酒場は混んでいた。
 入り口から店内を見渡して、ビリーはかるくため息をつく。テーブルはどこも埋まり、そこかしこから笑い声が響いている。大繁盛だ。店としては嬉しい悲鳴を上げたいところだろうが、現在とても喉の渇いているビリーにとってはうれしくない状況だ。それに、疲れているから座りたい。家はすこし離れているから歩くのは億劫だ。諦めがつかずにもう一度、店内に視線を走らせる。と、人の少ない一角が目に入った。
(……お、)
 背の高い椅子に、小さな丸テーブル。そのひとつで、黒髪の男がテーブルに突っ伏している。規則正しく肩が上下しているから、おそらく眠っているのだろう。あんな不安定な場所で、しかもこの喧騒のなかで、よく眠れるものだ。そして彼の向かいにはもうひとつ、背の高い椅子が空いている。
(あそこでいいか)
 ビリーはカウンターに向かい、弱いアルコールの飲み物を注文する。大きめのカップを受け取ってそちらへと向かった。椅子は空いているのだし、少しなら座っても大丈夫だろうと思ったのだ。
 だがテーブルに近づいて、気付く。知らない男、ではなかった。とはいえ知り合いでもない。最近になって見るようになった顔だ。集会所でひとり、煙草をふかしているのを見たことがある。基本的には誰とつるむわけでもなく、ただ黙々とクエストをこなしているようだった。時折、知り合いと狩りに出ているようでもあった。その知り合いは、ビリーも知っている。ガルルガフェイクを常に被っている弓使いと、ドレッドヘアの槍使いだ。ふたりとも変わり者だが楽しい人間なので、ハンターたちの間では有名人だ。どちらかというと、ふたりの方が彼にちょっかいをかけているように見えたが、それを喜ぶでもなく逆に嫌がるでもなく、付き合っているようだった。
 ガルルガフェイクの男はファルト、ドレッドの槍使いはセブンという。ふたりとも明るく人懐こく、けれどビリーの見るところ、本心は笑顔に隠して決して覗かせない、そんな人間だ。たいていの者は笑顔に騙される。だが男は、笑顔で喋ってはいても、確実に一線を引いている。そんな雰囲気があった。曲者だな、とビリーは感じたものだ。
 その男が、目の前でスカコーと気持ちよさそうに寝入っている。
「…………」
 どうしようかと一瞬迷ったが、他に空いている場所はない。まあいいか、とひとり頷いて、ビリーは椅子に腰を下ろした。起こしては悪いので、念のため気配を殺す。酒場の喧騒の中で気配を殺すのは、そう難しいことではない。ビリーが椅子に座っても眠っている男が起きないのを確認して、ビリーはカップの酒を少しずつ飲み始めた。


     ***


 ふ、と意識が浮上する。耳の機能がじわじわと戻り、周囲の喧騒がぼんやりと聞こえだした。
(うるせえ……)
 眉間に皺が寄る。もう少し寝ていたいのに。だが、浮上した意識は沈む気配を見せない。
 未練がましくも暫くはそのままの体勢を保つ。けれども結局諦めて、ノブツナはむくりと上体を起こした。まだ眠っていたいと主張するまぶたを閉じたままで、大きく伸びをした。不自然な体勢で寝入っていたせいか、ごきごきと背中が派手な音を立てる。ついでに首も鳴らし、ようやくまぶたをこじ開けた。と同時に、信じられないものを見る。
「……おはようございます」
「おはよう……ございまーす……」
 少し、間延びしてしまったのは仕方がないだろう。ぽかんと口を開けたまま、まじまじと目の前に座る男を見詰める。
 この酒場に入ったのが夕方のことだ。とても眠かったので、端っこのあまり人がいないところに陣取って、少し眠ろうと思いながら突っ伏したのがその直後。そのときには酒場はこんなに混んではいなかったし、テーブルの向かいには誰もいなかった。誓って誰もいなかったはずだ。
 だがノブツナは、そんなことに驚いているわけではない。椅子が空いているのだから、別に誰が座ったところで構わない。問題は、誰かがすぐ目の前の、手を伸ばせば届くような距離に座ったというのに、それに気づきもしないで眠りこけていた自分自身だ。故郷にいた頃には、考えられない失態だった。そこまで勘が鈍っているのかと、冷や汗をかく。だが、どうやらそうではないらしいと、不意に気付く。
 目の前に座った男には、見覚えがあった。東方からこちらへ流れ着いたときに、目立つなと感じた者のひとりだった。ノブツナがそう感じるということは、おそらく相当の実力者なのだろうと思ったが、噂を聞く限りそれは正しそうだった。曰く、どんな戦場でも眉ひとつ動かさない。曰く、どんな戦場にも一人で乗り込んでいき、ほとんど傷を負わないで帰ってくる。曰く、今までに討伐したモンスターの数は、軽く1000体を超える。噂はいつでもオーバーになっていくものだ。それでも、それが本当かもしれないと信じさせる雰囲気が、彼にはあった。
