「ノブツナ!」
 叫ぶ声に、反射的に振り向く。敵を目の前にして、愚かな行為だというのは百も承知だ。身にしみてわかっていたはずだというのに、それでもそちらを見てしまうほどの切羽詰った響きが、その声にはあった。
 振り向いた視界に映ったのは、まさにノブツナが弾き飛ばされるその瞬間だった。クシャルダオラの操る絶対的な風に翻弄され、必死で手を伸ばす。何かに掴まろうとした反射的な行動にすぎなかったが、その手を取ったのは、偶然にも近くにいたビリーだった。
 普段ならば、踏み止まれたに違いない。だが今、ビリーのいた位置はあまりにも悪かった。崖の縁ぎりぎりのところで、それでもどうにかバランスを取ろうとしたその脚をクシャルダオラの風がすくう。
「……っ!」
「ビリー!」
 セブンの声が響く。それをかき消すようにして、クシャルダオラが咆哮をあげる。耳をつんざく咆哮のなか、ノブツナとビリー、ふたりの姿はあまりにもあっけなく、崖下へと消えた。そちらに立ち位置の近かったセブンが崖へと駆け寄り、その下を覗き込む。がら空きになったその背中を襲う烈風に対し、アッシュは剣を掲げて盾となった。
「おい! どうだ!?」
「駄目だ……見えない!」
 アッシュは思わず舌打ちする。ひどい吹雪なのだ。視界はあまりにも悪い。だが見えないということは、崖の途中に引っかかっている可能性だってあるということだ。同じことを考えたはずのセブンは、時間を無駄にはしなかった。すばやくクシャルダオラに向き直り、ランスを抜き放つ。
「ちょっとそこ、どいて貰うぜ」
「可及的速やかにな」
 もし、下まで落ちてしまっていたとしても。崖はあまりにも高いが、その下にあるのは恐ろしく深い河だ。
(急げば、間に合うかもしれない)
 ふたりを奮い立たせているのは、ただそれのみだった。決定的なものを見るまでは、認めるわけにはいかない。
 ゆらり、と陽炎のように立ち昇るふたりの闘気にか、クシャルダオラがわずかにたじろいだように見えた。


     ***


「……う、」
 まぶたが重い。まだ眠っていたい。靄のかかる思考で、それでも寒さを感じて身体が震える。その途端、激痛が走って、ノブツナは盛大にうめいた。
(なんだ……?)
 無理やりにまぶたを押し上げる。うっすらと開いた視界に映ったのは、どんよりと垂れ込めた空だった。ゆったりと霧が流れている。ここは、どこなのだろう。思考がまとまらない。ぼんやりと視線を巡らす。と、視界の端を金色が掠めた。そちらへと緩慢に顔を向け、次の瞬間、ぎょっと目を見開く。
「ビリー!?」
 ビリーがそこに横たわっていた。うつ伏せの体勢で、わずかに見える顔はひどく青い。反射的にがばりと身を起こす。激痛が走り抜けたが、そんなものにかまってはいられない。奥歯を噛み締めてやりすごし、ビリーへと手を伸ばそうとして、その手は止まった。ビリーの手が、ノブツナの手をしっかりと握っている。それを見て、ようやく記憶が甦る。
(クシャルダオラ……!)
 フィールドは、今となっては懐かしいフラヒヤ山脈だ。拠点をユクモ村に移してからは、訪れることのなかった場所。だが、以前の拠点であるポッケ村の村長から、救援要請を受けては黙っていられない。急ぎ駆けつけた彼らを待っていたのは、古龍クシャルダオラが雪山に現れたという知らせと、この村に置いていった懐かしい装備の数々だった。もう二度と着けることはないだろうと思っていた装備に身を包み、雪山へと向かったノブツナたちを、咆哮で迎えたクシャルダオラ……
(油断、か)
 ぎり、と奥歯を噛み締める。油断がなかったと言えば嘘になる。ギルドに認められ、G級ハンターとして活動していた場所だ。懐かしい人たちに再会し、馴染んだ装備で、馴染んだフィールドで、かつて何度も戦った敵を相手にする。それでも、相手はモンスターなのだ。油断など、絶対にしてはいけなかったのに。
 その結果が、これだ。烈風で吹き飛ばされ、宙に浮いてしまって、反射的に掴まるものを探したのは覚えている。その後、手を掴まれたこともだ。これを放したら終わりだと思って、力をこめた。そこで記憶は途切れている。まさか、そのせいでビリーを巻き込んでしまったのだろうか。
「ビリー?」
 呼びかけてみるが、返事はない。完全に気絶しているようだった。青褪めた頬に、伏せられた瞼がまるで死んでいるようで、ぞっとする。気絶しながらも固く掴まれた手をどうにか引き剥がして呼吸を確認すると、浅いが息はしている。とりあえずは安心して、息をついた。だが、状況は厳しい。
