「ノブちゃんって昔、髪長かったよね」
 その言葉に、はあ!? とでかい声をあげたのはアッシュだ。その隣では、スカイが目を丸くしている。そんな様子を見て、あれ? と首をかしげたのはセブンだ。先ほど発言したのも、彼である。
「あれ、知らなかった? かなり長かったんだよ。ねぇ」
「うん。俺と同じくらいはあったと思うよ」
 話題を振られたビリーが、分厚いベーコンを食べる手を止めて答える。ビリーの見事な金髪は、いまは綺麗に編まれて背の中ほどまで垂れている。解けば更に長いだろう。アッシュとスカイはまじまじとビリーの髪を眺め、揃ってその向かいに座るノブツナに視線を移す。その黒髪は、短く刈り込まれている。のんびりと煙草をふかしていたノブツナは、視線を浴びて顔をしかめた。そんなことには頓着せず、ふたりは大きな目を見開いてじろじろとノブツナの頭を見つめた。
「……これが長かったのか? 想像できねえな」
「なんか想像するときもいですね」
 しれっと暴言を吐いたスカイに、周囲から拳が飛んできた。誰よりも早くスカイの頭をはたいたアッシュが、身を乗り出す。
「ジャックみたいな感じだったのか?」
 ジャックの髪も長い。しかも見事な銀髪だから、非常に目立つ。彼はそれを背中に流し、特に括ったりはしていない。何かの作業をする際には、束ねることもあるようだったが。ノブツナが返事をする前に、横からセブンが答えた。
「や、こう、このあたりで結んでた」
 セブンが示したのは、己の後頭部だ。それもかなり高い位置である。つまりは、
「ポニーテールかよ?」
 目元にしわを寄せて、アッシュはノブツナを睨んだ。いや、本人は睨んだつもりはなく、じっと見ているだけのつもりなのだろう。おそらく、その髪型のノブツナを想像しようとしているのだ。
「なんでそんなに長かったんです?」
 何発かはたかれたはずなのにけろりとした顔で、スカイが訊ねる。ノブツナは煙をぷかりと吐き出して、その疑問に答えた。
「俺の故郷じゃあ、長いのが普通なんだよ」
 こっちに来ても暫くはそれで通してただけだ、と言ったノブツナに、スカイは首をかしげる。ノブツナの故郷を知らない人間には、想像しにくいかもしれない。
「男も女も、みんな長いんですか」
「まあ、そうだな。短いのは僧侶とか、ごく少数だ」
「へえ……」
 妙な顔をしている。納得がいかないのかもしれない。同じく初めてこの話を聞いたはずのセブンとビリーは、どうということもなく食事を続行している。彼ら自身も、このあたりとは違う文化圏の出身だ。そんな彼らにとっては、そういう文化もあるのだと割り切れるのかもしれない。そんなことを思いながら、ノブツナは短くなった煙草をもみ消した。
「……駄目だ、想像できねえ」
 ポニーテールノブツナなんて。しつこくノブツナを見つめていたアッシュが音をあげた。グラスからレモネードをすすって、息をつく。
「そもそも、なんで長いんだ? 洗うのとか大変じゃねーの?」
 実に現実的な意見だった。思わず笑ってしまう。その反応が気に入らなかったのか眉を寄せたアッシュに、慌ててノブツナは手を振って否定する。
「別にお前を馬鹿にしたわけじゃない。確かに、洗うのは大変だったな」
「そうだろ」
 アッシュが頷く。そういえば、サクラは髪が長いのだった。その苦労を間近で見ているのかもしれない。
「なんで長いかっていうのは、そういう文化だとしか言えねえな。俺たちのとこの正装は、頭に冠をつけるんだよ。それを固定するのに、髪を結うんだ」
 あらたまった席で、きちんと整えられた着物を身に着ける。そして最後に髪を結い上げてまとめ、そこに冠を固定する。そのために髪を伸ばしていた。そんな必要のない身分の低いものたちも、彼らを真似て髪を伸ばす。結果として、髪の短い者は異端となっていった。だが、そのあたりのことは、あえて説明する必要はないだろう。
「へえ……なんで切ったんだ? ずっと長かったんだろ」
 少なくともこいつらと会うまでは、とセブンとビリーを示す。彼らとは、まだミナガルデに滞在していた頃に出会ったのだった。ノブツナはにっと笑って、率直に答えた。
「お前がさっき言ったろ。洗うのが大変だったんだよ」
