地熱が憎い。
 ベッドにぐったりと横たわって、ノブツナは目を閉じていた。じっとりと全身に汗をかいているが、風呂に入る気にはなれない。温泉は良いものだし大好きでもあるのだが、温泉から出た後にまた汗をかくのが目に見えている。
 そう、温泉だ。このユクモは、温泉を中心に発展した村だ。その恩恵を充分に受けた村は、一年を通して温かい。冬には地面がぽかぽかと暖まり、その上に立つ家々もその温かさを充分に堪能できる。だが夏には、その温かさが仇となる。だからこその暖簾であり、だからこその風通しのいい建物なのだが、そんなものは風がなければ何の意味もないのだ。
 わずかに目を開いて、そよりとも風の吹く気配のない空を睨む。開放された窓から見える空は、雲ひとつない快晴だ。きっと南の空には、ぎらぎらと輝く太陽が浮かんでいることだろう。
 はあ、と溜息をついて、のろのろと身体を起こす。ふと見ると、床にはオトモアイルーが伸びている。
「……火山でも平気なくせに、どうしてそうなるんだ?」
 ふと疑問に感じて言ってみると、アイルーは少しだけ顔を動かし、恨めしげな目でノブツナを見上げた。
「……暑いだけなら平気ニャ。でも、ムシムシするのは苦手ニャ……」
 ああ、そういうことか。ノブツナはもう一度ため息をつく。問題はこの湿気なのだ。確かに火山や砂原で感じる暑さとは全く違う。まるで熱気がまとわりつくような、そんな不快感があるのだ。故郷でもそうだった。ノブツナは昔を思い出し、少し笑う。そういえば故郷でも、動物は夏になると伸びていたのだった。いずこも同じかと頷いて、ベッドから這い出る。パンツ一枚で寝ていたので汗だくだ。ざっと汗を拭き取って、甚平を着込む。着たそばから汗が吹き出してくるのは、もうどうしようもないので考えないことにした。下駄をつっかけて、家の入り口の暖簾をくぐる。
「……どこ行くニャ」
 アイルーの声が追いかけてきたので、適当に返事をした。
「散歩だよ、散歩」
 ――実際は、涼を求めてさまようつもりなのだが。




 最初に会ったのはジャックだった。いつもより格段に薄着をして髪を結い上げ、何故だか傘を差している。
「……なんだ、それ」
 挨拶も忘れて、ノブツナは呟いた。なんで雨も降っていないのに、というよりも直射日光が痛いくらい晴れているというのに、傘なのだ。赤が鮮やかな蛇の目傘をわずかに揺らして、ジャックは笑った。
「村長が教えてくれた。こうして日影を作って歩くと、だいぶマシだ」
 ふむと考えて、ノブツナは試しにジャックの影に入ってみた。太陽光から遮られた途端、すっと涼しくなったような感覚がある。相変わらず熱を持った肌は火照っているし、少しすれば暑さは蘇ってしまうのだが、確かに直射日光に晒され続けるよりは格段に、楽だ。
「日陰を探して歩くんじゃなくて、日影を作るのか。なるほどなあ……」
 なるほど日陰に入ってしまえば、熱気を含んだ風でも涼しく感じる。これはいい発見だと、ノブツナは頷いた。
「んーいいなこれ。ジャック俺の日よけになってよ」
「お断りだな」
 さっくりと断られて、内心で舌打ちしながらジャックを見上げる。それでも自分から移動したりしないあたり、彼は優しい。
「俺は農場に行くところなんでな」
 ノブツナはぱちりと瞬く。
「何かあるのか?」
「いや、農場に用事があるわけじゃない」
 用事があるのはリクだ。と続けられて、納得した。考えてみれば、ジャックが歩いてきた方向にはリクの家があったはずだ。家に行ったらいなかったので、農場に向かうところなのだろう。リクは家にいなければたいてい農場にいる。あるいは狩りに出ているかだが、ジャックが農場に向かうということは、おそらく狩りに出ていないのを知っているのだろう。
「なに。あいつ、また何かやったの」
「いや、粉塵を頼まれてただけだ……農場にいるなら、ついでに野菜が欲しいと思って」
 粉塵なら家に置いてくればいいのに、と顔に出たのか、ジャックはのんびりと言葉を付け加えた。ああ、なるほど。
「あいつの野菜、うめーからなぁ」
 夏だとキュウリとかナスとかピーマンとか。トマトはリク自身は大嫌いで絶対に食べようとしないのだが、周囲のリクエストによってしぶしぶ作っているようだった。それでも彼の作るトマトは美味しいのが、不思議なところではある。
「あいつ、マジで農家に専念してもいいと思うわ」
