夜中にコッソリ寮を抜け出した。家出すらしたことのない自分にとってそれは刺激が強くて、心臓の音が夜の静間に響いているかのようだった。寮の裏から出ると、さっきの電話の相手が電灯の下でこちらに気付き酷く甘く笑ったのに、また心臓が煩くなった。




偉人が残したの言葉




 ベッドに入って、携帯を何をするでもなくいじっていたらいきなりディスプレイに名前が表示されて携帯が震えた。それが今日はかかるはずのない名前で、それを何度か反復して慌てて耳に押し当てた。

『つばき…』
「か…んとく?」

 どうしたんですかという言葉は次の監督の俺今どこにいるでしょう。という大きな声に遮られた。

「ちょっ…声」
『外にいるから、早く出てきて』

 いきなり声色が二人でいるときや、行為中のあの酷く甘く鋭い声に変わって、一気に身体中の力が抜けてしまった。

「っ…、」
『泊まる準備もしてこいよ、あ、でも早くな、』

 さっきの甘い声とは全く違うどこかからかうようなふざけたような声で要件を伝えると、俺の事情を聞きもせずに電話を切った。
 一瞬ボンヤリと虚しい機械音を聞いていたが、すぐに上着を着て用意してあった荷物を引っ付かんで外に飛び出た。
 電灯の下の監督のところまで走り荷物を置いて、いきなりなんですかという途中で腕を引っ張られ、よろけた先に監督の腕によって抱き締められた。監督の匂いに次いでお酒の臭いが鼻腔を擽った。監督はというと俺の首筋と髪に鼻を埋めては犬みたいに鼻を動かしている。

「かん、とく、くすぐったいです」
「ん、だってさ…つばき甘い匂いするし」
「酔って、ますね」

 監督の胸板に手を突っぱねると、弛んだ笑顔を貼り付けた監督に胸がドキリと拍動する。

「よってにゃーい、よ。…ほら、椿くん乗りたまえ俺の愛車だ」

 そう言って指差した先のものに目をみはる。

「自転車……ですか、」
「愛車です。パッカ2号です」

 監督はよろよろしながらなんの変鉄もない自転車に跨がり後ろを指差した。目が据わってるいつもより。危険を感じた俺は監督のカーキ色の上着を引っ張り首を振る。

「俺が漕ぎます、」

 お酒飲んだら自転車も駄目です。そう言うと、ここまできたんだけどと言う監督に、最低です。と、睨むと、もうしません。と、自転車から降りた。

「ねぇ、でも椿、大丈夫?」
「酔っぱらいよりは確実だと」

 椿くんって最近よく言うようになったよね。と、ニヘニヘと笑いながら俺の荷物を奪ってから自転車の荷台に此方に背を向けるように監督は乗った。そんな乗りかたして落ちても知りませんと言って、自分もサドルに跨がりよろよろしつつも、暗がりを少しだけ慣れた目を凝らしながら進む。監督はよろよろとする俺に、大丈夫かとか、下手くそとか後ろから声を投げてきて、降りますか。と言ったらピタリと止まった。
 暫く二人ぶんの重みに悲鳴をあげる自転車をひたすら漕いでクラブハウスまでの道を進む。

「なあ、怒ってる?」
「なんで…っすか」

 まだスピードに乗れず相当力を込め漕いでいるので息が些か上がる。

「今日ってか、昨日のこと、」
「…しょうがないです、よ」

 本当だったら昨日今日にかけての今の時間はクラブハウスの監督の部屋で個人反省会と称した、二人で過ごす時間だった。しかし、練習が終わってから監督はコーチ陣との飲みに行かなければならないとかで個人反省会は急遽無しになった。ただそれだけのことだった。別に自分の中ではそんなに気にしていなかったつもりだったのに、未練がましく携帯をいじっていた時点できっと、気になっていたのだろう。というか寂しかったのだ。そんなことを考えながら漕いでいたらいつのまにか背中に温もりを感じて、少しだけ振り向く。監督の髪の毛が首筋を掠めて、驚いて真正面に向き直るとけらけらと監督が笑う。

「寂しかったりした?」
「…んなこと、」
「無いって言っちゃうの?」

 またあの酷く甘い声が冷えた空気に触れて耳を擽った。身体中が熱くて、背中から監督の体温が流れ込んでいるかのように、合わさった背中が一番熱い。

「つばき、知ってる?」

 何をですかと言う言葉は熱に喉が溶けたのかなんなのか、上手く喉から出てこなかった。これも監督の声のせいだと思う。

「夏目漱石は、アイラブユーを何て訳したか…」
「へ、え?」

 なぜいきなり夏目漱石なのかとか、突っ込みどころは沢山あったが、監督の声音がそうさせなかった。サラリと監督の髪の毛が首筋をもう一度掠めて、監督が言葉を紡ぐ。

「月が綺麗ですね、」

 澄んだ宙へと残してくるような監督の言葉が、真後ろで聞こえて俺に届いた。さっきまでの熱はいつの間にかまだ寒い夜中の温度に冷まされていたが、背中だけは熱いくらいだった。監督の言葉を反復してチラリと宙へと視線をそらすと、ゆらりと浮かぶ月が視界へと飛び込んだ。

「綺麗な…話ですね」
「ん、」

 俺もそう思う。監督が後ろ向きに座った意味を漸く理解して、特等席ですね。と、言うと触れあった背中を揺らせて笑った。その振動につられて自分も笑う。

「椿…、…月が綺麗ですね、」

 監督が謡うように紡いだ言葉にカッと身体中が熱くなった。頭に監督の今の言葉だけがぐるぐると回っていた。

「つばき、あったけーな」
「っ…監督、こそ」
「ははっ、俺、酔っぱらいだし」

 いつの間にか緩やかな坂道になっていたようで、ペダルをこがなくても勝手に進んでいた。ゆったりと風を切りながらも監督の言葉はしっかりと耳に残っていた。けれど、きちんと答えることはまだしていなかったことをどこかボンヤリと思い出す。いまさらでもいいだろうかと頭を揺らして後頭部を監督の後頭部にコツンと当てると、また監督は柔らかく背中を揺らせて笑った。きっと監督は今、月を見上げてるのだろうなと思いながら熱い顔を冷ますように宙を仰いだ。


が綺麗ですね、




(110320)
煌羅への誕生日プレゼントでタツバキです。
今さらですが、漸くアップできました。
とりあえず初のタツバキな気がします。というかしっかり文にしたのは初めて。タツバキは何ていうか一番書きやすそうで一番難しいカプな気がします。達海さんのキャラが固定してそうでしないからだと思います。だって格好良いんです。一番。だからその格好良さを壱汰では表現出来ないので、難しいなと。さすがは達海さんですね。タツバキ頑張りたいです。
夏目漱石のI love youを月が綺麗ですねって訳したって話でずっと書きたかったんですがなかなか椿の相手が決まらず。赤崎では少し違うなと思い、王子か達海さんで迷って達海さんに決まりました。どちらにせよ、凄く詩的で夏目漱石はやはり文豪だと思います。その素敵なエピソードを使わせていただきました。

とりあえず、煌羅のみお持ち帰りで。
ハッピーバースデー3月10日、煌羅へ。

壱汰

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