「起こしちゃったかな」
 その彼が、目の前にいる。首をかしげて訊かれたのに、ノブツナは首を振った。
「とんでもない。来たことにすら気づかなかったよ」
 実際、彼は見事に気配を消していた。彼の存在を知り、確かにその姿を目にしている今ですら、存在が希薄に感じられるほどだ。よかったと頷いてカップに口をつける動きすら、ほとんど空気を揺らすことはない。呼吸音、そして心音ですら、周りの喧騒に紛れこませているようだった。目の前にしている人間に気配を消されるのは初めての経験だが、恐ろしく不自然だ。ノブツナは少し寝癖のついてしまった頭をかき回す。
「……ええと、悪いんだが気配消すの、やめてくんないかな」
 彼はぱちりと瞬きをひとつした。その瞬間、彼の存在がしっかりと感じられるようになる。言い方は悪いが、部屋に置いておいた人形が命を得て動き出した、そんな感じだった。ほっとして、思わず吐息を漏らす。
「寝てるみたいだったから、その間に飲み干して帰ろうと思ってたんだけど……」
 間に合わなかったなあ、と呟く。その手にあるカップには、まだ半分ほどの酒が残っていた。匂いから察するに、あまり強いものではないらしい。ノブツナは笑った。
「まぁ、これも何かの縁だろ。一緒に飯でも食わないか」
 この酒場は、酒もつまみもうまいが飯もうまい。特にベーコンが絶品なのだ。それは彼も知っていたらしい。こっくりと頷いて、ベーコンが食べたい、と言った。
「やっぱそうだよな」
 ノブツナは笑って立ち上がった。カウンターへと向かい、焼いたベーコンとサラダ、それにシチューとパン、他にも適当なものをいくつか注文する。相席する男がどれだけ食べるかは解らないが、ノブツナと同年代の男だ、多すぎるということはないだろう。
 すぐに出されたパンとサラダの皿を持って、テーブルへと戻る。他のものは後で持ってきてくれるとのことだった。男にもそう告げる。男は頷いて、カードを差し出してきた。反射的に受け取って見れば、それはギルドカードだった。ビリーと名前が表記されているそれは、ハンターにとっての身分証明書のようなものだ。ごく簡単なものは、名刺がわりに相手に渡したりもする。そういえば自己紹介もしていなかったのだと思い至り、ノブツナもカードを差し出した。
「ノブツナ」
 ビリーが首を傾げているのが面白くて、ノブツナは笑った。このあたりにはあまりない名前なのは当たり前だ。
「東のほうから来たもんでな。変わった名前だろ」
 そういうと、ああ、とビリーの口から声が漏れる。その視線は、ノブツナの座る椅子に立て掛けられた、武器に注がれていた。
「だから2本なのか」
 思わず、ノブツナは口をつぐむ。ノブツナの使う武器は太刀だ。だが、こちらでの太刀は、ノブツナの故郷で使われていた太刀とは似て異なるものだった。故郷から持ち出した愛刀は、おそろしくよく斬れる薄刃の刀だ。だがこちらで使われている太刀はそれよりも肉厚で長く、重量もある。むろんよく鍛えられ、切れ味だって鋭い。それに重量を乗せて、斬るのだ。硬い鱗に覆われたモンスターを相手にするには、そう進化せざるを得なかったのだろう。実際、ノブツナの愛刀は先端が折れている。まだギルドに入る前、旅の途中で遭遇したモンスターに挑んだ結果がそれだ。こちらでは、この刀は役に立たない。嫌というほど思い知らされたが、それでもノブツナはその刀を手放す気になれず、こうして持ち歩いている。だから、ハンティングに使用する太刀と、この刀。長さの違う2振りの剣が、ここにはある。そんな事情を察しての、ビリーの言葉と思われた。ノブツナはため息をつく。
「未練がましいとは、解っちゃいるんだが」
 それでも、どうしても手放す気にはなれない。この刀は、故郷で様々な修羅場をともにくぐった、いわば戦友だ。こうして折れてしまって使い物にならなくなった今も、手入れだけは欠かさずしている。おかげで美しい輝きは損なわれてはいないが、それでも武器としては役に立たない。完全なかたちを保っていれば、芸術品としての値打ちもあったかもしれないが、折れてしまってはそれもかなわない。結局のところ、ノブツナ以外の者にとってはガラクタにすぎないのだろうということは、重々承知していた。
「いいんじゃないの別に、それでも」
