この世の全ての狩人へ捧ぐ。
 その手記は、そんな書き出しで始まっていた。あちこちが擦り切れた羊皮紙にびっしりと並んだ細かい文字。羊皮紙は貴重品だ。余さず使おうとしたのだろう。それをきれいに綴じて、守っているのは擦り切れた皮の表紙だ。うかつに扱えばたちまち破れてしまうであろうそれに、ジャックは丁寧に指を滑らせた。
 内容は、既に一部を諳んじることができるほどに読んだ。ハンターを目指すと決めたときに購入した入門書の、その元となった貴重な資料だ。いや、どちらかといえば史料か。これを記した人間はひとりではない。が、その大多数はすでにこの世の住人ではない。これが書き始められてから、既に百年以上が経過していた。だが書き連ねられた文章はまだ生きている。命をつなぎ、そうしていまだに書き続けられている。全ての狩人へと捧げるために。
「……重いな」
「そうでしょう?」
 手が震えます。そう呟く青年は、この史料を手書きで書き写している。一般に流布している書物は決して安価なものではない。だからこうして、原本、あるいはそれに近い写本を手書きで写し取る人間は絶えることがない。少し調べたいことがあり、ギルド本部に出向いて書庫へと潜り込んだのだが、どうやら貴重な場に遭遇したようだ。
 この資料に載っているような情報は、かつては秘匿されていたものだ。ハンターにとって情報は生き残る上で重要なものであり、また貴重な取引材料ともなる。だから己の知りえた情報をこうして公開することは自殺行為に等しく、それゆえハンターの死亡率は非常に高かった。それをあえて手記に記し、こうして公開したのもまたハンターだ。お人よしと蔑まれようとも、卑怯者と罵られようとも、それでも無知なハンターが目の届かぬ場所で死んでいくよりははるかにましだと、そんな信念を抱いてのことらしい。それぞれのフィールドの危険な箇所。生息するモンスター。その注意点。事細かに記されたそれらの情報は多くのハンターの命を救った。ジャックはそれに感謝しているし、そしてその信念に共感もしている。
(……どんな状況であれ、)
 人の死には胸が痛む。その人を想う家族がいる。恋人もいるかもしれない。どちらもいなくとも、仲間はきっといるだろう。その人間がひとりでいるつもりでも、完全に孤独な人間はこの世には存在しない。生きている限りはどこかで、誰かとの関わりは生まれるものだからだ。そうしてそこに感情が生まれる。できればそこに生まれる感情が、よいものであってほしいと思うのだ。甘い、と言われることもあるが、それが偽らざるジャックの本音だ。
 そう感じる人間が多かった、ということなのだろうか。独断で情報を公開したハンターの信念は、どうやらギルドをも動かしたらしい。ギルドはハンターの命を守るための情報を、少しずつ世に出し始めた。実力を認められ、より危険な狩場へと赴くハンター達に対して優先的に。――ありがたいことだ。
(おかげで随分と楽になる)
 絶対に安全、ということはない。だが事前に情報があれば、対処することができる。狩りというのはそういうものだった。いや、狩りに限らず何でもそうなのだろう。狩りの場合は失敗が、イコールで死に直結するというだけの話だ。ジャックはここへ来た理由を思い出して、書写を続ける青年から離れた。壁へと作りつけられた書架を見てまわり、目的の資料を探し出す。Dの棚、上から3段目。思ったほど古くはない、薄っぺらな羊皮紙の束。表紙には古龍観測所の文字。これが目的の資料だ。
 タイトルには、ナナ・テスカトリ。最近になって討伐依頼の来た古龍だ。もともと解っていることのほうが少ない古龍だが、ギルドの資料室にならば何かあるかもしれない。そう考えてここへと足を向けた。けれどギルド本部に所蔵する資料ですら、こんなにも薄い。期待はしていなかったが、と内心でため息をつき、ぺらりと表紙をめくる。
「……!」
 鮮やかな蒼に目を奪われる。
 優雅な曲線を描く翼を羽ばたかせ、火山へと舞い上がる古龍の姿が、そこにあった。ざっくりとしたスケッチに、丁寧に色が乗せられている。おそらく、スケッチは現地で、色をつけたのは安全な場所へと帰ってからのことなのだろう。古龍観測隊は中途半端なまねはしない。スケッチをするのなら、確実にモンスターの特徴を捉えた正確な絵を描いてみせる。そうでなければ意味がないからだ。
 まるで冠のような形状の角。顔を取り巻くたてがみ。そして鮮やかな蒼。美しい龍だ。古龍の特徴として、前脚とは別に翼を持っている。けれどさすがに正面からのスケッチはなく、いったいどんな瞳の色をしているのだろうと、何故だかそんなことが気になった。けれど相対してみれば、嫌でもわかることだ。視線をスケッチから引き剥がし、更にページをめくる。そこに、現在判明している限りの情報が記載されていた。
