下位アオアシラばかりを狩るハンターの話を聞いたので。






「なあお前、悔しかったか」
 ぷかりと煙を吐いて、ノブツナは呟く。
 渓流。しんしんと木の生い茂るその場所に、一頭のアオアシラが事切れていた。とうに冷たく固くなった身体は、いくばくかの時間をかけて土へと還ってゆく。それは自然の理で、特にどうということもない。人間だって命を落とせば同じ道をたどることになる。けれど最近になって、そんな運命をたどるアオアシラが増えたらしい。妙にアオアシラの死体をよく見かけるようになった、との報告が相次いでいる。ギルドマネージャーにそう言われ、そういえば、とノブツナは思い起こした。数日前にナルガクルガを狩りに出たときに、アオアシラの死体を見たような。そう言うと、またかとギルドマネージャーは顔をしかめる。
「おまえさん、ちょっと見て来い」
 そんな具合で調査を頼まれて、ノブツナは渓流へと赴いた。そうして、改めて目の当たりにした現実に愕然とする。水場でも。崖の上でも。洞窟の中でも。そしてこの、木の生い茂る空間にも。無造作に切り刻まれて打ち捨てられたアオアシラの死体が、どうして今まで気付かなかったのかと思うほどに。
 動揺する心を押さえ込んで、適当な切り株に腰掛ける。煙草を取り出し、火をつける。深く吸い込むと、ようやくいくらか手の震えがおさまった。そうしながらも、ハンターの視線は鋭くアオアシラの死体を観察している。
 ざっくりと死体に走る傷跡は、大きく深い。こんな傷はハンマーや笛ではありえない。ランスやガンランスでもない。片手剣でも双剣でもないだろう。太刀は近いが、ここまでぱっくりと開いた傷はつかないはずだ。おそらく大剣か、あるいはスラッシュアックスでの傷だ。深く、叩きつけるように乱暴に。その傷口から、ある程度はハンターの技量が知れる。上手いハンターは、余計な傷をつけたりしないからだ。余計な傷のついた素材は、何の役にも立たないから。それになにより、命を奪う相手に敬意を持っているからだ。だがこれをやったハンターは、そんなものは欠片も持ち合わせていない。ノブツナにはそう断言できる。頑丈で質のよい大剣、おそらく上位ハンターだろう。そいつが、下位の、まだ大きくなりきっていないようなアオアシラを相手に。あえて急所をはずし、何度も攻撃を叩き込んで、まるでなぶるように殺している。手足が千切れそうなほどに深い傷を負い、それでもアオアシラは生きるためにもがいたのだろう。周囲の地面にも、そんな痕跡が見受けられた。
「……悔しかっただろうな」
 ろくな抵抗も許されず、ただただ身体を切り刻まれるしかないというのは。だが当然返事はなく、ノブツナは再びあたりを見渡す。土に還りかけているもの。まだ新しいもの。生い茂る木に隠されてはいるが、改めて見ればその多さは異常だった。それらの全てが、同じ特徴を有している。間違いなく、これは問題になるレベルだ――このままでは、アオアシラの生態に影響が出かねない。いくらアオアシラの繁殖力が強いと言ってもだ。
(……何が目的だ?)