 そっか、と頷いて、アッシュも食事に戻る。皿に視線を落としたアッシュが、なにやら言ってセブンに詰め寄った。どうやら、皿にあったはずの海老が少なくなっている、ということらしい。隣にいるスカイの口から海老の尻尾が覗いていることには、気付いていないようだ。
 そんな喧騒をぼんやりと眺めながら、ノブツナは思い出す。その長い髪を、切り落としたときのことを。


     ***


 ミナガルデの街にある、ハンター専用の宿の一室。郵便アイルーの差し出した手紙を、ノブツナは受け取る。肩の荷を降ろしたような顔をしたアイルーに苦笑した。
「そんなに緊張したか?」
 郵便アイルーは、ぴんと張ったひげを僅かに動かしてみせる。そこにくっついていた水滴が少し落ちた。どうやら外では雨が降り始めたようだ。
「だって、そのお手紙、なんだか脆そうだニャ。破れちゃいそうで、怖かったニャ」
「うーん……」
 言われて、手にした紙に視線を落とす。こちらでよく使われる紙や羊皮紙とは違った、どこか弾力のある紙だ。故郷で使われている紙だった。こちらのものよりも実は数段丈夫なのだが、確かに触った感じは脆そうなのかもしれない。まあ、それをあえて説明してやることもないだろう。肩をすくめて、差し出されたカードに受け取りのサインをする。故郷の文字で書かれたそれを一瞥して、彼(彼女かもしれないが)はそれを大事にかばんにしまった。その同じかばんから黄色いマントを取り出すと、おもむろに羽織りはじめる。不器用にもたついているのを見かねて、ノブツナは手を貸してやった。きちんと耳もしまい、かばんも覆って、首の前で留める。尻尾が少しはみ出てしまうが、まあこれは勘弁してもらうとしよう。
「ありがとうございましたニャ!」
 ぴょこんと少し頭を下げて、アイルーは部屋を出て行った。ハンターならば無料で借りられるこの部屋には、ドアがない。入り口は布を垂らして仕切っている。その布がゆらりと揺れて、再び静止するのを見届けてから、再び手紙に視線を落とす。表面に記されているのは、己の名前だ。その筆跡には見覚えがある。故郷にいるヒデツナだ。ノブツナが故郷を出てから、こんなふうに便りを寄越したのは初めてだ。珍しい、と思わず目元が緩む。
 部屋に設置された、粗末なベッドに腰掛ける。サイドボードに手紙を開き、中の手紙を取り出す。横に長いその紙は、綺麗に折りたたまれていた。それを無造作に開いて、思わずノブツナは息をのんだ。
(……なんだ?)
 墨をたっぷり含ませて書いたのだろう、手紙はそこかしこが波打っている。だが、その中に、明らかに別の染みがあった。ぽつんぽつんとあちこちに、何かが落ちた跡。それによって滲んだらしい文字も見受けられる。雨、というわけではなさそうだ。むしろこれは――
(涙……か?)
 ざわりと、胸が騒ぐ。それを無理やり押さえつけて、ノブツナはともかく手紙を読んでみることにした。
『元気で過ごしているでしょうか。こちらもそれなりにやっております』
 当たり障りのない書き出し。だが、筆跡が乱れているように感じた。ヒデツナはとても綺麗な、かっちりした文字を書く。何が、あったのだろう。
 読み進めても、たいしたことは書いていなかった。故郷の様子、庭の木がまた実をつけたこと。家で飼っていた犬が、時折ノブツナを探しているかのように鳴くこと。そんな他愛のない内容が続き、そして、耐え難くなったかのように突然、
『それから、あのひとが亡くなりました』
 その文章は、まるで震えるような文字で記されていた。内容が頭を一度は素通りし、呆然として、もう一度その文章を読んでみる。あのひとが、亡くなりました。その言葉がじわりと胸を打ち、思わずノブツナは胸元を押さえる。
 ヒデツナの言うあのひと、とは、ノブツナとヒデツナの剣の師匠だ。歳の頃はまだ若く、おそらく30歳をいくつか過ぎた頃合だっただろう。いつでも背筋を伸ばし、凛としたたたずまいをしていた。体格は良いほうではなかったが、その腕は間違いなく超一流だった。その腕を知るものに挑まれては、例外なく返り討ちにしていたものだった。厳しく、ときに優しく、自分達を指導してくれた師匠だ。そのひとが、死んだ?