 周囲を見渡してみると、そこは見たことのない場所だった。目の前には急な河の流れがある。ぐるりと曲がったその川岸には、何かの骨が散乱していた。その中に、どうやら相当に古いヒトの頭蓋骨らしきものを発見して、息をのむ。ひとつ間違えれば、こうなっていたかもしれないのだ。そして背後には、おそらく深いだろうとひと目でわかる森が広がっている。霧が深く、視界が悪いが、見える範囲には敵となるようなモンスターはいない。ひとまずはそのことに安堵して、己の状況を確認した。骨が折れたりはしていないようだ。ポーチの中身も、奇跡的に無事だった。そのなかから無事だったホットドリンクを探し出し、一気に煽る。じわりと身体の内側から沸いてくる熱に、ひと心地ついた。改めて点検してみると、全身をひどく打ち、あちこちを擦り剥いているようだったが、このくらいならば問題ないだろう。だが、ビリーはそうはいかなかったようだ。明らかにダメージを受けているのは、左腕だ。妙な角度に曲がってしまっているところを見ると、どうやら骨折か、あるいは脱臼をしているようだ。うつ伏せなので、詳しい状況は不明だ。もし頭を打っているならば、下手に動かさないほうがいいだろう。だが、全身は濡れているし、このまま放置しておくわけにはいかない。身体が冷え切ってしまっているから、このままでは低体温症になりかねない。思い切って、ノブツナはビリーを抱えあげた。気絶した人間の身体は、ひどく重い。細心の注意を払って、ビリーの顔を上に向ける。そうしておいて、ぺたぺたと頬を叩いてみた。その皮膚の冷たさに、肝が冷える。
「ビリー、起きろ」
 何度か呼びかけて、ようやくゆっくりとビリーの瞼が上がる。ぼんやりと宙を見つめる様子に、少し不安になった。意識がはっきりしている訳ではなさそうだ。
「ビリー。大丈夫か?」
 大丈夫なわけがない。だが何か声をかけなければ、と思って出てきた言葉がこれだ。金色の瞳が緩慢にこちらを見る。ノブツナに焦点を合わせて、ふと唇が開いた。何かを言おうとして、かるく咳き込む。途端に盛大に顔をしかめたビリーは、やはり全身が痛むらしい。
「……の、ぶつな」
 げほ、と水と血の混じったものを吐き出して、ビリーはかすれた声で返事をする。ノブツナは残っていたホットドリンクを、ビリーに見えるように掲げた。
「飲めるか? 寒いだろう」
 ホットドリンクは結構な辛さもある。気つけにもなるだろうと判断しての事だったが、ビリーは幸いにも、素直に頷いてくれた。ほっとして口元にあてがってやると、少しずつ喉に流し込む。時おり咳き込みながらも、なんとかビリーはそれを飲み干した。
「偉いぞビリー」
 思わずそう言ってしまったノブツナがおかしかったのか、ビリーはかすかに唇をゆがめた。笑えるなら、ひとまずは大丈夫だろう。ノブツナは安堵する。
「よし。ドリンクが効いてる間に移動して、火を起こそう。多分すぐには帰れないだろうから」
 緩慢に頷くビリーに肩を貸して、ゆっくりと立ち上がる。身体のあちこちが痛むが、それでも動けるだけましだ。ビリーの様子を伺うと、痛みにか顔を歪めている。その左腕は力が入らないようで、ぶらりと垂れ下がったままだ。その視線に気付いたビリーは、かすれた声で言った。
「折れては、いない。脱臼してるみたい」
「……腕だけか?」
「あと、あばらが……折れてるかな。2本か、3本」
 ノブツナは顔をしかめた。それは結構な重症だ。本来ならすぐにでも医者のところへ連れて行くべきなのだろうが、あいにくそれはかなわない。
 ひとまずは、落ち着ける場所を探さなくてはならない。痛む足を引きずりつつ、ビリーを支えて、ノブツナはゆっくりと足を踏み出した。


     ***


「……ビリー」
 思わず、アッシュは呟いた。セブンも厳しい顔をしている。
 あのあと、いつにない速さでクシャルダオラを撃退し、ギルドに話を通して猟団の皆に連絡してもらい、そのまま取って返して現場を見に来たのだ。あのときの吹雪が嘘のように、いまは晴れ渡っている。おかげで視界は良好だ。そうして目の良いふたりは、崖の中ほどに突き立った片手剣を発見した。遠目でははっきりと確認できないが、ビリーが携えていた武器と同じもののように見える。その剣が突き立っているところまで、崖が派手に削られた跡があった。落下の途中、剣を抜き放って崖に突き立て、壁面を削りながら落下したのだとわかる。おそらくそうすることで、少しでも落下のスピードを緩めようとしたのだろう。だが、ビリーはノブツナの手を捕まえていたはずだ。そのときには既に手が離れてしまっていたのか、あるいは手を離さないままにそれだけのことをしてのけたのか。どちらにせよ、ビリーには相当な負担がかかったはずだ。遠目で見れば平らに近い崖でも、岩肌が大きく膨らんでいるところだってある。そんなところに身体がぶつかればひとたまりもない。人間の身体などあっという間に潰れてしまうだろうが、幸いなことにふたりのいる位置からは、血痕などは確認できなかった。
「……下も、見てみないと」
 セブンの言葉に、緩慢に頷く。ここへ登ってくる間に河を見たが、あまりにも流れが速すぎた。今は春、雪解けの時期だ。他のどの時期よりも、河の水は多い。地面に叩きつけられるのを免れていたとしても、あの河に飲み込まれたら、果たして無事でいられるだろうか。最悪の可能性が脳裏をよぎる。だが、アッシュは無理やりにそれをもみ消した。さっきからずっとその繰り返しだ。とにかく遺体が発見されでもしない限り、アッシュは諦めるつもりはない。それはセブンも同じはずだった。
「あいつら、いつごろ着くかな」
 こぼしたアッシュの言葉を拾ったのはセブンだ。
「ジャックとファルトがそろそろユクモに帰ってる頃だし、あのふたりは早く着くと思う」
「そうだな。スカイとリクとミスターは……どこ行ったんだかわかんねえし」
