担任に呼ばれて職員室に来たはずなのに、当の本人が不在だった。せっかくの昼休みだけど、このままでは教室に戻ることもできなくて、しかたなく窓の外を眺めて待つ。なんとなく視線を落とした先に誰かがしゃがみこんでいて、それが幸村先輩だったことに気付く。
確か、何かの病気でしばらく入院していたと噂になっていたっけ。具合でも悪くなったのだろうか、と心配になって声をかける。
「大丈夫ですか?」
ゆっくりと顔を上げた幸村先輩は、困ったように笑っていた。顔色も悪くないようだし、見当違いなことを言ってしまったかもしれない。そう思ったものの今さらどうすることもできなくて、薄っぺらな言葉だけがこぼれ落ちた。
「あ、気分でも悪いのかと思って!突然、すみませんでした」
そうしてしばらく見つめあってから、幸村先輩が大きな声をあげて笑う。儚げなイメージと違って、豪快に笑う姿が印象的だった。
「ありがとう、心配いらない」
口角をきゅっと上げて、おどけたような表情を見せる。私のことなんて知るはずもないのに、まるで友だちに会ったかのように話をしてくれた。
「挨拶をしてたんだ、花たちに」
「花に、ですか?」
幸村先輩の視線の先にあるのは、壁に沿うようにして生えている雑草だけだ。正直にそれを言うのは躊躇われたので、ごまかすように口を閉ざす。
この人には、どんな風に世界が映っているのだろう。
「そう、それはそれは綺麗に咲くんだよ」
まるで遠く遠く先のことがわかるみたいに、いとおしそうに緑の葉を見つめている。歯の浮くようなセリフも幸村先輩にはよく似合っていて、窓を隔てて会話するこの状況が映画のワンシーンのようだったから、少しだけ泣きたくなった。
「……どんな花が咲くのか、私も見てみたいです」
「もちろん、今度は近くで見においで」
知りたい、あなたのことを。
見てほしい、私のことを。
またねと手を振るこの人は、私の名前を知らない。
教室に西日が差し込んで、放課後が訪れたことを知らせる。同級生たちがひとり、ふたりと教室を去っていくなか、切原だけが流れに逆らっていた。
「まだ帰んねーの?」
「先生に頼まれごとされちゃってさ、せっかくの金曜日なのにね!」
ふーん、と興味がないような声が聴こえてきたのに、一向に立ち去る気配がない。ちらりと見上げると、ちょっとだけ偉そうなポーズを取ってこちらを見ていた。
「手伝ってやるよ」
「ホント?でも部活が」
「二人で早く終わらせれば大丈夫、だと思う」
「切原って超良いやつ!ありがとう」
「……別に」
ぶっきらぼうな言葉のなかに、彼らしい優しさを見つけた。
「切原、ここ間違ってるよ」
「は?って、顔ちかっ」
「え?あ、眉毛はもじゃもじゃしてない」
猫みたいに鋭いその瞳は、どことなく不機嫌さをはらんでいる気がした。誰に指示されたわけでもないのに、視線をそらすことができない。
「この距離でさ、なーんも思わないわけ?」
「何を?」
物理的に近い、と思った。すっとした鼻筋と陶器のような肌が羨ましくて、綺麗な顔だね、とだけ伝える。その答えに呆れたように笑って、切原は椅子に深く座り直した。
「わりぃわりぃ、お前にはまだそういうの早かったかなー」
「……わかんないけどなんとなくわかった、失礼なこと考えてるでしょ」
愛なんてわからないけど、はじめて恋を知った。それは人生を薔薇色にするどころか、世界から色を奪っていく。
「よっしゃー!できたー!」
「あとは提出しにいくだけだね!」
「一人が片付け、一人は先生に渡しにいく感じで分担しよーぜ。ジャンケンな!」
「おっけー」
最初はグー、の掛け声が大きい。力の入れようからなんとなくパーを出せば勝てるような気がしていたら、案の定そうなったことに笑ってしまった。
「くそー!」
「あはは!いってらっしゃーい」
ひらりと手を振ったあと、片付けをすぐに終えてしまう。手持ち無沙汰になって、いつかのように窓の外を眺めることにした。遠くのほうでテニスをしている幸村先輩が見える。
「なに見てんの?」
「ぎゃっ、なんでもない!」
思いのほか早く戻ってきたことで、なにも隠せなかった。きっと私が見ていたものなんて、すぐにバレてしまうだろう。
「……お前、運動部に好きなやつでもいるわけ?」
「帰る!」
この状況に耐えられなくなって、鞄をしっかりと握りしめる。手伝ってくれたことのお礼も言わずに、勢いよく教室を飛び出した。
爽やかな朝なのに、暗い気分で校門をくぐる。目の前に見えるのは、おそらく朝練を終えた直後であろう幸村先輩と……切原。先週の気まずさもあって、なおさらふたりと距離を置きたい。そんな思いから急に歩みを遅めると、その怪しげな気配に気が付いてしまったようで、ふたりしてパッと後ろを振り向く。
「あれ、きみは」
「……おはようございます」
「ねぇ、君はもう見たかい?」
ひと呼吸おいて、その口元はお手本のように綺麗な弧を描く。その隣に切原がいるはずなのに、この両目は馬鹿みたいに先輩だけを映した。
「あの花、咲いてたよ」
見に行ってあげてね、と去る背中を見えなくなるまで追う。私のことなんて、一度も見てくれなかった。名前ですら興味を持ってもらえなくて、ただただ色褪せた世界が広がる。そんな中、もしかしてあの人のこと、と小さく呟く声が耳に届いた。
「なあ、なんで幸村部長なわけ」
震えるような弱々しい声からわかったのは、切原も私と同じなのだということ。自分のことを好きにならないとわかっている人に、恋なんてしたくなかった。だから、私は息をするように嘘をつく。
「……違うよ」
綺麗な世界が見たかった。
いつかこの嘘が、本当になりますように。
「だったら、俺と付き合って」
甘いなにかが身体を支配して、ひどく哀しい気持ちになる。私はゆっくりと瞬きをして、きみを捉えた。
「ねぇ、切原」
名前を呼んで欲しかった。
だから、私はきみの名前を呼ぶね。
「一緒にきてほしいところがあるんだけど」
一緒に花を見たかった。
だから、私はきみを誘うね。
「見て、こんなところに花が咲いてるんだよ」
「なに、おまえ花好きだったっけ?超似合わねー!」
「失礼だなぁ、女の子は綺麗なものが好きなの」
「綺麗かぁ?雑草にしちゃ、綺麗、なのか……?」
あの人を理解したかった。
幸村先輩が綺麗だというものを、私も綺麗だと思いたかった。でも、最初からどうしても雑草にしかみえなくて、今だってほら。花が咲いても、雑草は雑草でしかない。
だから、私はきみに共感するね。
「うーん、やっぱそうでもないよね」
「わりぃけど、どう見てもただの雑草じゃね?」
ハテナを浮かべる切原の手をとって、自分の指を絡める。そうすればきみは、遠慮がちに私の手を握りかえしてくれるはず。
幸村先輩から、恋を教わった。
だとしたら切原は、愛を教えてくれるのだろうか。
「付き合おっか」
きみを弱くするのは、私。
たった一言で全てがまあるく収まって、セピア色の世界が少しだけ色づいた。人生はたくさんの色で彩られるべきだ。
だけど、綺麗なものなんてここにはひとつもない。私の嘘に、きみはいずれ気付くだろう。後悔と、哀しさと、微かな希望。それらを胸に抱いたまま、同じ時を過ごす。
私を弱くするのは、きっと私だけ。
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