 ジャックはそんなことを呟いて、じゃあなと踵を返した。日陰がなくなり、再び直射日光が襲ってくる。ひとたび涼しさを感じてしまったノブツナは思わず呻いた。周囲を見渡して、セブンの家に気付く。とりあえず日陰だ、と呟いて、ノブツナはそこへと向かった。




 家に入る直前から、いい匂いはしていたのだ。
 セブンの家の暖簾をくぐって、ノブツナは鼻をすんすんと鳴らす。家の中には、スカイとファルト、そしてアッシュがいた。それぞれ暑さにぐったりしていたが、ノブツナが入ってきたことに気付くと、アッシュがにやりと笑う。
「なんだ、いい匂いに釣られたか?」
 そういうわけではないのだが、確かにこれはいい匂いだ。否定しても信じてはもらえないだろう。苦笑して、ノブツナは呟いた。
「セブンの特製カレーか」
「暑いときにはカレーに限るんだってさ」
 ファルトが言う。セブンは砂漠の出身だ。なんとなく説得力があるような気がしてくる。そもそも、猟団の皆が揃ってこの暑さにやられ、ぐったりしている時でも、セブンは比較的元気だ。さすがに、いつもよりは元気がないこともあるが。
「あれ? ノブちゃんじゃん」
 そのセブンが、キッチンに続く暖簾をくぐって出てきた。手にしているのはカレーの皿だ。なすとピーマンのカレーらしい。
「ノブちゃんも食う?」
「いや、俺はいい」
 昼は軽くすませてあるし、あんまりご飯という気分じゃないのだ。あまりの暑さに食欲が落ちているらしい。そう、と返事をして、セブンはカレーの皿を残りの3人に配った。がつがつと食い始める彼らに、いったんキッチンに消えてから戻ってきたセブンがグラスを配る。そこには白いジュースのようなものが入っている。はい、とノブツナにも渡されたので、飲んでみた。甘いなかにも爽やかな、かすかな酸味。
「ラッシーか」
「そ。カレーには合うんだよねー」
 手作りだよ、とセブンは言い、自分でもグラスを傾けている。セブンは料理上手だし、案外凝り性だ。それにしても、どうして彼らがセブンの家でカレーをごちそうになっているのだろう。疑問をぶつけてみると、セブンはからからと笑う。
「ファルトがね、なすを大量に貰ったらしいんだよね」
 猟団の農家ボーイ、リクから――ではなく、たまたま狩猟の帰りに手助けをした礼として、見知らぬ農家のおばあちゃんから。ファルトはあまり自分では料理をしないので、料理上手のセブンのところに持ち込んだ。たまたまその途中で会ったアッシュとスカイも着いてきた――ということらしい。割とよくあることだ。
「あっちー!」
 ファルトが叫ぶ。汗だくだ。アッシュもスカイも似たような状況で、しきりにラッシーを口に運んでいるところを見ると、やはり結構辛いらしい。それでもカレーを口に運ぶ手が止まらないのは、辛くても美味いのだろう。
「暑いときには汗をかく。これ最強だよねー」
 おかわりあるよー、と声をかけると、真っ先にアッシュが空の皿を掲げる。はいはい、とセブンが受け取って、キッチンへと入っていく。
「ノブツナさんはなんでこんなところにいるんですか?」
 カレーを頬張りながら、スカイが疑問を投げつけてきた。年上のセブンの家を「こんなところ」呼ばわりとはいい度胸だが、そこには触れずにグラスを揺らす。ラッシーの中に浮いた氷が、ゆらりと揺れた。
「うちが暑いから、どっかに涼しいとこはないかと思ってなあ」
 だが、セブンの家も暑さでいえば大差はない。それはそうだ、家がそうそう離れているわけではないのだから。
「そりゃー無理だよノブちゃん、夏だもん」
 アッシュのおかわりを運んできたセブンに、笑われてしまった。そりゃそうなんだがなあ、とノブツナは頭をかく。
「ここ、ノブツナさんの故郷に似てるって言ってませんでした? 故郷の暑さ対策とか、できるものはないんですか」
「暑さ対策かあ……」
 言われて、考える。真っ先に思い浮かぶのは打ち水だ。
 ノブツナの故郷では暑さの対策として、打ち水なんてことをしていた。けれどもここでそれは通用しない。打ち水とは、ようするに地面に水を撒くことだ。その水が蒸発するときに地面の熱を奪って、結果として多少温度が下がる――そういうことらしい。だが、ここは温泉地だ。地面は暖かいが、それは太陽によって温められたからではない。地面からじわじわと湧いてくる熱があるからだ。そんなところに打ち水をしても、単に湿度を増すだけだ。そう説明すると、聞いていた彼らは一様にがっかりした顔をする。
「なんだ……使えないですね」
 スカイがぼやくが、反論する気もない。実際その通りだし、暑くて怒る気力も湧いてこないのだ。冷えたラッシーを飲み干して、グラスをセブンに返す。