 だが、ギルドからの知らせを見れば動いてくれるはずだ。ここへ来てもできることはそう多くはないが、あのふたりを捜すならば人手は必要だ。早く到着してくれることを祈るしかない。だが早く着くといっても、大陸は広い。1日や2日で到着できるものではないのだ。位置のはっきりしているユクモ村からでも、早くても4日はかかるだろう。
「アッシュ、落ち着こう。焦ったって何もいいことない」
「わかってる」
 セブンの言葉は、アッシュに向けているようで、その実は己に向けて言った言葉のようだった。それがわかっていても、アッシュは律儀に返事をする。
「まずは情報だ。あいつらが到着したら、すぐ動けるように」
「だな」
 頷きあって、ふたりは山を降りた。狩りのときには決して通らない道を通り、河の様子を見てみたが、やはりノブツナとビリーの姿はない。あの崖の下は、地面ではなく水だった。その事実にほっとしながらも、しかし落ちた二人の姿が見えないことが、アッシュとセブンを不安にさせていた。


 驚いたことに、その日の夜には、よく知っている人物が顔を出した。リクだ。
「あの知らせ、マジか」
 いつもへらへら笑っているリクが、ひどく真剣な顔をしている。
「あんなタチの悪い冗談、誰がかますんだよ。マジに決まってんだろ。……早かったな」
「たまたま近くにいたんだよ」
 そうは言うが、リクは相当な強行軍でこちらへと駆けつけたようだった。疲れたように、どさりと椅子に腰掛ける。ここはポッケ村の集会所だ。かつてはここで馬鹿騒ぎをやったものだが、今はすこぶる静かだ。カップの水を飲み干して、リクは状況の説明を求めた。アッシュとセブンがかわるがわる話すのを黙って聞き、眉をひそめる。
「要するに、ノブツナとビリーは、崖から落ちて河に飲まれた。目の届く範囲では姿が見えないから、流されていったんじゃないかと、そういうことか」
 ふたりが頷くと、リクはじっと考え込む。暫くそうしていたが、ふと顔を上げた。ガタンと音を立てて椅子から立ち上がり、ふたりを集会所の外へと連れ出す。少し歩いた広場の端で、ようやく彼は口火を切った。
「……雪山のベースキャンプから、眼下に広がる森が見えるだろ」
 急に何を言い出すのかと、アッシュとセブンは顔を見合わせる。リクはどこまでも真面目な顔だ。
「あそこからもう少し下流に下ったあたりに、いつも霧のかかった樹海がある。バテュバトムの樹海とは全く違う、昼間でも薄暗い場所なんだけど……このあたりじゃ、そこを墓場と呼んでる」
「……おい」
 不吉なことを言うなよ、と言いかけたアッシュを、リクは制した。深刻な面持ちで続ける。
「そこが墓場と呼ばれる理由は2つ。雪山でうっかり大河に呑まれたものが、そのあたりに流れ着くことが多いこと。それから、自分の死期を悟ったモンスターが、どうやらそこへ向かって死を待つらしいこと」
 だから、ノブツナたちもそこへ流れ着いたかもしれない。そう続けるリクに、アッシュは詰め寄った。
「おまえは、そこを知ってんのか」
「知ってる。でも今は駄目だ」
「なんでだよ!」
 セブンに襟首を掴まれて、それでもリクは少し眉をひそめただけだった。
「落ち着け。樹海は広いし、地図だってない。探索するには人手がいる」
 皆が到着するまで待て、と言われ、アッシュは葛藤する。理屈では正しい。だが、早く捜しに行きたい感情が邪魔をする。そんなアッシュとセブンの首筋をがっちりと捕まえて、リクは声をひそめた。
「……それに、あそこはギルドが立入禁止に指定してる。行くなら許可を取っていくか、こっそり行くかだけど……俺の知る限り、許可が下りた前例はない」
 だからあんまり公言すんなよ、と念を押されて、アッシュとセブンはふたたび顔を見合わせた。


     ***


 歩きながら周囲を観察してみると、かなりの範囲にわたって森が広がっているようだった。葉の密度が濃く、霧のせいもあって光が差し込んでこない。印象としては、旧沼地と呼ばれているジォ・テラード湿地帯に近いものがあった。だが、あの土地に比べて、気温は格段に低い。フラヒヤ山脈が見えれば、だいたいの方角がわかるのだろうが、あいにく森のなかでそれは望めそうにない。木にでも登れば見えるのかもしれないが、そうする体力と気力は残っていない。ならばと腰にぶら下げたコンパスにちらりと視線を走らせると、コンパスの針はぐるぐると回って安定しない。ノブツナはため息をついた。ここではコンパスも使えないらしい。そういう場所があることは知っていたが、まさか足を踏み入れることになるとは思わなかった。
 だが幸い、良さそうな場所を見つけたので、ノブツナは慎重にビリーを座らせた。大きな何かの骨が何本か地面に刺さり、その上に蔦や苔が茂って、簡易テントのような形状になっている。もし雨が降ったとしても、ここならしのげるだろうと判断して、ノブツナは手早く火をおこした。霧のせいか何もかもが湿っているが、比較的乾いた枯れ木を集め、消えないように調節する。ビリーは荒い息をつきながらじっとしていたが、火が起こるとこちらへにじり寄ってきた。その腰に武器がないことに、ノブツナは遅まきながら気付く。
「ビリー、武器をどうした?」