『信じられないと思います。俺も信じられなかった。突然倒れて、そのまま息を引き取ったそうです。俺が行ったときには、もう息がありませんでした』
 その箇所を、何度も読み返す。まるで頭に入ってこなかった。どうしてあのひとが、そんなことで死んでしまうのだ? 殺したって、死にそうにない人だったのに。信じられない思いで、続きを読み進める。
『遺品を整理していたら、手紙を見つけました。色々な人に宛てて書いていたようで、あなたと、俺に宛てたものもありました。同封しますので、読んでください』
 はっとして、まだ折りたたまれている手紙の先を開いてみた。そこには、確かに手紙が入っている。そっけないが流麗な文字で、ノブツナへ、と宛名があった。そっとそれをサイドボードに置いて、ヒデツナの手紙の続きを読む。
『手紙にも書いてありましたが、あのひとはなんとなく、死期を悟っていたようです。誰にも言わずに隠しておくあたりが、あのひとらしい』
 明らかな動揺が、文字から読み取れる。ヒデツナの声が聞こえてくるようだった。どうして、あのひとはそういう大事なことを黙ってるんだか!
(まったくだよな……)
 唇の端に笑みを浮かべようとして、上手くいかなかった。そう、色々なことを教えてもらったが、自分のことは何も喋らないひとだった。最後までそれを貫いたのだ。
 手紙の続きには、近いうちにヒデツナも故郷を出る、と記されていた。そちらに行ったら、またいずれ会おう。そんな言葉で手紙は終わっていた。
「……師匠」
 呆然として、ノブツナはサイドボードへと視線を移す。先ほど置いた、師匠の手紙がそこにある。ヒデツナの手紙を置いて、師匠の手紙を取り上げる。その手が震えていることに、ノブツナは自分で気付いていなかった。ゆっくりと、表面に記された文字を撫でる。暫くそうしていたが、やがてそっと、畳まれた手紙を開く。そう長い手紙でないことは、すぐに解った。
『もしかしたら、お前は怒っているかもしれないな』
 書き出しは、そんな言葉だった。最近は調子がすぐれなく、おそらく自分は死ぬだろうと直感したのでこうして手紙を書いていること。それを誰にも言わなかった事については、謝罪するつもりはないこと。ノブツナもヒデツナも、とてもいい弟子だったということ。そして、自分は幸せ者だ、ということ。
『それから、<薄氷>はお前に譲る』
 それを読んで、弾かれたように視線を上げた。ベッドの脇、壁に立てかけてある2本の太刀。そのうち短いほうが、ノブツナが故郷から持ち出したものだ。その銘を<薄氷>という――師匠が、ノブツナに貸していたものだ。
「人と刀にも相性がある。おまえたちにぴったりの刀が見つかるまでは、それで我慢しろ」
 そう言って、ノブツナには薄刃の<薄氷>を、ヒデツナにはややがっしりしたつくりの<烈火>という銘の刀を貸し与えたのだった。それぞれに特徴を持つ癖のある刀だったが、さすがにあのひとが選んだだけのことはあり、彼らの危機を何度も救ってきた。随分と手に馴染んでしまったが、それでもこれは師匠に返すべきもののはずだった。だが、いまやそれを返す相手はこの世にいない。
 手紙は、それで終わっていた。もう一度、もう一度と読み返し、ようやく視線を手紙から引き剥がす。まるで夢を見ているようだった。それも、とんでもない悪夢だ。
 そっと<薄氷>に手を伸ばす。長年の使用によってやや傷んだ鞘から、すらりと刀身を抜き放った。部屋の僅かな明かりをきらりと反射するその刀は、先端が折れている。ノブツナがこちらへ流れ着いたころ、偶然に遭遇したモンスターに挑んだ結果だった。故郷の太刀は人を斬るために進化したもので、モンスターの硬い鱗を斬るのには向いていないのだ。だが折れた後も手入れは続け、その刀身には一点の曇りもない。おそろしく薄く、優美な曲線を描くその刃を、そしてそこに映る自分の目を見つめた。自分は今、ひどく動揺している。頭の中のどこか冷静な部分がそう言っていた。
