きゃあん、と妙に甲高い声がして、ノブツナは思わず振り返った。
 少し離れてはいるが、隣のテーブルだ。セブンとファルト、それにジャックとミスターが席を埋めている。なんだなんだ、と周囲のテーブルから視線が集まるが、そんなことには気付いてもいない様子だ。ファルトがセブンにくってかかっているのを、苦笑しながらジャックとミスターが眺めている。
「おまえ不意打ちは卑怯やろがー!」
「油断大敵だよファルトくーん」
 けらけらと笑ってそれをかわすセブンは、まるで堪えた様子がない。まあ、いつものことと言えばいつものことなのだが。
「……なんだあ?」
 唇の端に煙草をぶら下げて、呟く。ノブツナはそちらに背中を向けていて、何があったのか把握していなかった。ノブツナの正面に座ってエールを飲んでいたリクが教えてくれた。
「セブンがファルトの横っ腹を攻撃したんだよ」
 それにしてもすげー声だったねと、リクが笑う。ああそれで、とノブツナは頷いた。ファルトはくすぐりに弱い。特に横腹と背中が弱い、というのは、もはや猟団では常識だ。面白がってちょっかいを出す奴も多い。セブンなどはその最たるものなのだが、ファルトはなかなか懲りるということをしないようだった。いつだって隙だらけだ。
(……いや、ありゃセブンが上手いのかもな)
 セブンは意外なほど、機を読むことに長けている。その能力を、セブンは最大限に活用していた。主に、悪戯にだ。狩りの最中に仲間をつつく。隙あらばお守り(と称したこやし玉)を投げる。おもむろに爆弾を置く。だが、決して致命的なことにはならない。それこそが、彼が優秀な証なのかもしれなかった。その優秀な観察眼でもって、セブンは仲間の隙を狙い打つ。標的にされるファルトやアッシュにとってはいい迷惑だろう。とは言いつつそれすらも楽しんでいる節があるので、ノブツナは特に何もせず放置していた。
「なんだ、いつものか」
「まあ、そうだね」
 淡々とリクは頷いて、つまみのナッツを口に放り込む。ガリガリと噛み砕くリクから視線を引き剥がし、まだぎゃいぎゃいとセブンにくってかかっているファルトを見やる。あまり煩いのが続くようなら、周囲の迷惑になるし止めなければならないだろう。猟団長はなかなか気苦労が多いのだ。もうちょっと、そう、隣に座るビリーのように、静かでも罰は当たらないと思うのだけれど。
 そんなことを考えながらそちらを見ていたノブツナは、横腹にビリーの手が忍び寄っていることに気付かなかった。
「おっほう!」
 不意にわき腹をわしづかみされて、ノブツナは奇声を上げて飛び上がった。椅子に座った体勢のまま、おそらく拳ひとつ分は確実に浮いただろう。
 驚いて振り返ると、ビリーが金色の眼を見開いている。
「……おお、びっくり」
「それどう考えても俺の台詞だよねビリーはん!」
 そうだ、そういえばビリーもまた油断ならない人間だったのだ。まだ両手を構えたままのビリーにくってかかると、ビリーは落ち着けとでも言うように掌をこちらに向けた。
「まあまあ」
 その掌には、マメの潰れた痕が多くある。それは猟団の皆に言えることではあるが、などとどうでもいいことを考えながら、ノブツナは素早く手を伸ばした。その先は、両手を上げたことで隙のできたビリーのわき腹だ。ハンター特有の驚異的な反射神経でそれを防ごうとしたビリーだったが、僅かにノブツナの方が早かった。わき腹を掴みかけた手は、即座にビリーに払い落とされてしまったが、しかしノブツナはビリーの反応を見逃さなかった。わき腹に手が触れた瞬間、びくんと一瞬、身体を強張らせたのだ。声こそ上げはしなかったが――
「……ほお?」
 にやりと、ノブツナは唇を歪める。嫌な予感がしたのか、ビリーは僅かに眉を寄せて距離を取った。いや、正確には、取ろうとした。だがそこはそう広くもない食堂で、彼らは同じ長椅子に座っている。距離を取るにも限度というものがあったのが、彼の不幸だった。手を伸ばせば届いてしまう程度の距離で、ノブツナが両手をわきわきさせている。対抗して油断なく両手を構えながら、ビリーは呟いた。
「ノブツナ、きもい」
「なにぃ? そんなことを言う奴には……こうだ!」
 狩りで鍛えられた両手が、ビリーのわき腹を襲う。だがビリーも歴戦のつわものだ。さすがの反射神経を発揮して、両の腕をノブツナの手に滑り込ませる。ノブツナの両手は、結局ビリーの腕を掴んで止まった。わき腹に届かなかったことにひそかに安堵したビリーは、次の瞬間、全身をあわ立たせる。
「……っ!!」
 ビリーの腕を掴んだノブツナの指が、うにうにと波打っている。奇妙なその動きに、派手に肩が震えた。反射的に腕を振り払い、再びの攻撃を防ごうとノブツナを見つめた。ノブツナは振り払われた手を、なおもわきわきと動かしている。
「……ビリーはんて、くすぐったいの苦手なの?」
