達いなくて…なんかしょっぱい匂いもするし……ご主人さまの家も分かんなくて…」
一気に捲し立てるように言ってから寂しくなったのか、みーみーと泣き出してしまった。待て、俺はまだなにもしてない。とりあえず猫から退く。ヨタヨタと覚束無げに立ち上がった猫は一回り俺より小さかった。子猫だと思っていたが、そうでもなさそうだ。
「お前、なんてーの」
「?」
「なまえ」
「つ…つばき」
「つつばき?」
「ちがっ…椿」
性懲りもなくまた涙目になったので悪かったと謝る。調子狂う。
「俺は赤崎…、お前迷子だろ」
「違っ…おれっ…もう二歳だからっ…迷子じゃないッス」
なにを必死になっているのか、毛を逆立ててきやがった。生意気なやつ。いや、変なところで頑固なんだ。それにしても一歳しか違わないなんて詐欺だ。こんな頼り無い二歳。外に出たらひとたまりもない。いつから迷子かしらないが、小綺麗なままいれたのは運がいい。
「あー、分かった…とりあえずここは俺の縄張りだ…」
「ザキさんのっ?!」
いつの間にか俺のアダ名はザキさんになったらしい。突っ込むのも面倒でそうだと頷くとキラキラした目で見詰められる。
「すごいッス!ザキさんはすごいッス」
嬉しそうににゃーにゃー言いはじめたもんだからうるせえと一喝したら尻尾を下げてしょんぼりした。あーもう、本当に一歳しか違わないなんて詐欺。
「ほら、お前の家まで送ってやるよ」
「え」
「俺の縄張りで死なれちゃ困る」
「しぬ?」
説明するのも面倒くさくていーから着いてこいと言うとチリンチリンと鈴を鳴らしてあの甘い声でにゃっにゃっにゃっにゃっと鼻唄を歌いながら着いてきた。耳がくすぐったくて仕方ない。顔も緩んでる気がする。こんな顔、他の猫に見せられやしない。
「お前、海見たことあるか?」
「うみ?」
「でっかい水溜まり」
「でっかいみずたまり!!」
見たことないッス!そう言いながらぽてぽてと俺の隣に走ってきて顔を覗いてくる。今度見せてやるよと尻尾で椿の尻尾を撫でると、嬉しそうに笑んで尻尾を絡めてきた。
最近新しい家が建った。俺の縄張りに。工事の音が鬱陶しいと思っていたが、案の定コイツの家だった。家というか、施設みたいだった。人間の声が世話しない。大きなボールを蹴っていた。あれは確か、サッカーとかなんとか言っていたのを聞いたことがある。
「ここでいーのか?」
「ここッス…達海さんがカントクでおれのご主人さまッス」
「カントク?」
「エライ人ッス」
「ふーん」
俺は人間は嫌いだ。なんてことはコイツの前では言えそうにない。まあ、中には餌をくれる人間もいるから全部が全部嫌いなわけじゃない。
「じゃーな」
「えっザキさんっザキさんっ」
夕食をまだ探してないことに気がついたので帰ろうとした俺にまた椿が後ろから着いてきた。
「なんだよ」
「あの…あの…」
「また来る」
俯いていた椿のくるんと垂れた耳をかじかじと甘噛みして垂れた眉を舐める。椿はくすぐったそうにしながらも嬉しそうに笑っていた。
『椿ー?』
『椿どこだー』
「にゃっ」
ご主人さまと後藤さんだ。椿が振り向いてもう一度赤崎の方を向くともう赤崎の姿はなかった。椿はその場でくるくると回りみーみーと赤崎を探す。
『椿いた!もーどこいってたんだよお前はーったくもう』
『なんかすごい鳴いてるぞ…お腹減ってんだろきっと』
赤崎は木の影に隠れてジッと様子を伺っていた。椿は達海に抱き上げられても尚、赤崎の名前を呼んでいた。赤崎は真っ黒な耳をピンとたてて椿の声が聴こえなくなるまでそこから動かなかった。
(0421)
いつかやりたいと思ってたにゃんこパラレル。
野良猫の黒猫赤崎と飼い猫のスコティッシュフォールドのレッドタビー椿。
またまたゆるりとやりたいです。キャラ崩壊。