彼女ははっきりとした人だ。
嬉しいことには素直に礼を言い、嫌なことは理由と共に告げる。
そして優しく親切で、あまり本人を目の前にしては言えないのだが、かわいい。俺なんかでは持て余すくらいかわいい。
陶酔しているというのは、こういうことだろう。
彼氏という立場に、隣に立てるということに、彼女が俺だけに微笑んでくれるということに。
1
「ごめん!ちょっと来週のオーダー確認したいんだけど大丈夫かな?」
「わかった。じゃあ着替えたらまた部室で」
ぱちん、とウインクをして頼むとき。
それは彼女からの"一緒に帰ろう"という誘いだ。ちょっとした理由をつけるけれど、そんなものは建前でしかない。実際に確認は、もうとっくの前にした。
部長とマネージャーという関係から、俺達が付き合っていることを内緒にしようと言ったのは俺だった。
問題を起こした人間と俺のことを思っているヤツは少なくない。そんなのと付き合ってると知られたら、彼女までそう思われるかもしれない。……きっとあいつは大丈夫だと笑うのだろうけれど。
「ごめんね、遅くなっちゃって」
部室前に立っていると少しして、彼女が手を振りながらこちらに向かう。結んだ髪には、小さな花の髪飾りがついている。
「それ、つけてるんだな」
「わあっ!気づいてくれたの?」
「あげたやつだしな。それにそれ、部活の時はなかっただろ」
「なにかあって壊しちゃったら嫌だから、特別なときにだけつけようと思って」
かわいい。だってこんな事を言うなんて、思ってもみなかった。
先週一緒にでかけた時に、物欲しそうに見ていたからと、買ってやったヘアゴムをそんなに大切にしてくれるなんて。
「特別か?」
「うん。……だって、桔平くんと一緒に帰れるから」
彼女は思ったことを口にするタイプだ。嘘をつかずに、ダイレクトに言う。だからこういう時はひどく動揺してしまう。
本当にそう感じてくれたのだろうから。
「今日は少し遠回りして帰るか」
「やったあ!」
無邪気に笑う、この顔が好きでたまらない。
「桔平くん」
肩にかけたバックを持ち直して俺を呼ぶ。隣に並べば俺に寄り添い、ゆっくりと歩き出す。
いっそ恋人だとばらしてしまおうか、なんて。
2
いつもより落ち着きがないと、不二に指摘をされたのは部活が始まってすぐのことだった。
そんなのはわかっている。昼にあのメールがきた時から、多分ずっと落ち着いてなんかいないだろう。
"この前合同練習をした時忘れ物をしたみたいなの。
忙しい時期なのに悪いのだけど、放課後に青学に行っても大丈夫かな?"
すぐに了承のメールを送る。ドクン、ドクンと心臓がうるさい。
いつこちらに来るのだろう。そういえば今日は部活がないと言っていた。うちのものではないドリンクボトルがあると報告があったから、きっとそれだろう。
"久しぶりに会えるね。
あのね、すごく楽しみ"
彼女はいとも容易く俺を殺す。
それは彼女にとって何気ない一言であったり、ただ単に思ったから口に出した、そんな物で俺はひどく動揺する。
きっといつもと変わらない顔でこれを打って、そして俺に送り付けるのだからずいぶんとタチの 悪さだ。
「ごめんなさい、お邪魔しちゃって」
「いや、もう練習も終わったところだ」
「手塚くんっていつも優しいよね……ふふ、ありがとう」
きっと俺が優しいと思っている人間は彼女くらいだろう。それか、彼女の前だけ俺は優しくなれるのかもしれない。
ボトルを受け取った彼女は少し照れくさそうに礼を言い、束ねた髪をくるくると弄ぶ。恥ずかしい時に彼女のするくせだ。
ふと少し黄みがかった、花のついたヘアゴムに目が行く。見つめすぎていたのか、髪をいじるのをやめ、にこりと笑って彼女は言う。
「どうかな、これ」
「ああ、よく似合ってる」
「えへへ、やった!」
「……そんなに喜ぶほどか?」
「これね、"彼氏"にもらったものだから…そう言ってくれると嬉しいな」
胸がはねる。血の巡りがわかるくらいに心臓が動いていて、俺の思考をどんどんとかき乱していく。
彼氏。
今、たしかに彼氏と言った。
「えっ!彼氏いたの!?」
「ウソッ!?初耳なんすけど!!」
遠くでレギュラーたちの悲鳴にも似た声が聞こえる。恥ずかしい事に、俺の彼女への気持ちは筒抜けだ。野次馬精神で聞いていたのだろう、俺達の会話に今頃顔を青くしてるに違いない。
……多分不二あたりが楽しそうに笑って、俺を慰めるんだろう。
「手塚くん?」
あいつらはまだ知らない。
彼女が俺を国光くんと呼ぶことを。そのヘアゴムを買ったのは俺だということを。そして彼女のいう彼氏が俺だということを。
ぺろりと出した彼女の舌を見て、そのままかぶりついたら、あいつらはどう思うのだろうなんて。らしくないことを考えた。
3
もしも彼氏ができた日に、別の人からも告白されたら、どうする?
例えばルックスはどちらも好みで、性格だって二人ともいい。さらに言うとどちらも"同じくらい好き"だったら。
「ごめんね、ちょっと意地悪したくなっちゃって」
この時間に手塚くん、もとい、国光くんに電話をかけるように約束したのは付き合ったその日。お互い学校が違うから、せめて曜日を決めて電話をしようと、私から言い出した。
『まったく…お前が帰ってから同情される身にもなってくれ』
「ちょっと見てみたかったかも」
「こっちは笑いを隠すのに必死だぞ」
国光くんは、桔平くんと付き合ったその日に、電話で告白された。元々彼が私に好意を持っていたのは知っていたし、いつかはなんて思ってもいたけれど…まさかこんなタイミングでなんて想像の範疇外で。
「好きだから」
この言葉に嘘なんてない。私はあなたが好き。ただ、あなただけじゃないだけで。
「ちょっとね、自慢したくなっちゃったの。素敵なプレゼントをしてくれる彼氏がいるってこと」
まあ、同じものを桔平くんからも貰ってるんだけどね。
『だったら……』
「ダメだよ、私達って部活に関してはいわば敵同士だよ?それなのに付き合ってるなんて言ったら」
もしも桔平くんが、秘密にしようと言わなければ、私はどうしていたのだろう。
彼と一緒に緩やかな恋に身を任せて、いわゆる「普通の恋愛」を楽しむのかもしれない。もしかしたら、国光くんに乗り換えていたのかもしれない。
『なんだか、ロミオとジュリエットみたいだな』
きっと私は、今よりもっとスリリングなその状況を楽しんだに違いない。
私にだって罪悪感というものは存在するし、倫理観からやめようと思う気持ちもある。
「たしかに似てるかも」
救いようのないところとか……さ。
悪いとわかっていても私はそれをやめない。
けれど甘い言葉で誘って、彼らの優しさを心身に受け取って。
無条件に愛されるのは、それはとても、気持ちのいいことなのだ。
私は、割とはっきりとしている。
嬉しいことには素直に礼を言い、嫌なことは理由と共に告げる。
できるだけ優しく親切にするし、あまり人には言えないけど、かわいいと思う。
彼氏なんて二人いるし、けっこう私にメロメロだ。
陶酔しているというのは、こういうことなのかな?
彼氏という立場に、隣に立てるということに、俺だけに微笑んでくれると、思っている。
そんなあなた達が愛おしくて、大好き。
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