 運ばれてきたシチューの椀を受け取って、彼は言った。ひとつをノブツナに手渡してくる。
「誰かが迷惑するわけでもないしね」
 言って、まだ熱いシチューをはふはふと食べ始める。ノブツナは椀を手に、ぽかんとしてビリーを見つめた。確かに、それはそうだ。その通りで、反論のしようもない。したところで意味だってない。だがそれにしても、
「完全に他人事だなぁ」
「まぁ、実際他人事だし」
 冷めちゃうよ、と言われ、ノブツナはシチューに匙を沈めた。舌を火傷しないようにふうふうやって冷ましながら、考える。
(あんま人に興味とか、ないんかな)
 だが、下手に踏み込んでこないこの距離感は心地よい。根掘り葉掘り事情を聞いておいて、説教を始める輩もいるがまっぴらごめんだ。表面的な付き合いでも、それなりに楽しく、うまくやれればそれでいい。その点でビリーは良い相手だと思えた。よくこちらにちょっかいをかけてくるファルトとセブンもだ。笑顔で本心を隠す、そんな人間がノブツナは嫌いではない。そして自分もその類の人間だということも、よく承知していた。
 ベーコンが運ばれてきた。分厚いそれからは、まだジュウジュウと音がしている。食欲をそそるそれに、ふたりはそろってかぶりついた。ナイフで切り分けるようなことはしない。それがこの酒場でのマナーだった。もっとも、普段からこんがり肉にかぶりついているハンターばかりだから、放っておいてもナイフとフォークを使うような上品な人間はここには来ない。そんな人間はもっと上品な場所に行くだろう。唇についた脂をぺろりとひと舐めして、ノブツナは顔を上げた。忘れていたことを思い出したのだ。
「なあ、ものは相談なんだが、今度俺のクエストに付き合っちゃくれないか」
 ビリーも顔を上げる。もぐもぐと口の中のベーコンを咀嚼して、ごくりと飲み下した。
「モノは何?」
「ティガレックス2頭。……ひとりでやってたんだが、どうにもあれは……難しくてね」
 ハンターランクを上げるための難関だ。ギルドカードを見る限り、ビリーはノブツナよりもハンターランクが上だ。当然、このクエストも成功させているはずだ。ビリーは頷いた。
「いいよ」
 端的な返事だが、これほど心強いものはない。ほっと安堵して、ノブツナは笑った。
「良かった。……なんか、コツとかあるのかな、あれ」
 ティガレックスは苦手なモンスターだ。突進は強烈だし、当たれば大ダメージを食らう。かわしたとしてもその勢いのまま遠くまで行ってしまい、攻撃を仕掛ける暇がない。それが2頭も同時に出現するのだ。手詰まりにもなるだろう。実際、このクエストがクリアできないと嘆いているハンターは多いと聞く。
「ノブツナは、1頭なら倒せるの? ティガレックス」
「得意とは言えないけどな、まあ、倒すことは倒せるよ」
 それを聞いて、ビリーはかすかに唇の端を上げた。笑ったのだ、と、一瞬送れて気付く。
「だったら、合流させなければいい。あれが合流したら、いくら腕の立つハンターでも無理があるよ」
 確かに、それはそうだ。合流さえしなければ、1頭だけを相手にしていれば良いのだから。だが、口で言うほど、それは易しいことではない。ビリーはそんなノブツナの視線に、肩をすくめてみせた。
「クエストに出るのはいつ?」
「俺は別に今からでもいいんだが……」
 ノブツナの言葉に、ビリーは少しだけ首をかしげる。
「今からはちょっと……明日なら大丈夫」
「? 何かあるのか?」
 窓の外では、すっかり日が落ちて、そこかしこに火が灯っている。だからといって、クエストに出かけないということにはならない。夜行性のモンスターなんて珍しくもないからだ。無論ハンターにとっての危険は増すが、それでもそんな危険に、この男が慣れていないはずがない。何か用事でもあるのかという意味だったが、ビリーはかぶりをふった。
「いや、ちょっとね。飽きたというか」
「はぁ?」
 ビリーはサラダに手を伸ばす。新鮮なレタスをしょりしょりと音をさせて齧りながら、言う。
「さっきまで、素材欲しさにティガレックス狩りまくってきたから」
 天鱗、出ないよねと続けて言うのに、ノブツナは唖然とした。1頭でも疲れるあれを、狩りまくった? それでいて、疲れた様子もない。いや、疲れているのかもしれないが、少なくとも見た目には表れていない。
「とんでもねえな……」
 ひょっとして自分はとんでもない化け物に声をかけたのではないかと、ノブツナは思った。




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