 ビリーの腰には、剥ぎ取りの時に使うナイフしか見当たらない。ビリーはぱちぱちと目を瞬いた。
「……多分、崖の途中に突き刺さってると思うよ」
 折れはしなかったから、というビリーの言葉に、ノブツナは首をかしげた。視線だけで説明を促すと、ビリーは渋々ながら語った。このまま落ちると死ぬと思って、ノブツナの手を握り締めたまま、片手剣を岸壁に突き立てた。その話を聞いて、ノブツナは仰天する。ずいぶんと無茶をするものだ。
「おまえ、じゃあその腕って」
「壁を削りながらだいぶ落ちたんだけど、剣が何かに引っかかって止まったときに外れたんだと思う」
 ノブツナは顔をしかめた。ふたりぶんの体重と、加速度がかかっていたのだろう。聞いているだけで痛い話だ。脱臼してしまっている肩を撫でて、ビリーは続ける。
「まあでも、こうして生きてたことだし」
 ビリーは語らないが、おそらく剣から手を離した後も、彼はノブツナをかばってくれたに違いない。でなければ、ノブツナだって骨の1本や2本は折っていたはずだ。ビリーだって脱臼と骨折ですんだのは、奇跡的だというほかない。本来ならば、あの高さから落ちて生きていられるはずがないからだ。
 ありがとうな、と口にしかけて、ビリーの視線がそれを止める。わずかにかぶりを振ったのは、貸し借りはなしだということらしい。ビリーらしいと苦笑して、ノブツナは別のことを口にした。
「とりあえず、ポーチの中身を確認しておこう。俺のほうはおおむね無事だったけど、ビリーはどうだ?」
 ビリーは右腕だけで器用にポーチを外し、その中身を見せた。携帯食料が数個と、生命の粉塵がふたつ。回復薬グレートが3つ。それで全てだった。これだけ残っただけでも良しとするべきだろう。ノブツナの手持ちと合わせても、どう考えてもサバイバルには不足だ。
「……しょうがねえな。ちょっと周りを見てくる。何か使えそうなもんがあったら、とってくるよ。ビリーは火を見ててくれるか?」
 こっくりと頷くビリーに頷き返して、ノブツナは立ち上がった。その途端に忘れかけていた激痛が走り、顔が歪む。
「大丈夫?」
 だが、ビリーのほうが重症なのは確かなのだ。心配させる訳にはいかないと、ノブツナは無理やりに笑みを浮かべた。
「全然。骨も折れてないしな。行ってくる」
 ビリーに手を振って森に分け入り、改めてコンパスを確認する。できるだけ地面と水平に保ち、静止させようとしてみるが、無駄なことだった。何をしても針は安定せず、従って方向も判らない。迷って合流できないなどということになったら目も当てられないので、ノブツナは仕方なしに木の幹に小さな傷をつけながら移動することにした。あまり褒められた行為ではないが、背に腹は替えられないのだ。どこを見ても同じような木が立ち並び、少し目を離せば己の場所すら判らなくなる。普段の狩りでも似たような場所に分け入ることはあるが、あれは他のハンターたちも入り込む場所であり、小さいながらも道ができている。ここには人間が通った跡というものが全くなかった。
(救助は……望めないだろうな)
 ノブツナは奇妙に冷静な頭で、そう考えた。偶然に人が通りかかる可能性は皆無だ。ここはおそらく狩り場ではない。そして、ノブツナたちがここにいることを知っているのは誰もいない。一緒に狩りに出ていたアッシュとセブンは、ふたりが河に落ちたことに気付いているだろう。だが、たとえここまで探しにくるとしても、随分と時間がかかるに違いない。
(手詰まりか)
 考えても詮無いことだ。ノブツナは頭を切り替えた。救助が期待できないのなら、自力でなんとかするしかない。自力でなんとかするには、まず体調と装備を整えることだ。自分ひとり、あるいは普段のビリーとならなんとでもなるが、今のビリーは手負いだ。無理をさせるわけにはいかない。
 ハンターの第一は生き残ることだ。ノブツナは気合を入れて探索にかかることにした。


 空が薄暗くなる頃にノブツナが戻ってくると、ビリーは己の左手をゆっくりと動かしているところだった。感覚を確かめるようなそれに、ノブツナは目をしばたく。
「……自分で、治したのか」
 外れていた肩の関節が、きれいに嵌っている。腫れているようだが、こればかりは仕方ないだろう。ビリーは頷いて、腰に下げていた布で、患部を手早く固定した。しばらくはできるだけ動かさないようにしないと、脱臼は癖になるのだ。狩りの最中に関節が外れるなど、考えただけでぞっとする。
「さすがに、自分の脱臼を治すのは、初めてだったけど」
 うまくいってよかった、とビリーはどこか他人事のように呟いた。そうしてノブツナを見上げる。
「どうだった?」
 ノブツナは肩をすくめて、ビリーの隣に腰を下ろした。腕が触れるほど近くにあえてそうしたのは、日が陰って気温が下がってきたからだ。吐く息はすでに白い。ポーチの中身を見せて、状況を説明した。
「あんまり良くはないな。見たことのない植物ばっかで、使えるかどうか判断がつかない。それから動物も見かけなかったな……とりあえず、薬草とアオキノコだけはあって困るもんじゃないし、採ってきた」