「…………っ、」
 立ち上がり、太刀を鞘におさめる。入り口の布をくぐって、ノブツナは本格的に雨の降り出した外へと、足を踏み出した。



 ノブツナが向かったのは、ミナガルデの街を見下ろす山の上だった。ミナガルデは元々山の中腹につくられた街だが、そこよりも更に上だ。頂上に近い場所に、僅かに平たくなっている場所がある。普段は、そんなところに登ってくる人間はいない。ましてやこんな天気では。
 先ほどよりも、雨が強さを増していた。適当な場所で立ち止まり、携えてきた<薄氷>の鞘を強く握る。
 息を大きく吸い込み、吐く。意識して背筋を伸ばし、ゆるやかに手を舞わせた。ゆらり、翻った手を<薄氷>の柄にかけ、強く踏み込んで鞘走らせる。ヒュ、と風と雨を斬る音がした。きらりと、陽光もないのに刀身が光ったように見えたのは、錯覚だろうか。
(……師匠)
 長い髪が、雨を含んで重みを増している。だが、ノブツナは止まらなかった。強く大地を踏みつけ、次の瞬間には高く跳躍する。これは鎮魂の剣舞だ。故郷では、特別なひとのために舞われる。かつてノブツナが舞ったのは、まだ少年であった頃。だが、身体に覚えこませた動きは忘れるものではない。ゆるやかだが激しい、そんな剣舞をよどみなくこなしながら、ノブツナはあのひとを思い出す。
「泣くんじゃない」
 子供のころ泣き虫だったノブツナに、そのひとは渋面をつくって言った。後になって、子供の扱いに慣れていなかったのだと言い訳していたが。
「男だろうが。男が泣いていいのは、家族が生まれたときと、家族が死んだときだけだ」
 ならば、許されるだろうか。
 あのひとは家族ではなかった。だが家族よりも強い絆があったと思う。剣術を叩き込まれ、何度も挑んだ。そうして何度も返り討ちにされた。いつかは師匠を超えてみせると、かたく誓っていたというのに、もうそれは永久に叶わない。
 不意に、呼吸が乱れた。足がもつれ、躓いて地面に膝をつく。ぜいぜいと荒い息をついて、両手で身体を支えた。そうしていないと、倒れこんでしまいそうだったのだ。
「……っ」
 喉からこみあげる嗚咽を、必死に噛み殺す。だが決壊した涙腺からは、あとからあとから涙が溢れ出した。雨に打たれて冷え切った頬を、温かい涙が流れていくのがわかる。
 どれだけそうしていたのだろう。まるで胸元に大穴が開いたような心持ちで、ノブツナはつと顔を上げた。曇天からは、大粒の雨が降り注いでいる。その雨に涙を綺麗に洗い流されて、ようやくノブツナは唇の端をわずかに上げた。けりを、つけなければならない。いつまでもこうしているわけには、いかないのだから。
 手にした刀に視線を落とす。手入れのかいあって、見事な切れ味はいまだ健在だ。
 左手で、結った髪を持ち上げる。折れた刀をそこに差し入れ、一気に引いた。ぞろりと手ごたえがあり、ぶつんと髪が切断される。ざんばらになった髪が、顔の横に落ちてきた。ぼたぼたと水滴が流れ落ちる。
 ノブツナの故郷では、男も女も長い髪が当たり前だった。髪を短くしている者はほぼいないと言っていい。
 今までは、ノブツナにはいずれ故郷に帰るつもりがあった。だが、今はない。ヒデツナが故郷を出るというのも、同じことだ。故郷に帰らないのならば、こうして髪を伸ばしている理由もない。長く伸ばした髪を切り落とす、それがノブツナのけじめだった。もう故郷に戻る気はないという意思の表明だ。
 切り落とした髪の束を手に、のろのろと立ち上がる。膝から下は泥にまみれ、全身は雨に濡れてしまっているが、ノブツナは構わなかった。いっそ、今の気分にふさわしいというものだ。それでも意識して背筋を伸ばす。あのひとは死んだ。だが、その一部は確かにノブツナの中に生きているのだ。それに恥じるような行いはするべきではない。
(『胸を張れ。矜持を持て。戦いに身を置くならば、最期まで我々が捨ててはならないものだ』……)