 テーブルを挟んだ向こう側から、リクが呟くのが聞こえた。その言葉に、ノブツナはにんまりと唇の端を吊り上げる。猟団の者たちは慣れているが、普段は表情のわかりにくいビリーの表情が崩れるところを、是非見てみたい。そんな欲求に突き動かされて、ノブツナは再びビリーのほうへと手を伸ばす。しかし警戒されてしまった今となっては、その手はことごとくビリーに叩き落されてしまう。動体視力と反射神経は、ノブツナよりもビリーが上だ。おまけにノブツナには酒が入っている。
 まるで武術の組手をしているかのように、ノブツナの手をビリーはことごとく防ぐ。それでも諦めないノブツナの腕は、次第に速度を増していった。周囲は何事かとざわざわしているが、ふたりは意に介していない。というより、互いにこの攻防に集中しきっているのだ。酔っ払いのスイッチは、どこで入るか解らないのである。
「…………観念しろよビリーはん」
「…………そっちこそ、諦めたら?」
 長椅子に座ったままで、狭いスペースを最大限に活用して、やっていることは単なるくすぐり(に至るまでの)合戦だ。だがここまでのスピードとなると、もはや常人には手の動きを追うことすら難しい。いつしか食堂は静まり返り、彼らの攻防を固唾を呑んで見守るようになっていた。平然と動いている人間は、ごくわずかだ。
「……?」
 そんな周囲の様子など気にしていない様子だったノブツナが、ふと何かに気付いたように視線を動かした。手の動きが、わずかに鈍る。ノブツナの様子に集中していたビリーは、つられて視線を動かした。金色の瞳がノブツナから逸れた瞬間、ノブツナの目がきらりと光る。
「隙あり!」
「ッ!?」
 ノブツナの手が、ようやくビリーの腰をとらえた。そのままわしわしとくすぐってやると、ビリーは声も出さずに身をよじる。どうにか逃げようとしているようだが、いかんせん狭い空間だ。必死で逃げようとしているビリーは、なかなか長椅子とテーブルの間から足を引き抜けないでいる。
「っふ、」
 奇妙に歪んだ唇から、ついに声が漏れた。そうなってしまえばもう堪えることはできなかったらしく、ビリーは断続的に笑い声をあげる。そんなビリーを見て、周囲は目を丸くした。こんなビリーを見るのは初めてだったからだ。くすぐっているノブツナも満足げに笑っている。無理やり引き出したビリーの笑いに、どうやら満足したらしい。
 だが、そこで終わるビリーではなかった。身をよじって笑いながらも、ノブツナが手を引こうとした瞬間に反撃に出る。
「うわっ!?」
 ビリーが狙ったのは、ノブツナの脇の下だ。驚いて身を引こうとしたノブツナだが、ビリーの手がそこを掠めた瞬間、身体を硬くしてしまう。しまった、と思ったときには、もう遅かった。笑いすぎて息を乱し、目に僅かに涙を浮かべながらも、ビリーはわずかに笑ってみせる。
「……今度は、こっちの番だよね」
「ま、待てビリー。俺はお前が攻撃してきたから反撃しただけで」
「問答無用――って、ノブツナの故郷では言うんだったわね」
 怜悧に響く声。その言葉と同時に、背後から腕をつかまれた。どこをどうやったのか、たちまち頭上で固定されてしまう。こんな真似ができる人間は、そういない。
「タロスさん!?」
 悲鳴のような声が漏れる。いつの間にか背後に回っていたのはタロスだった。ついさっきまで、この場にはいなかったはずだ。どうして、と焦るが、彼女がいる事実は変わらない。無理やり首を曲げて彼女を見上げると、彼女は銀色の瞳で見下ろしてきた。
「ちょっとビリーに用事があって来たんだけど」
 だったら早く連れて帰ってくれ、というノブツナの内なる声が聞こえたはずもないが、タロスはにこりと笑う。邪気のない、珍しいと言っていいはずのタロスの笑顔だったが、それを堪能する余裕は、ノブツナにはなかった。
「面白そうなことしてるから、私も混ざろうと思って」
 おそろしい言葉を吐き出して、タロスはちらりとビリーに視線をやった。ビリーが頷くのを目にして、ノブツナは盛大に青褪める。助けを求めて視線を彷徨わせるが、テーブルの向こう側にいるリクはこちらを見ていない。全力で視線をそらしているのだ。目を合わせたら負けだと、理解しているのだろう。それはいかにも正しいが、ノブツナは思わず叫んだ。
「この薄情者―!」
 視線を逸らしたまま、リクはふんと鼻で笑った。ここで返事をしたら否応なしに巻き込まれてしまうからだろう。そんな様子を確かめたわけでもあるまいが、背後のタロスが頷くのがわかった。
「それでは」
 すでに呼吸は落ち着いたらしい。静かなビリーの声におそるおそる視線を戻すと、ビリーはわざとらしく指の関節を鳴らしてみせた。こきこき、とそれは不吉に響く。
「助けも来ないようだし」
 うっすらと目を細める。すうっと唇が、ゆるい弧を描いた。
 次の瞬間から、ビリーのくすぐり攻撃が始まる。タロスとふたりがかりでの総攻撃をくらったノブツナは盛大に笑い転げるはめになり、その後暫くは立てないほど息も絶え絶えだった。
 その現場を目撃していた猟団のメンバーは、やはり暴虐は敵に回すべきではないと、認識を新たにしたのだった。






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