 ケルビでもいればなあ、とこぼすノブツナに、ビリーが頷く。ケルビの肉やホワイトレバーは美味しいし、上質な毛皮も取れる。角は薬にもなるしで、こんなサバイバルにはもってこいの動物なのだ。だが、いないのならば仕方がない。肩を落とすノブツナに、ビリーは炙った肉を手渡した。先ほどポーチから出していった肉を、ビリーが焼いていてくれたらしい。礼を言ってかぶりつく。焦げ目のついた肉は、実に美味かった。
「ビリーは食わないのか」
 ふと見ると、ビリーは何も持っていない。
「俺はあんまり、食欲ないから」
 携帯食料で充分、と言ったビリーに、ノブツナは肉を食べる手を止める。ビリーは決して太ってはいないが、猟団のなかでも1,2を争う大食いだ。その彼が食欲がないと言う。どう考えてもおかしい。ノブツナは手についた脂を拭き取ってから、ビリーの額に手を当てた。ノブツナの手が冷たかったのか、ビリーは気持ち良さそうに目を細める。
「……熱があるじゃないか」
「そうなの?」
 あまりにも他人事の台詞だったが、ビリーは本当に自覚がないようだった。とはいえあまり高い熱ではないようだ。怪我や水に濡れたせいで体温が上がっているのだろうか。だが、悪化しては大変だ。暖かくして安静に、と言いたいところだったが、それはここでは無理な相談だ。安静に、はともかく、暖かくするには絶対的に物資が足りない。天然のテントのおかげで風は防げるが、地面から這い上がってくる冷気ばかりはどうしようもない。どうにかできないか、と考え込むノブツナを横目に、ビリーが大きなあくびをする。ごしごしと目を擦るビリーに、ノブツナはため息をついた。考えていても、ないものはどうしようもない。ともかく火があるだけましだと思うことにして、ぽんぽんとあぐらをかいた膝を叩く。
「枕がいるか?」
 ビリーは眠そうにしながらも、一応の抵抗を見せた。
「……ノブツナは、寝ないの」
「俺はほら、火を見てるから」
「……じゃあ借りる」
 やはり痛むらしい身体をかばうようにしてゆっくりと横になったビリーが、ノブツナの膝にちょこんと頭を乗せる。
「……固い」
「まぁ、男の膝だからなぁ」
 できるだけ寝ろよ、とビリーの頭を撫でる。さすがに時間がたったせいか乾いてきてはいたが、ひどく冷え切っているのが気になった。ポッケ村に戻るときに染料を落とした金髪も少しごわついている。ビリーは器用に頷いて、目を閉じた。あとに残るのは、静かな呼吸音だ。
(さて、やることなくなっちまったな)
 ポーチの中を探り、タバコを取り出す。湿気を吸ったそれを恨めしげに眺めてから、ひとつ銜えた。やはり、こうしていないと収まりが悪い。火をつけて思い切り吸い込みたいところだが、おそらく火はつかないだろう。それに、膝にはビリーの頭がある。自分で言ったことなので身動きをとるのは諦めて、ノブツナはぼんやりと焚き火を眺めた。




 何かの音を聞きつけて、ビリーは目を覚ました。どのくらい眠っていたのか、空はまだ暗い。目覚めと同時に襲ってくる疼痛に、顔をしかめる。ゆっくりと身体を起こすと、火の番をしていたはずのノブツナは、背負っていた太刀を抱え、そこに腕と顎を乗せて眠っている。唇の端に火のついていないタバコがぶら下がっているのが気にはなったが、彼も体力を削られているのは確かだ。居眠りしたところで無理もないと判断して、ビリーは確保しておいた薪を火にくべた。勢いの弱まっていた火は新しい燃料を得て、少しずつ大きさを回復する。その様子にほっと息をついて、ビリーは周囲の様子を探った。ぱちぱちという炎の音に混じり、先ほど確かに何かを聞いたのだ。
(何かいるのか?)
 ここに腰を落ち着けてから、ずっと感じていたことだが、この森はあまりにも、生き物の気配がない。植物は生い茂って生き生きしているし、昆虫だってよくいる。だが、それだけだ。狩りの最中によく見かける動物の姿は、一切ない。こんなに植物があるのに、繁殖力が強く、どこにでも生息するはずの草食動物の姿すら全くないのは、異常なことだ。だが、そんなことは言っていても始まらないし、いないものは仕方がない。けれども何かがいるのなら、確保しておきたいと思うのはハンターとしては当たり前のことだ。今のビリーにそれができるかは微妙なところだが、場所を特定するだけでも成果になるだろう。ノブツナを起こすまでもない、とビリーは判断を下す。
 痛む身体をかばいながら、ビリーはそっと立ち上がった。気配を殺し、音を立てないように注意して、焚き火のそばを離れる。ゆっくりとした足取りで、森の中へと分け入った。同じような木ばかりが生えているので、一応の目印として、木の幹にナイフで傷をつけながら進む。森の中は静寂に満ちているが、ビリーの耳はかすかな呼吸音を捉えた。何か、それなりの大きさの生物がいるらしい。その方向に向かって、ビリーは慎重に歩を進める。気配は、むろん殺したままだ。胸郭の痛みに息が上がりそうになるが、それを無理やりに押し殺す。普段とは比べ物にならないゆっくりとしたペースで、ビリーは深い森の奥へと進んだ。
 どれくらい進んだか判らなくなる頃、呼吸音に混じり、かすかに金属の擦れるような音がした。はっとして、ビリーは立ち止まる。聞きなれた音だ。武器の触れ合う音よりも、更に高く繊細な音。竜の鱗が擦れあって出る音のはずだった。
(竜がいる?)
