「ノブちゃん起きて!」
 緊迫した声に、ノブツナは一瞬で覚醒した。普段の寝起きの悪さが嘘のように、反射的に上体を起こす。どたどたと音がして、寝室のドアがばんと開いた。そこに立っていたのは、見慣れた顔だ。
「セブン?」
「ノブちゃ…………」
 いつものように呼びかけて、途中でふつりと言葉が途切れた。もともとまるい目を更にまるくして、信じられないというように立ちつくす。そのまま固まってしまったセブンを気遣って、ノブツナは声をかけた。
「セブン? どうした?」
 ひゅう、とセブンの喉が鳴る。少し後ずさりかけて、それでも彼は踏みとどまったようだった。
「ノブちゃん……」
 ぐっと、顎を引く。だが、ノブツナにはその意味がわからない。ぽかんとしていると、セブンはつかつかとベッドに近寄ってきた。その顔を見上げて、いぶかしく思う。セブンは、こんなに背が高かっただろうか?
 と、わきの下に手を差し入れられ、ひょいと持ち上げられる。すっぽりと布団から足が抜けた拍子にズボンがずり落ち、ノブツナは慌てて上着の裾を押さえ、ようとして目を疑った。上着の裾が、膝まである。昨夜、寝るときには腰までしかなかったシャツがだ。しかも、その下から覗くのは驚くほど華奢な足だ。まるで子供のような――
「ノブちゃんもかよ!」
 抱きかかえられて、反射的にセブンの服にしがみつく。しがみついてから、己の手の小ささに、それと対比したセブンの大きさに、目を見開く。そうしている間に、セブンはノブツナの家を飛び出し、走り出す。
「……なん、だあ?」
 何か、理解しがたいことが起こっている。それだけは理解して、ノブツナは首をかしげた。


 連れていかれたのはファルトの家だ。セブンに抱えられたまま居間に入り、そこでノブツナはふたたび目を見開いた。そこにいたのは、知っている人だった。ラミア、キャリー、何故かビリーもいる。どういうわけかファルトの姿が見えないが、ラミアとキャリーがそれぞれ、子供をひとり連れていた。ラミアが連れているのはふわふわと銀髪を跳ねちらかした華奢な子供で、キャリーが連れているのはさらさらした銀髪の、やっぱり華奢な子供だった。ふたりとも歳に似合わない困惑の表情を浮かべていたが、ノブツナを見て目を丸くした。
「……ノブツナか?」
 キャリーの足元にいた子供が、疑わしげに呟く。子供らしく少し高い声だったが、その口調やイントネーションは、ノブツナにとっては知っているものだった。だが、脳裏に描いた人物と、目の前の子供ではどうやっても一致しない。信じられない気分で、ノブツナはその名前を口に出した。
「……ジャック?」
 その子供は頷いた。その仕草にも、確かに見覚えがある。だが、ジャックは誰が見ても、馬鹿みたいにでかい身体をしていたはずだ。どうしてこんなかわいらしい姿になっているのだと考えたところで、ラミアの足元に目を転じる。そこにいた銀髪の子供は、それでは、
「……ファルトか?」
「やっぱノブツナさんか……」
 どこか諦めたような口調で、ファルトは言った。その顔には、特徴的だった傷跡はない。どこからどう見ても普通の子供の姿に、ノブツナは呆れたような口調になった。
「どうしたんだお前ら、随分かわいくなっちまって」
「それはノブちゃんも同じだよ」
 ようやくセブンが口を挟む。どういうことだと見返したノブツナに笑いかけて、セブンはノブツナを床に降ろした。自分の足で立ってみて、絶句する。子供の姿になってしまっているジャックとファルトと、ほとんど視点が変わらない。自分の身体を見下ろしてみると、やはり見えるのはだぶだぶのシャツと、華奢な素足だ。認めたくは決してなかったが、どうやら身体が縮んでいるという事実を、認めないわけにはいかないようだった。ようやく己の置かれた状況を理解して、ノブツナはどうすることもできずに呻く。
「ううーむ……」
 無意識に、手がふらふらと彷徨う。ぺたぺたと腰のあたりを触っているのを見て、ビリーが声をかけてきた。
「どうしたの」
「いや煙草が……」
 ビリーの視線は冷たい。そんなことだろうと思った、とばかりにため息をついて、ポーチから何やら取り出した。手渡されたのは干した杏だ。同じようにファルトとジャックにも与え、自分でも齧る。冷静に考えてみれば、子供の身体に煙草が良くないのは当たり前だ。実は結構動揺しているらしいと反省して、ノブツナもビリーにならって杏を齧る。甘くて美味しい。ファルトもジャックももぐもぐと咀嚼していた。そういえば、朝食も食べていないのだと思い出す。思い出してしまえば身体は素直なもので、ぐうと腹が主張した。結構派手な音に、セブンが吹き出す。
「そっか、ご飯つくるね」
 キッチン借りるよとすら言わない。勝手知ったる様子で奥へと消えた。それを見送って、キャリーがため息をつく。
「で? 何が原因なのかしらね?」
