夢に見知らぬ男が出てきた。

彼はどこか顔色の悪い、けれども明るく笑う青年であった。わたしはそれをどこか遠くからただ見下ろしているだけ。そんな不思議な夢だった。果たして彼が誰なのか、何歳なのかはわからない。なのにわたしは目を覚ましたとき確かに涙を零していたし、彼に対してなにか縁のようなものを感じたりしたのだった。

その青年はわたしより少し背が高くて、新緑の制服を着ていた。思い出して、彼が忍術学園の生徒だと気付く。肌は恐ろしいほどに白く、わたしは百日紅の木を思った。細めの白い四肢に新緑の布、細い白い幹に新緑の若葉。しかし幼いころにあれを折ろうとしたけれど折れなかったときのように、彼はどこか奥底から湧き出ているかのような力を瞳に湛えていた。神聖なその青年は周囲に「コーちゃん」と呼ばれていた。

どこかで聞いたような気がした。





目が覚める。何故かわたしは泣いていた。しとどに濡れた頬が冷たくて目が冴える。彼は誰なのだろうか、と考えるけれど、考えている理由は自分でもわからなかった。ただあの青年がわたしの脊髄を小刻みに揺らし続けるものだから、その振動で涙はひたすら零れ落ちるのだった。


「それって」


昼飯のときだ。


「コーちゃんだよ」


善法寺伊作が、ぼそぼそ雷蔵に夢のことを話していたわたしの声を聞いて、通りすがりにそう言ってきたのだ。コーちゃん。確かに夢で彼はそう呼ばれていた。けれど、先輩の声色で聞いて、わたしは違う人物も同時に浮かんだのだ。人物、否、故人と言うべきだろうか。確かコーちゃん、は善法寺先輩の所持していた骨格標本の名前だ。

思わず振り返れば、善法寺先輩は苦笑いに近い微妙な表情をしていた。わたしがあまりに変な表情をしていたのだろう、善法寺先輩はそれをちゃんとした笑顔に変えてからわたしの隣に座った。

「それってつまり」
「…僕の、先輩だった」

淡々とした口調で、先輩は残酷な事実を告げる。知人の白骨を持ち歩くなんて常人のやることではない。理由を問えば、先輩はしっかりと一文字一文字を丁寧にこう語るのだった。

「コーちゃんはね、優しくて、後輩思いのひとだったんだ。子供みたいな性格してて、虫が苦手で、顔色が悪くていっつも貧血気味でね。情けない顔して、それでも後輩の為に頑張るのが好きだったから、体術も忍術もずば抜けた技術だった。体力もないのに、無理しちゃってさ」

そしたらコーちゃん、僕を守ろうとして、死んだ。

ざわざわと雑踏が作り出す不協和音の中で、善法寺先輩はその事実を俺と雷蔵に伝えた。普通の会話のようなあくまで自然なテンポだった。雷蔵はぼろりと涙を零すと途端に箸を置いて黙り込む。向かいに座っていた低学年が、急いで咀嚼すると逃げるように席を離れていった。

「僕はコーちゃんが大好きだったから、コーちゃんがいなくなってから半年間何もできなくて、栄養失調になって死にかけるくらいやせて、そしたらある日、今はもういない…殉職してしまったとある先生が僕に、ひとつの骨格標本をくれたんだ」
「それが…」
「もしかしたら、なんだけどね。でも絶対、コーちゃんだ。って思って、骨格標本をコーちゃんと呼ぶことにしたんだ」

善法寺先輩は馬鹿馬鹿しいよね、と笑うと席を立って、わたしの頭に手を置いた。馬鹿馬鹿しくなんかない、馬鹿馬鹿しくなんかない。声は出なかった。ただ首を左右に揺らすわたしに、先輩はみそ汁が冷めるよ、と言う。

「夢枕に立たれたんだ、コーちゃんは大切なことを教えてくれる。もう一度夢に見たら、そのときはコーちゃんの言葉に耳を傾けてみたらいいよ」
「…はい」

わたしは少し冷えたみそ汁を啜った。雷蔵も啜った。いつもよりしょっぱい気がして雷蔵を見れば、目が合った彼はぐずぐずになった顔でにっと笑って、しょっぱいなあと言う。そうだな。

コーちゃんが夢枕に立つことはそれきりなかった。けれど後日善法寺先輩に見せてもらったその骨格標本は以前のようなおどろおどろしさはなくて、ああ確かにこれは骨格標本でなくコーちゃんなのだなあと、泣いた。





海の深きには何がある/晩節
120229