 だが、それにしては変だ。竜の身体は大きい。だからそこにいるだけで、強烈な存在感をもたらす。彼らは王者であり、気配を殺す必要などないからだ。それなのに、そんな気配はまったくない。まるで弱弱しい生命の気配だけが漂っている。不思議に思いながら、ビリーはふたたび歩を進めた。木の間を通り抜け、茂みを越えて目をこらす。
 そこにいたのは、黄金に輝く鱗を持った火竜だった。頭と尾をくるりと丸めて地面に伏せているが、そうしていても判るほどに大きな身体を持っている。希少種と称されるだけあって、遭遇することは非常に稀な竜ではあるが、こんなにも立派なリオレイア希少種を、ビリーは初めて見た。もし討伐していれば、間違いなくキングサイズとなるだろう。――だが、彼女から感じる気配は、あまりにも弱弱しい。
「…………」
 あたりは薄暗い。それでも、茂る葉の間から月の光がわずかに差し込んで、金色の鱗を輝かせていた。たちこめる霧もあいまって、ひどく幻想的な光景だ。その見事さに、思わずビリーは息をのむ。かすかな音に、リオレイアはうっすらとまぶただけを持ち上げた。大きな瞳が、ビリーを捉える。
 ビリーは、ハンターになって長い。モンスターと目が合うことなど、数え切れないほどに経験してきた。モンスターの目に浮かぶものはたいてい決まっていて、憤怒、嫌悪、あるいは憎悪、純粋に獲物を狙う目だったこともある。だが今ビリーを見つめている双眸はそのどれとも違う、深い思慮ともいうべきものをたたえていた。長い時を生きてきた、竜人族の老人のような、はっきりと知性の感じられる目だ。
 リオレイアはじっとビリーを見つめていたが、ふと少しだけ頭を持ち上げ、ビリーのほうへと首を伸ばした。ぐるる、と喉を鳴らし、目を細める。手を伸ばせば触れるような至近距離にモンスターの顔があるのに、ビリーは何故か逃げる気にはならなかった。全く敵意を感じないのだ。じっとしているビリーに見せるように、リオレイアはたたんでいた羽を、少しだけ広げる。身体をまるめ、少しへこんでいる腹の右側を示したような気がして、ビリーは目を瞬いた。そこを見ろということなのかと考え、リオレイアの様子を伺いながらそっと近づく。近づいてみると、金色に輝く鱗のあちこちに、小さな傷があるのが見て取れる。相当な年月を経ているようだ。それらを観察していると、不意にビリーは背中を押された。驚いて振り返ると、リオレイアの頭だ。優しく、しかし容赦のない動きで、ビリーの身体を己の腹に押し付けようとしている。ここに至ってビリーは、彼女の動作の意味にようやく気付いた。これは、リオレイアが子供や卵を抱くときの行動だ。飛竜の身体は大きく、子供の上に圧し掛かったら子供がつぶれてしまう。だから身体を丸め、横腹にできたくぼみに子供たちを抱き、足と尻尾と羽で守るのだ。どうしてそれをビリーにしようとしているのかは、解らなかったが。
 だが、彼女の行動に異を唱えたところで、解ってもらえるとも思えない。ビリーは意を決して、リオレイアの尻尾を踏み越えた。細かい鱗に覆われた腹に、そっと触れる。
(暖かい……)
 竜の脈拍を感じたのは初めてだった。驚くほどゆっくりと脈打つ皮膚は、鱗の冷たさとは裏腹に暖かい。身体の冷え切っているビリーにとっては尚更だ。思わずそこに縋るような格好になったのを見てか、リオレイアはまたぐるると喉を鳴らして羽を閉じた。ふわりと被された羽の内側は、やはり温かい。こうなってしまっては抜け出すことは不可能だと、ビリーはそこに腰を下ろし、彼女の腹に背を預けた。ごろごろと、猫のように喉をかすかに鳴らす振動が伝わってくる。顔をこちらへと向けたリオレイアは、じっとビリーを観察しているようだった。ビリーも同じように彼女を観察して、ふと気付く。右眼が、白く濁っているようだった。あれではほとんど見えていないだろう。戦いの中で傷ついたのか、と考えたが、そうではないようだった。顔に傷はほとんどない。それに、固い鱗も羽も、どこにも致命的な傷は見当たらなかった。
(老化か?)