「ごちそうさん。涼しい場所をもうちょっと探してみるわ」
 外に出て行って直射日光を浴びるのには覚悟が必要だが、いつまでもここにいるわけにもいかない。内心で気合を入れて、ノブツナは暖簾をくぐって外へと踏み出した。




「あれ、ノブツナ」
 不意に声をかけられて、しかしどこから声をかけられたのかわからずに、ノブツナはあたりを見回した。人影はないようだが――と思っているところに、再び声がする。
「上だよ、上」
 視線を上げると、農場の入り口の橋のむこうがわ、岩を少し登ったあたりに、ミスターが腰掛けていた。滝壷に釣り糸を垂れている。
「よう、ミスター。釣れるか?」
「ぼちぼちかな」
 応えて、ミスターは笑う。ノブツナは橋の手すりに寄りかかり、滝壷を見下ろした。魚影は、残念ながら見えない。それでもちょうど茂った木が日陰をつくり、更に滝から飛んでくる細かい水の粒がたちこめていて、かなり涼しい。ミスターのいるところは更に涼しいだろうと思われた。
「涼しいなー、ここは」
 ほっとした心持ちで呟くと、ミスターは聞き取ったらしくかすかに笑う。
「こっちは温泉とも離れてるしね。村は暑いよ」
 確かに、とノブツナは頷いた。暑さから逃れようとなんとなく足を進めていたら、結局農場までたどり着いてしまったのだ。地熱と湯気から逃れるならば、農場はある意味最高の選択だと言えた。少し生き返ったような気分で(つまり今までは死んだような気分だったということなのだが)、ふとノブツナはミスターを見上げる。
「そういや、ジャックがここ通ったか?」
「ジャックは見てないな。ビリーは通ったよ。……あ、もしかして傘を差して通ったの、あれがジャックかな」
 首をかしげているミスターに、ノブツナは笑った。それはジャックだと教えてやる。傘を差していたなら、ミスターからは誰か解らなかったのも無理はない。なんで傘? とますます首をかしげるミスターに、ノブツナはさっきの会話を再現してやった。
「なるほどねえ……確かに、日を遮るだけでだいぶ違うもんね」
 納得したように頷くミスターは、どうやらここを動くつもりはないらしい。ノブツナもしばらく涼みながら他愛無い会話を交わしていたが、つと身体を起こした。ここでは湿気が多すぎて、煙草を吸うのも難しいだろう。
「んじゃ、俺は農場へ行くわ」
「うん。じゃあね」
 小さく手を振るミスターに手を振り返して、ノブツナは農場へと足を踏み入れた。
「あれ、ノブちゃんじゃん」
 つばの広い帽子をかぶり、手ぬぐいを首から下げたリクが、こちらを見て手をあげた。のんびりとそちらへ近寄り、声をかける。
「よう。ジャック来たろ」
「うん。あっちにいるよ」
 指差す方向を見ると、農場の奥、水辺に生えた大きな木の根元だ。ちょっと広く空いてほどよく草の生えているそこに、ジャックが座って本を読んでいるようだった。こちらに気付いたか、小さく手を振ってくる。ノブツナも手を振って、ふとジャックの隣にいる人物に気付いた。
「……ビリーは寝てるのか」
「ああ、結構前からね」
 汗をぬぐって、リクが答える。木陰で、風もそよそよと吹いている。身体の下にあるのはやわらかな草。昼寝には絶好の場所だろう。そちらへと足を向けて、ノブツナは日なたから再び日陰へと入る。やはり、直射日光がないだけでだいぶ違う。ほっと息をついて、ジャックのそばに腰を下ろした。ジャックの読んでいる本を覗き込むが、何が書いてあるやらさっぱり解らない。かろうじて竜の爪、という言葉が視界に引っかかったので、きっと論文か何かだろう。それには触れないことにして、ノブツナは腰にぶら下げていた手ぬぐいで汗を拭いた。ミスターのところでだいぶ涼んだというのに、日なたをほんの少し歩いただけでこれだ。これでも、村にいるよりはましなのだが。
「……なんか、いい匂いがするな」
 ジャックが、鼻をひくんと動かした。何のことだ、と考えて、ああと納得する。
「セブンちに寄ってきた。あいつカレー作ってたからなあ」
「ほお、そりゃいいな。俺も行ってこようかな」
「ファルトとアッシュとスカイがいたからなあ……残ってるとは限らねえぞ」
 それを聞いて、ジャックはふんと鼻を鳴らす。
「……そりゃ残ってるほうが不思議だ」
「確かにね」
 苦笑まじりの声が後ろから聞こえて、ノブツナは座ったまま振り返る。リクが、籠を持って立っていた。籠のなかには、キュウリとトマトがこんもりと盛られている。