 とりあえず、全員に座るように促しながらの言葉だ。ともかく、原因がわからないことには対策の講じようがない。こんな身体ではハンターとして狩りに赴くことはおろか、日常生活にすら支障が出る。椅子が足りないので、床にじかに座り込んであぐらをかいたビリーの膝にちゃっかり腰を下ろし、ノブツナはビリーからもうひとつ杏を貰った。
「なんか拾い食いでもしたんじゃないの」
「ノブツナも?」
 淡々とした口調のビリーに、ラミアが異議を唱える。ファルトが口を尖らせた。
「それじゃおいらとジャックが拾い食いしてもおかしくないみたいじゃん」
「おかしくないでしょ」
 迷うことなく断言されて、ファルトは椅子に沈み込んだ。キャリーがくすくすと笑う。確かに、ふたりとも大食いではある。決して太っているわけではないのに、どこにどうやって入っているのだと言われるくらいにだ。だがそれでも、いくらなんでも拾い食いはないだろう。それは冗談としても、キャリーは首をかしげた。
「でも、食べ物が原因ってのは考えられるかもしれないわね。それも昨日の夜とか、その頃じゃない?」
 何か心当たりはないの、と訊かれて、小さくなってしまった3人はそれぞれにうなった。
「うーん……」
 もぐもぐと、杏を噛み砕きながら考える。
「3人とも食べたってことだよなあ? でも晩メシにそんなのあったかあ?」
「メシ屋で食ったもんな」
 な、と首をかしげる3人は、本人たちは自覚していなかったがとてもかわいらしい。特にジャックなど、普段の身体の大きさからするとおそろしく小さく、銀糸の髪もあいまってまるで天使だ。キャリーが手を伸ばして抱き上げ、軽々と膝の上に乗せてしまう。ジャックは居心地悪そうに身じろぎしたが、結局はそこに落ち着く。それを見ていたファルトが、ここぞとばかりにラミアへと擦り寄り、ラミアは顔をしかめながらもそれを許した。頬が少し赤く見えるのは気のせいではないだろう。そんな2組を呆れたように見ながら、ノブツナは顎に手を当てて呟く。
「いつもの肉とか魚とか、あと酒だろ? まわりもみんな食ってたし、あれじゃないと思うんだよなあ」
 店で出されたものが原因とは思えない。その言葉に、何人かが頷いた。それなら他にも小さくなる人間が出て、大騒ぎになっているはずだ。
「あと、飲んでるときに……」
 喋っている間に、思いついたことがあった。はたと手を打つ。不思議そうなジャックとファルトに、ノブツナは言った。
「……チョコレートだ。ミスターがくれたやつ」
 昨夜のことだ。3人で飲んでいるときに、ふらりとミスターがやってきた。珍しく姿を現した彼に、3人は笑って声をかけた。そこに近寄ってきたミスターは、いつもの穏やかな口調で「これあげるよ」と小さな包みを3人に手渡したのだった。開いてみると、かずかに甘い香り。チョコレートだった。カカオと砂糖を大量に使用した、甘い菓子だ。都市部においても、簡単に手に入るようなしろものではない。貴重と言ってさしつかえのない菓子に、3人は驚いた。どうしたんだと問うと、ミスターは眉尻を下げた。
「オルトランにもらったんだ。どうも、自分で作ってみたらしいんだけど……おれ、甘いのあんまり得意じゃないから」
 だから食べてよ、と言うのだ。オルトランというのは、ミスターの相棒のような女性だ。王立書士隊のメンバーで、ハンターとして狩りに赴くこともあるが、どちらかというと書類仕事のほうが得意らしい。あまり遭遇することはないので、顔を思い出そうとして、すぐに諦めた。ともかく、礼を言って受け取り、ミスターは例によってふらりと酒場を出て行った。たぶん、またしばらくは帰ってこないだろう。そうして3人は酒と飯を続行し、その最後に貰ったチョコレートを食べたのだ。甘みと、ほんのわずかな苦味が感じられて、普通においしかった。
「あれが?」
「まあ確かに、俺たちしか食ってないけどな」
 首を傾げるファルトとジャックを横目で見ながら、ビリーがノブツナの顔を覗き込む。
「……オルトランが作ったって?」
 口の中の杏の欠片を飲み込んで、ノブツナは頷く。
「そう言ってたぞ。カカオなんてどこから手に入れたんだか」
「じゃあそれだ」
 言っている意味がわからず、ノブツナは瞬きをした。ビリーは重々しく断言する。
「オルトランが作ったそのチョコレートが原因だ。間違いない」
 ビリーが確信を持って断言したので、他の面子は驚いたようだった。どうしてそう言い切れるのだという無言の問いに、ビリーは答えた。
「オルトランが作ったっていう時点で、決まりだよ。他に考えられない」
「どうしてそうなるんだ?」
 ビリーはかすかに唇を歪めて、答えた。
「昔、俺も被害にあったことがあるから」
 でもオルトランが原因なら、きっと明日には元に戻ってるよ。そう言って、ビリーはノブツナの頭を撫でた。