 竜の老化プロセスに関しては、ほとんど明らかになっていない。だが人間と同じ眼のしくみを持っているのならば、ありえない事ではなかった。年老いた女王の暖かな皮膚に、ビリーは頬を寄せる。呼吸で穏やかに上下する動きが心地よかった。
(……死にかけている、のかもしれないな)
 こんなに近くにいても、彼女の気配はあまりにも希薄だ。寿命を迎えているのかもしれない。ぼんやりとそんなことを考えているうちに、彼女の体温に誘われて睡魔が訪れる。
 ほとんど抵抗することなく、ビリーは睡魔に屈した。




 がくん、と大きく身体が揺れて、ノブツナは一気に覚醒する。抱えていた太刀から腕が滑ったらしい。少しぼんやりした頭で、周囲を確認する。霧が濃く、だが記憶にあるほど暗くはない。朝日が昇りつつあるようだった。
「……朝……」
 唇の端に火のついていない煙草が引っかかり、ひょこひょこと揺れる。唾液で湿ってしまったそれを消えかかった焚き火に放り込み、思い切り伸びをする。妙な体勢で眠ってしまったせいで、肩や腰がばきばきと音を立てた。そして、ふと気付く。
「……ビリー?」
 そういえば、昨夜はビリーに膝を貸してやったのではなかったか。改めて周囲を見渡すが、ビリーの姿はない。昨夜ビリーが眠っていた場所は、すでに冷たかった。ビリーはまだ本調子ではないはずだ。あんな身体でどこへ行ったのかと、ノブツナはよろよろと立ち上がった。座ったまま眠ったせいで、足が言うことをきかないのだ。ふらふらと少し進んだところで木に手をつき、そこにナイフの傷があることに気付く。まだ新しい傷だが、ノブツナが昨日つけたものとは別のもののようだった。
(ビリーか?)
 昨日のノブツナと同じように、目印にしたのかもしれない。その目印を辿ろうとして、ノブツナは一旦引き返した。湿気が多いから大丈夫だろうとは思うが、火事にでもなったら目も当てられないと火の始末を確認する。それから改めて、木の目印を辿った。程なくして、生き物の気配に気付く。大きな、けれども弱弱しい生命の気配に、ノブツナはそっと近づいた。うっすらと見える金色に驚き、更に近づいて驚愕する。あまりに驚いたので、顎がかくりと落ちて口が開いてしまった。
 リオレイア希少種。滅多にお目にかかることのない竜で、しかもキングサイズ。そのことにまず驚いたが、そのリオレイアが子供でも抱くように、ビリーを懐に抱いている。ビリーは恐れる様子もなく、リオレイアにもたれて眠っている。その光景は、絶対にありえないものだった。竜は人間には懐かないし、人間は竜に対する本能的な恐怖を捨て去ることができない。それが当たり前なのだ。幼い頃から竜を育てることで、言うことをきかせようとした人間もいる。だが、ことごとく上手くはいかなかった。竜と人間は相容れないものなのだ。それなのに、ビリーは当たり前のようにリオレイアの懐にいる。
 ぐるる、とかすかな唸り声がして、ノブツナは身体を硬くした。くるりと身体を丸めていたリオレイアが、首をもたげてノブツナを見ている。狩りのときに遭遇する視線とは全く違う、ただ静かなそれに、胸がざわつく。
「ノブツナ」
 はっとして視線を転じると、ビリーが目を覚ましていた。いや、もしかしたら起きていたのかもしれない。
「ビリー……なんだ、これ」
「俺にもわかんない」
 ふああと大きなあくびをして、ビリーは目を擦った。もぞもぞと立ち上がろうとするが、リオレイアの唸り声にその動きを止める。まるで、ビリーに動くなと言っているようだった。ビリーもそう感じたようで、困ったような顔をしている。そっとリオレイアの腹を撫でる動きに、彼女は満足げに喉を鳴らした。ふわりと、羽が持ち上がる。
「ノブツナ、こっちおいでよ。暖かいよ」
「こっちおいでって言ったって……」
 ノブツナは困惑する。ビリーは簡単に言うが、こっちというのはリオレイアの懐だ。彼女が少し気を変えただけで、簡単に押しつぶされる。それよりも先に、近づく人間を薙ぎ払うことだって容易なはずだ。何よりも、ノブツナのハンターとしての経験が邪魔をする。触れるほどに竜に接近するときは、攻撃を加えるときだと相場が決まっているのだ。だが、ノブツナ以上にハンター暦の長いビリーは平然たるものだ。
「たぶん大丈夫。俺にもよくわかんないけど」
 言われて、リオレイアと視線を合わせる。ひどく静かな、こちらを観察する目だった。一応の意志は表示しておこうと、背負っていた太刀をゆっくりと外して地面に置く。そうして足を踏み出すと、リオレイアは羽を広げた。尻尾をまたいで、ビリーの隣に腰を下ろす。それを確認したように、リオレイアはふたたび頭を地面に伏せた。同時に羽もたたまれて、ふたりを覆うような格好になる。背を預けてみると、そこは確かに暖かかった。
「……どういうことだ、こりゃあ」
 緊張で詰めていた息を吐いて、ノブツナは呟いた。うっすらとかいていた汗をぬぐい、隣のビリーを見る。ビリーは首をかしげてみせた。
「子供と勘違いしてるのかな」
「いや……そりゃ、いくらなんでもないだろ」
 ノブツナに突っ込まれるまでもなく、ビリーは本気で言ったわけではないらしかった。ぐったりとリオレイアに背を預け、呟く。
「……そうでなきゃ、寂しいとか、そんな理由しか思いつかないよ」