「おやつ。食う?」
 籠が濡れているのは、どうやら川にでも浸して冷やしていたためらしい。木漏れ日にきらきらと水滴が反射して、実に鮮やかだ。頷いて、ノブツナはリクに場所を譲った。適当に籠を下ろして、リクも座り込む。
「おーいビリー、おやつだってさ」
 ちょいちょいと肩をつつくと、ビリーはなにやら呻いて、ぱちりと目を開けた。見下ろすノブツナに気付くと、金色の瞳がぱちぱちと瞬く。
「……あれ、ノブツナがいる」
「俺もいるぞー、ほれ」
 水分補給だ、とジャックが水筒を渡す。寝転んだままにそれを受け取ったビリーは、腹筋の力だけで上半身を起こした。まだ目が覚めていないらしく、ふああと大あくびをする。その間に、リクが小さな袋の口を開けた。中には粒の粗い塩が入っている。
「はい、どーぞ」
 リクの声と同時に、冷えたトマトに手を伸ばす。ヘタを取り、袋から塩を少量とってまぶし、かぶりつく。ほのかな塩気と、みずみずしいトマトの甘みが口のなかに満ちた。リクの作る野菜は、とても味が濃い。幸せな瞬間に目を細めて、ため息をもらした。最高の贅沢だ。
「うめぇ」
 当然でしょ、とばかりに、リクはキュウリをがりがりと齧っている。ジャックもキュウリを齧りながら、籠の中を覗き込んだ。
「……なんか、違うのがあるな」
「ああ、」
 そうだった、とリクが呟いて、盛ってあるキュウリとトマトをよける。底のほうにかくれていたのは、やや小ぶりのスイカだった。それがふたつ。
「作ったの?」
 ビリーがトマトを咀嚼する合間に尋ねると、リクはいや、と否定する。
「これは、ほら。入り口で呼び込みしてる兄ちゃんの実家でくれた」
 宿屋を営むその家では、様々なものを仕入れる。夏だからとスイカを仕入れたのだが、仕入先の農家がおおらかな人たちで、おまけだと小ぶりのものをたくさん置いていってくれたのだという。とはいえ、スイカはそう大量に消費するものでもない。というわけで、たまたま農場へ行くために通りかかったリクにくれてよこしたのだ、ということらしい。
「せっかくだから冷やしてみた。食う?」
 うん、とビリーが頷いて、ジャックがリクの荷物のなかから包丁を取り出す。その包丁とスイカを、ジャックとリクはそれぞれノブツナに差し出してよこした。
「……おい」
 俺に切れってか、と見返すと、当然と言わんばかりの視線が返ってくる。肩をすくめて、ノブツナはそれらを受け取った。
「……まあ、4人なら分けやすいしな」
 包丁の背でだいたいの見当をつけ、くるりと刃を返して一気に切る。ころんと転がったスイカの断面は、実に鮮やかな赤だ。ジャックがすかさず塩を振って、それぞれに分ける。ノブツナも包丁を置いて、それを受け取った。ずっしりと重いスイカはよく冷えている。しゃく、と一口齧ってみると、想像したよりもずっと甘かった。
「美味いなー」
 水分も多く、夏にはうってつけだ。のんびりとそう呟いてふとビリーを見ると、ちょうど横を向いて種を飛ばすところだった。案外遠くまで飛んでいるのを見て、ノブツナの好奇心に火がついた。スイカを頬張り、種を口の中でより分ける。ぷっ、と飛ばしてみると、これが案外飛ばないのだ。むきになって遠くまで飛ばそうとしていると、どうやらそれに気付いたらしいジャックが参戦してきた。ジャックは、案外いいところまで飛んでいる。なんとなしに悔しくて、ノブツナはさらにスイカを頬張った。
「なにしてんだか……」
 呆れたように、リクはそれを見ている。リクには参戦する気はないらしい。しゃくしゃくと音をたててスイカを食っている。
「あー! なんかいいもん食ってんぞ!」
 遠くからでもよく通る声が、ふいに聞こえた。振り返ると、農場の入り口に見知った連中の姿がある。
「……あいつらも来たのか」
 この暑いのに元気だなあと、少々げんなりした様子でジャックが呟く。その意見には全面的に賛成だ。
「……うるさくなるな」
 なにしろとことんやかましい奴らだ。だが何を言ったところで、おとなしく引き上げるとは思えない。むしろ、そんなことがあったら怖い。
 しかたがない。揃って溜息をついて、彼らのために場所を空けてやろうと、身体をずらした。
 ダッシュでこちらへ近づいてきた彼らが止まりきれず、ノブツナの背中に衝突するまで、残り10秒といったところだった。








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