 その昔にいったい何があったのか、話す気がないことは明白だった。


    ***


「……っていう夢を見たんだが、どう思う?」
 煙とともに、そんな言葉を吐き出したノブツナを前にして、ビリーは首をかしげた。どうしてそんなことを訊くんだろうと思いながら、答える。
「ノブツナ、疲れてるんじゃない?」
 その言葉にノックアウトされたように、ノブツナはテーブルにぱたりと伏せた。
 自分が子供になってしまった夢で、しかもその原因は、あまり顔をあわせないとはいえ知り合いだ、という。荒唐無稽もいいところだが、そもそも、夢とは荒唐無稽なものだ。どんな夢を見たところで気にする必要はないはずだし、そんなことはノブツナにだってわかっているはずだったが、ノブツナは伏せたまま呻く。
「……疲れてるのは確かだけどな、妙にリアルな夢だったんで気になったんだよ……」
 ビリーは頷いた。そういう夢を見ることは、確かにある。触った感覚や、温かみや、匂いの感じられる夢もある。どういうわけか痛覚を伴った夢だけは見たことがなかったが、きっとそういう夢を見る人もいるのだろう。だが、その後に何かがあったということは、ビリーの経験においてはない。そう言うと、ノブツナはようやく顔をあげた。その顔が苦笑に歪んでいる。
「……そうなんだよなあ」
 ノブツナが疲れているのは仕方がなかった。ここのところ、空気が落ち着かない。狩りに赴くと、モンスターが増えている気がするし、ざわざわとした空気が肌を撫でる。ギルドからの依頼も少しずつ増える傾向にある。どこか遠くで、何らかの異変が起こっていると考えるべきだった。その影響が、遠く離れた地へも及んでいる。そう判断できる証拠はないが、経験豊富なハンターにはわかる。そういうものだ。ノブツナはその対応にあたっている。やっていることはいつもの狩りと変わらないが、どこか騒々しいその空気は、神経をすり減らすものだった。
「温泉にでも行く?」
 思い出したようにポーチを探り、ノブツナの夢にも出てきたという干した杏を出して、ノブツナに渡しながら提案してみる。ぽかんとしたままそれを受け取ったノブツナは、無意識のように繰り返した。
「……おんせん?」
「うん」
 頷いて、杏をひと齧りする。干した果実は、甘みが凝縮され、濃い味がして美味しい。ゆっくりと咀嚼しながら、ビリーはノブツナを観察した。少し、目の下にクマができている。それ以外には特に変わった様子はないようだったが、それでも、元気なときとは雰囲気が違う。そろそろ一息つくべきだ、とビリーは判断した。
「確か、お風呂好きって言ってなかった? ユクモ村って、温泉が有名らしいよ」
「風呂は好きだけどな……でも、こんなときにか?」
 言いながらも、心が揺れているのがわかった。杏を口に放り込み、驚いたように目をまるくする。
「甘いな、これ」
「うん。おいしいでしょ」
 疲れてるときには甘いものがいいらしいよ、とさらりと言って、ビリーは続けた。
「ノブツナがいない間くらいはどうとでもなるよ」
 ノブツナは猟団のリーダーという立場にあるが、リーダーにだって休みは必要だ。ノブツナは全て自分で背負ってしまうところがあるから尚更だと、常々から皆が考えていた。飄々としているように見えて、実は責任感が強い。彼はそういう人間だ。
「多分、みんな同じことを言うと思うけど」
 それは、決してノブツナを軽んじる発言ではない。むしろおまえは己の猟団のメンバーを信用していないのかと、そう訊かれた気がして、ノブツナは苦笑した。確かに、そう聞こえてもおかしくはない。
「……そうだな、行ってみようかな。案内してくれるか?」
 ビリーは頷いたが、すぐに首をかしげた。
「……女の子でなくてもいいの?」
 確かあそこ混浴だけど、と言うビリーに、ノブツナは首を振る。
「女と一緒じゃくつろげないだろ。ビリーがいい」
 ビリー「で」いい、とは言わなかった。で、というのは相手に対して失礼だ、とノブツナは普段から言っている。なるほどと頷いて、ビリーは己の肩を抱くような格好になった。ノブツナが不思議そうにそれを見ているが、やらなければいけないような気がしたので、ビリーはあえて無表情のまま言う。
「きゃーノブツナに狙われてる」
 男二人で温泉、とくればウホッな展開。ノブツナが普段からしているアニキとやらの話を聞いていれば、ごくごく当たり前の連想だった。それを反映した、だがあまりにも抑揚のない台詞に、ノブツナは沈黙する。それから吹き出し、腹を抱えて笑い出した。震える指で、どうにか咥えていた煙草を灰皿に戻している。
 涙が出るほど笑っているノブツナを見るのは久しぶりだ。自分の行動がもたらした効果に満足して、ビリーは冷めてしまったお茶を口に運んだ。




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