 リオレイアの、驚くほどゆっくりとした脈拍が伝わってくる。竜も、寂しさを感じることがあるんだろうかと、ノブツナはふと考えた。人間は群れる生き物だ。だが竜は、つがいを作りはするが、基本的に群れることはない。
(どうなんだろうな……)
 昨夜は、満足に眠れたとは言いがたい。背中の温かさに眠気を誘われて、あくびが出る。抵抗することを早々に諦めて、ノブツナは意識を手放した。


     ***


 ノブツナとビリーが崖から落ちて2日が経過した。
 アッシュもセブンも、駄目もとでギルドに捜索の許可を願い出た。リクが言った「墓場」に、ふたりがいるかどうかは解らない。だがどちらにしろ、彼らを捜すのならば河を下り、立入禁止区域に入る必要があったのだ。人命救助なのだと懸命に訴えてはみたが、ギルドの返事は判を押したようにいつも同じだった。どんな理由であれ、立入は認められないというのだ。あまりにしつこかったせいか、ギルドと王立書士隊が共同で飛ばしている気球から捜してみるとの返答を得たが、それで安心はできない。雪山のベースキャンプから見える森は、かなり深い。それに木の密度が高く、上空から地上の様子を伺うのは難しいと、素人でも解るのだ。
 集会所にいるギルドマネージャーは、当然ながらノブツナたちのことも知っている。だが、彼女もギルドとの仲介役にすぎないのだ。私情で許可を出すことはできない。あきらかに苛立っているアッシュとセブンを気遣わしげに眺めるだけだ。
「あそこにはギルドナイトが巡回しているはずだから、もし発見されたら保護してくれるはずよ」
 ギルドマネージャーはそんなふうに、二人を慰めた。だが、広い森のなかで、偶然に遭遇する可能性がどれだけあるというのだろう。リクが皮肉げに笑う。生きているとは限らないが、もし生きていたとしても、五体満足でいるとは限らないのだ。足を怪我して動けないかもしれない。まだ寒いこの時期に、冷たい雪解け水の中に落ちて、体調を崩さないはずもない。だからこそ早く見つけてやらなければならないのに、身動きは取れない。もどかしい思いをしているのは、リクも同じだった。
 だが、その日の夜に動きがあった。ばたばたと外が騒がしくなったかと思うと、派手な音をたてて集会所の扉が開く。そこに立っていたのは、息を切らしたジャックとファルトだ。
「来たか!」
 アッシュとセブンが同時に立ち上がった。抱えるようにしてふたりを椅子に座らせ、状況の説明をしている。リクはカップをふたつ借りて、水をついでやった。ジャックもファルトもそれを一息で飲み干す。
「身動きが取れないってことか?」
 説明を聞き取り、ジャックが眉根を寄せる。アッシュが苛立たしげに舌打ちした。
「だって、人命救助だろ?」
「それでも、だめなんだってさ。理由は教えてくれない」
 ファルトの疑問に答えたのはセブンだ。ギルドマネージャーが申し訳なさそうに微笑んでいるのが見える。彼女とて、理由は知らないのだ。
「それにしても、お前ら早かったな」
 あと2日はかかると思ってた、と、あえて違う話をリクは持ち出した。ジャックが親指と人差し指で輪を作ってみせる。
「有り金はたいた。馬を買って、全力で走らせて、潰れたとこでまた買って」
 ユクモに戻ったらあんな知らせだったからな、とファルトも言う。そうでもしなければ、この速さでポッケにはたどり着けなかったに違いないが、それにしても無茶をしたものだ。
「お前ら、馬なんて乗れたんだな」
「乗れなくたって乗るしかないだろ」
 仲間の危機なんだぞ、とファルトが口を尖らせる。まったくそのとおりだ。それなのに、自分たちは身動きが取れない。それがとても歯痒かった。
「ミスターとスカイはまだか……あいつら、どこにいるかわかんねえからな」
 アッシュが呟く。だが、彼らが到着したところで、できることは何もないのだ。セブンの視線に気付いて、リクはかすかに頷いてみせた。
(潮時だな)
 これで5人だ。こっそり行動を起こすには、これ以上の人数になるとまずいかもしれない。人数が多ければ、それだけ隠密行動は取りづらくなるものだ。
「とりあえず、今日はもう遅いからさ。メシ食ってとっとと寝ちまおう」
 ギルドマネージャーや受付嬢に聞こえるか聞こえないか、それくらいの声を意識して出す。ジャックとファルトが怪訝そうな顔になるが、ピンときたらしいアッシュが続けた。いつもの良く通る、大きな声でだ。
「体力温存しないと、なんかあっても動けないだろ。明日もまたここで待機するんだからな」
 他にできることもねえし、という言葉に、ジャックとファルトは納得したようだった。セブンが手渡したメニューを覗き込んで、あれこれと言い始める。そんな様子を眺めながら、リクはアッシュとセブンと目配せを交わす。
 ギルドの許可が下りないなら、こっそり入るしかない。3人はすでに決めてあった。行動を起こすのは早朝、まだ誰も目を覚ましていない時間帯だ。気球に発見されてはまずいので、移動するのは河沿いの、少し森に入ったところ。船を出すのが最も早いのだろうが、こればかりは仕方がない。ハンターの足ならば、かなりの距離を踏破できるだろう。あとは、彼らの生存と、会える可能性に賭けるしかない。
 出発の準備は、すでに整えてある。明朝を待つばかりだった。







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