『ナナ・テスカトリ。炎妃龍と呼称する。炎をまとう龍。テオ・テスカトルと同種の雌と思われる。一人で狩り場に赴いた際に遭遇することが多く、複数人でいるときに遭遇したという報告は、いまのところない』
(王妃は恥ずかしがりやなのか)
 ふ、と思わず口元に笑みを刷く。実際に遭遇してしまえばそんなことは言ってはいられまいが、こうして資料を見ているだけならば何とでも言えるというものだ。スケッチを見る限りでは本当に美しい、蒼い龍なのだから。命のやりとりをする相手を美しいと思うのは不思議な感覚だったが、先輩ハンター達によると、ハンターには時折あることのようだった。それが高じて、モンスターを偏愛するようになるハンターもいるという。ひと目で美しい、と思ったのはこのナナ・テスカトリが初めてのことだったが、ジャックが彼女を偏愛するに至ることはないだろう。討伐の対象でもあるし、何よりも古龍だ。そうそう遭遇できるものではない。続けて読み進めると、無視できない文言が出てきた。
『口から火炎を吐き、全身に龍炎と呼ばれる灼熱の炎を纏う。近づけば炎に焼かれることになるだろう』
 思わず顔をしかめる。ジャックが現在愛用しているのは、太刀だ。片手剣や双剣に比べればリーチは長いとはいえ、それでも接近せずに狩りをすることは不可能だ。これは己の体力を削りながら戦うはめになりそうだ、とジャックは心に留めた。そしてその後に続く文章を見て、いっそう気を引き締めざるをえない。『粉塵のようなものを周囲に散らし、牙を用いて火打石とし、粉塵爆発を引き起こす』
 粉塵爆発。つまりは、粉状の何かに火をつけて、広範囲にわたって爆発を起こす。距離をとっていても、それに巻き込まれる可能性は否定できない。どうしろってんだ、と内心で毒づく。なんとも厄介な敵だ――古龍というのは、そもそもが厄介以外の何者でもないのだが。
(何を飛ばすんだろうな)
 蝶でもあるまいに、燐粉ということもないだろう。何かそういう粉状のものを分泌しているのか、あるいは古くなった組織片を飛ばしているのか。そんなところまでは、この資料は言及していない。そもそも見かけることすら稀な古龍のことだ。そればかりは致し方ない。
(……粉塵、か)
 資料の文字を指でなぞる。ジャックの思考は、ナナ・テスカトリをついと置き去りにした。ハンターにとって粉塵、といえば、あるひとつの薬を連想するに違いない――そう、生命の粉塵だ。仲間の危機を救う魔法の薬。いや、魔法などではない。きちんとした作用が確認されているギルド公認の品だ。扱いは難しいが、それだけの価値は充分にある。傭兵時代にこんなものがあれば、と何度も思った。だがせんなきことだ。そもそも生命の粉塵はハンターズギルド外には存在すら公開されていないし、よしんば公開されていたところで、材料となる竜の爪や牙を安定的に手に入れられるのはハンターくらいだ。それに調合も難しく、ある程度の経験を積まなければ作り出すこともできないだろう。そこまで考えて、ひとり頭を振った。いらないことを考えてしまった。どちらにせよナナ・テスカトリを狩りに赴くときには、孤独な戦いを強いられるのだ。生命の粉塵を持ち込む理由はない。
 もう一度、改めてひととおり資料を読み終えて反芻し、そっと資料を閉じる。表紙をひと撫でして、もとの棚にきちんと戻した。既に内容は頭に刻んだ。もうこれ以上、ここに用はない。ふと踵を返しかけて、背中を丸めて書写を続ける先程の青年が目に留まった。
(……ハンターになるのかな)
 まだ若い。ジャックよりいくらも年下だろう。一生懸命に資料を書き写す彼の姿は、どこか以前の――ハンターになると決めたばかりの頃の自分と重なった。ジャックは書籍として流通しているものを手に入れたのだが、それを読みふけるときはきっと、こんな姿だっただろう。命に関わることだ。必死で頭に叩き込み、おっかなびっくり狩りに出かけた。頭に詰め込んだ知識に、何度助けられたか知れない。
(……俺も、何か書くか)
 まだまだ若輩者といっていいジャックに書けるものなど、そう多くはない。武器の扱いも未熟だ。特定の仲間だっていない。今すぐでなくても良い、もっと狩りをして、経験を積んで、そうしたら、ジャックの経験を余さず記そう。かつての先輩たちが、いつかハンターになる後輩のために書き残してくれたように。書くとしたら、もちろん書き出しは決まっている。
「この世の全ての狩人へ捧ぐ」
 いつかハンターになる、すべての若者へ。それを記す日を想って、ジャックはひっそりと笑った。




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