 煙草をふかして、そんなことを思案する。意味があるとは思えない。これがロアルドロスならば。あるいはギギネブラならば。狂走エキスやアルビノエキスのために何頭も狩るというのは、解らない話ではない。実際にそういった事例があったとも聞く。けれど上位のハンターが、下位のアオアシラを狩る意味がどこにあるというのだろう。それもこんな、野蛮なやりかたで。ついでに言えば、素材となる毛や甲殻を剥ぎ取った形跡もない。――まあ、この状態では、どのみち剥ぎ取れる素材はほとんどないか。まるで面白半分に狩ったのだと言わんばかりだ。……これは、あまりにも。
(異常だろう、こんなの)
 剥ぎ取りはしない。急所をあえて避ける。ついでに最近では、アオアシラのせいで何か被害を受けたという話も聞かない。だから依頼が多く出ていたわけでもないはずなのだ。それなのにこんなにアオアシラが死んでいる。脳裏に、密猟という言葉が浮かんだ。それもかなりの確信をもって。けれど密猟はリスクが大きいため、通常は何かしらのメリットがなければ手を出さない。こんな行為にメリットがあるとは思えないいのだが。
(いかんな)
 思考が散漫になってきたのを感じて、ノブツナはため息をついた。いつのまにか短くなっていた煙草を携帯灰皿へと落とし込み、新たな一本を取り出す。火をつけて咥え、ノブツナはぼんやりと倒れ伏すアオアシラを眺めた。いつの間にか日が傾いている。――何か、手を考えなくてはならないだろう。



     ***



 数日後、再び渓流を訪れたノブツナは、はっきりと漂う血の臭いに顔をしかめた。
 大量の血溜まり。引きずったような跡。それらを辿って見つけたのは、予想に違わぬものだった。惨殺されたアオアシラの死体だ。
 触れてみれば、まだわずかに温かい。そう時間は経っていない。死んだアオアシラには申し訳ないが、好都合だった。利用させてもらおうと、ノブツナは少し離れた切り株に腰を下ろす。
(多分、そいつはここを通る)
 まだこのフィールドのどこかに留まっているのなら、だが。
 狩りを終えたハンターが、ついでに何かを採取するというのはよくある話だった。回復薬グレートを消費したから、ハチミツを補給する。あるいは次の狩りのために、ニトロダケを補充する。そうして集会所に帰るとき、たいていのハンターは己の狩ったモンスターの近くを通る。獲物をもう一度眺め、己の力を再確認する。あるいは命を奪った相手に対して黙祷をささげる。他にも様々な理由はあるが、そういったハンターは多かった。このアオアシラを狩ったハンターもそうすることを祈って、ノブツナは煙草に火をつけた。幸い、煙草のストックは充分だ。長い間でも、これなら手持ち無沙汰にならずにすむ。
 だが結果から言えば、そこまで待つ必要はなかった。吸い始めた煙草が半分ほどの長さになる頃、草を踏む音がして、ノブツナは顔をあげる。視界に入ったのは、ハンター装備一式に身を包んだハンターだ。背中には大剣を背負っている。
「こんにちは」
 にこりと口元で笑って、彼は話しかけてきた。狩り場で他のハンターに出会ったら、挨拶をする。それがハンターのルールだ。己の身にやましいところがないことを示すためにも――時には密猟者と出くわすこともあるため、自然と出来上がったルールだった。ノブツナも少し片手を挙げて、挨拶を返す。
「こんちは」
 挨拶が終われば、それ以上の会話を交わす必要はない。だが男はわざわざ足を止めて、人好きのする笑顔を浮かべてみせる。
「……それ、あなたが?」
 意表をつかれて、ノブツナは目を丸くした。それ、と男が示しているのは、横たわるアオアシラの死体だ。かぶりを振って、傍らに置いていた太刀を取り上げてかざしてみせる。今日持ってきたのは、『火竜刀・銀』だ。
「いや、俺が来たときにはもうあった。俺はちょっと採取にきただけだ」
 そもそもこれは太刀の傷じゃないだろう?
 そう言ってやると、男はしげしげとアオアシラの死体を見下ろして、観察しているようだった。
「……確かに、太刀とはちょっと違うかな」
「俺は、大剣でやられたと思うんだよな」
 ああ、と男が声をあげる。
「確かに、そんな感じだね」
 ちらりと視線を走らせたのは、おそらく自分の背負っている武器が気になったのだろう。ノブツナも改めて彼の背中を見て、そこで初めて彼の背負っているものを正確に把握した。
「アルレボか。いい剣らしいな」