 それが師匠の教えなのだから。深呼吸して唇を引き結び、あごを引く。握ったままの刀を、鞘におさめる。その場で一礼して、ようやくノブツナは踵を返した。まずは部屋に戻って着替え、このざんばらの髪をなんとかしなければならない。最近この街に訪れたらしいカリスマアイルー、彼に頼むのも良いだろう。短く、そう、故郷では到底考えられないほど短く刈り込んでもらおう。そんなことを考えながら、ノブツナは山を下る。
 強まっていた雨が、少しずつ弱くなってきているようだった。


     ***


 何年かの月日が流れ、そのことはもう、ノブツナの中では過去の話になっている。時間と忘却は、人を癒してくれるのだ。あんなに痛かった胸が、もう全く痛くない。時折、胸のうちで燻るものが、ないわけではないのだけれど。
 あれから、ノブツナは泣いていない。泣きたいようなこともあったが、唇を噛んで堪えてきた。男が泣いていいのは、家族が生まれたときと、家族が死んだとき。ノブツナはやかましく食事を続ける男たちを見回した。
 彼らに限らず、猟団の仲間はもう家族のようなものだ。ノブツナはそう思っている。多くのものを貰っているし、それに見合ったものを返したいと思う。だから、
(次に俺が泣くのは、こいつらに家族ができるときだ)
 そう心に決めている。結婚するか子供が生まれるか、そんなときに自分は泣くのだろう。家族が死んだとき、については、考えないことにしていた。いつでも死と隣り合わせの状況に身を置く人間は、死を意識した瞬間、その手に魂を掴み取られてしまう。覚悟を決めて、矜持を持って、生きて帰ると楽観的に信じることが必要なのだと、ノブツナは思っている。それも半分は、師匠の教えだったが。
 ノブツナ、と声をかけられて、声の主へと視線を戻す。正面に座っているビリーだった。ベーコンを食べ終わり、皿に残った脂をパンでぬぐっている。
「今は、楽なの?」
 その言葉に、思わず目を見開いた。今まで思考に没頭していたせいで、胸の痛み、師匠を失った喪失感、それらについて訊かれたのかと、一瞬錯覚する。だが冷静になって考えれば、先ほどの話の続きだと解った。髪を洗うのが大変だった、というあれだ。
「……ああ、今は楽だな」
「そう」
 ビリーは頷いて、脂をぬぐったパンを口に運ぶ。ベーコンから染み出した脂と、振り掛けられた黒胡椒が良い匂いだ。それをもぐもぐと咀嚼して、飲み下す。
「それは良かった」
 まるで何もかもを知っているように、ビリーは唇の端を歪めた。かすかな微笑みに動揺して視線をさまよわせると、セブンの視線とぶつかった。相変わらずアッシュにぎゃいぎゃい言われているが気にもせず、ぱちんと器用なウインクを寄越す。ノブツナはひとつ瞬いて、ようやく理解した。
(ほんと、かなわねえ)
 彼らは、具体的に何があったのかまでは知らないはずだ。だが、何かがノブツナの身に起きたことは感づいていた。そのうえで知らないふりをしていてくれたのだ。ノブツナが何も言わないから、なのだろう。おそらくは、あの頃すでに付き合いのあったファルトとジャックも同様だ。ふと、口元に笑みが浮かぶ。なんていい仲間を持ったのだろう、自分は。
「おいアッシュ」
 まだセブンに詰め寄っているアッシュを呼んで、振り向いたところでスカイを指差す。スカイはちょうど海老を食べ終わり、残った尻尾を口からつまみ出すところだった。アッシュに見られていることに気付いて、ぺろりと舌を出す。てへぺろ、というやつだ。
「お前かよ!」
 返せ! と叫んだアッシュに、スカイは平然と答える。
「え、吐けってことですか? 食事の席でそういうのはちょっと……」
「ちげーよバカ!」
 賑やかにじゃれあう彼らに、思わず苦笑する。手を上げて、ウエイトレスを呼んだ。いくつか注文を頼んで、新しい煙草に火をつける。
 吐き出した煙が、ゆるやかに宙にとけて消えていった。






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