 煌黒大剣アルレボ。かの古龍、アルバトリオンの素材を使用した、銘品と名高い大剣だ。黒とも紫ともつかぬ禍々しいその剣は、しかしどこか美しい。何気なく言った言葉に、男は嬉しそうに微笑んだ。
「そう、いい剣なんだ。もうこればかり使ってる」
 いとおしげに柄を撫でる。武器を使い分けるか、あるいは一本の武器をひたすら使うか。それはハンター次第だ。ノブツナは何本も太刀を使い分けているが、猟団にはひとつの武器にこだわって、それだけを使い続けているものもいる。だからそれは全く妙な話ではないのだけど。
「……あんた、今日は何か狩りにきたのか?」
 短くなった煙草を携帯灰皿に落とし込みながら、訊いてみる。いやいや、と彼は首を横に振った。
「いや、ハチミツを取りに。定期的に補充しないとね」
 ふうん、と呟いて、ノブツナは立ち上がった。立ち上がってみると、男はノブツナよりもかなり背が高い。ジャックと同じくらいかな、と内心で考える。
「そうだな、ハチミツは大事だもんな。……けど、本当にそれだけか?」
 ノブツナの言葉に、男は不思議そうに首を傾げる。おそらく自分では気付いていまい。相手との距離は、およそ2メートル。間合いをはかりながら、ノブツナはその男を見上げて、言った。
「あんただろう、こいつを殺したのは」
 男が目を細める。口元は相変わらず笑っているが、そいつの目は最初からずっと笑っていなかった。
「……なんでわかったのかな」
「剣に血が残ってるぜ」
 殺したあとに拭ったのだろう。だが、アルレボは突起の多い構造になっている。だからこそ殺傷能力も増すというものだが、そういう得物ほど手入れは面倒なものだ。短時間では拭いきれなかった血が、殺戮の臭いを漂わせている。
 それにそもそも、後ろ暗いところがないのなら、アオアシラを殺したことを隠す必要はない。ハチミツを取りにきて偶然に遭遇したから倒した、そんなのはよくある話なのだから。そして隠していたことをあっさり認めたのは、おそらく。
「……しょうがないな」
 声には出さなかったが、唇が「ひとりか」と動いたのが見えた。すっと右手が動き、大剣の柄を握り締める。何をしようとしているかは明白だったが、ノブツナは動かなかった。そんな必要はどこにもない。
「なあ、お前さ」
 平然と、ノブツナは新しい煙草を咥える。あまりに平静なその様子に、彼は果たして違和感を感じただろうか。
 わずかに唇の端を歪め、素早くポーチから出したものを地面に叩きつける。軽い破裂音とともに、一気に視界が白く濁った。――なんのことはない、ただの煙玉だが、意表をつくには充分だ。
「ッ!?」
 かすかに見えるその表情が、驚愕に歪む。その顔は一瞬で見えなくなった。死角となる位置から飛びかかったふたつの影が、抵抗する隙も与えずに地面に押し倒し、拘束したからだ。信じられないとばかりに目を見開く男を、ノブツナは見下ろして言った。
「……俺はひとりで来てるなんて、一言も言ってねえぞ」
 何が起きたか解らないとばかりに、男は身体を起こそうとしているようだった。だがその肩と腕は、両側からがっちりと地面に固定されている。ふたりの黒髪の男によって。
「うちの団長になにするつもりだったの?」
 金色の瞳を光らせて、ひどく冷たい声で呟くのはビリー。
「こいつに何かされるようなノブツナじゃないだろうけどねぇ」
 赤い瞳を細めて、わずかに剣呑な色をにじませるのはリク。
 猟団の中でも武闘派のふたりに押さえ込まれては、相当な達人であっても抜け出すのは不可能だろう。そんな実力の差も感じ取ることができないでいるのか、見苦しくもがく男に、舌打ちしたのは誰だったか。
「めんどくさいな」
 リクの言葉がぽつりと落ちるのと同時、ごきんと鈍い音が響いた。男の口から絶叫があがる。
「なんだ、折ったのか?」
「いんや、肩外しただけ」
 押さえ込んでいた手を離し、ひらりと振ってリクは言った。彼にとっては造作もないことだ。けれど外されるほうはたまったものではないだろう。
「てめえ……てめえ、俺の、腕を!」
「うるさいな。あんまり喚いてるともう片方も外すよ?」
 その言葉に応じるように、ビリーが押さえつけている腕を捻ったのが見えた。ぎくりと表情をこわばらせて、男は唇を噛み締める。おとなしくなった男に、ノブツナはしゃがみこんで話しかけた。
「さて。なんでアオアシラを狩るのか、理由を聞いてもいいか」
 話してくれるだろう?
 にこりと笑ってやると、男はふんと鼻を鳴らした。ついで、盛大に顔をしかめる。どうやらビリーがまた腕を捻ったらしい。
「理由なんてねえよ! 弱いやつを狩って何が悪い」
 弱いやつは死ぬだろうと、その言葉は確かに間違ってはいない。弱いものはいずれ淘汰され、強いものだけが生き残り、子孫を残してゆく。それが自然の流れというものだ。ちらりとリクを見ると、視線が合った。唇の端を下げたリクは、つまらないとばかりに肩をすくめてみせた。
「多分、本当だよ。こいつに理由なんてない」
 リクは嘘を見抜くのが抜群に上手い。彼が言うのならそうなのだろう。それに、この期に及んでこの男が嘘をつく意味はない。
「おおかた弱いのを狩って憂さ晴らしってとこじゃないの。ドスジャギイやら何やらだと仲間呼んで厄介だけど、アオアシラならそんなこともないしね」
 ふうん、と息を吐いて、立ち上がる。ゆっくりと回りこみ、男を取り押さえた際に地面に倒れた大剣を、両手で引き起こした。ずっしりと重いそいつは、淡く妖しく輝いている。一部が血で曇っているほかは、驚くほど丁寧に手入れされているようだった。ノブツナは以前、そういう刀を見たことがある。
「魅入られたか」
 ノブツナの呟きに、ビリーが不思議そうな顔をした。健全な彼には解らないだろう。故郷で、一度だけ目にしたことがある。いわゆる妖刀というやつだ。刀に魅入られ、それに血を吸わせるために無差別に人を斬り続ける。人を斬るために生み出された刀だから、人の血を吸わねばならぬのだと、それをやらかした男はそう嘯いたらしい。その男の言葉はともかく、その刀はとても美しかった。やや短めの刀身、まっすぐな打ち筋、光を弾く鋼。ため息が出るほどに。その刀が意思を持って持ち主を操り、大量虐殺に走らせたのだと信じてしまうほどに。だからこその妖刀なのだ。
 それと同じならば、弱いアオアシラばかり狙っていたのも頷ける。大剣に操られていたかはともかくとして、この男はモンスターを斬るのが目的なのだ。強い相手である必要はない。むしろ強い相手では不都合なのだ。反撃されて、万が一にも怪我を負うことはできない。今までやってきたことが明るみに出るからか、あるいは怪我でもしたらこうしてモンスターを切り刻むことができなくなるからか。それは、ノブツナには解らない。
(もしかしたら、)
 絶対的優位に立って弱いものを切り刻むその感覚に、この男は酔っているのかもしれなかった。強い力を手にした者にはたまにあることだ。
「俺の剣に触るな!」
 ぐるりと視線を巡らして、ノブツナが大剣を拾い上げたことを知った男が、いきなり絶叫した。どこにそんな力が残っていたのか、押さえつけていたビリーを跳ね除けて立ち上がり、ノブツナへとつかみかかる。が、その身体は急停止した。
「いい加減にしなさいよ」
 暴走した男の首筋を鷲掴み、呆れた声で呟くのは大柄な美丈夫だ。
「いいタイミングだな、ジャック」
「おまえも避けるとかしろよ」
 銀色の瞳に睨まれて、ノブツナは肩をすくめる。わざわざ避けなくても、臨戦態勢をとっていたリクがなんとかしていただろう。それが間に合わないなんてことはないし、万が一間に合わなかったとしても、黙ってやられるようなノブツナでないことは、猟団の皆が知っているはずだった。だからノブツナは別のことを訊く。
「証拠はどうだ?」
 アオアシラの死体を一瞥し、少し顔をしかめてジャックは答える。
「……ノブちゃんの持ってるその大剣と、多分傷口の形状は一致するだろう。アルレボは形が特徴的だから、すぐ解ると思う。自白と合わせればまあ、確実だろ」
 ジャックは別行動で、他のフィールドを見てまわっていた。たった今合流したところだが、ちらりと見ただけで正確に特徴を掴む眼はさすがといったところか。
「そりゃよかった。……さて」
 獣のように唸る男は、しかし大柄なジャックに押さえられて動けない。妙な動きをすれば、ジャックがすかさず首を折ってしまうだろう。ジャックにはそのくらいの力がある。
 ノブツナは、まだ火をつけていなかった煙草にようやく火をつけ、煙を吐き出してそいつの顔を覗き込んだ。
「運ぶのは面倒だから、自分で歩いてくれるとありがたいんだけどな?」
 まあもっとも、とノブツナは続ける。
「確実に連れて帰って来いとは言われてないから、ここに転がしてっても構わないんだけど」
「そりゃあいいな」
 軽い口調で、ジャックが応じる。
「アオアシラも喜ぶんじゃないか」
 仲間の仇が討てて。淡々としたふたりの会話に、男の顔が青褪める。ここに拘束されたまま転がっていれば、アオアシラに生きたまま食われる以外の選択肢はないだろう。他にあるとすれば、食われる相手がアオアシラでなく飛竜になるくらいか。それが冗談だと知っているリクとビリーは、ひっそりと顔を見合わせて笑った。





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