リクエスト「平家落人関係」
ぼんやりウィキペディアを眺めたらこういう話になりました。
ご想像と違ってたら笑って流してください……リクエストありがとうございました!










 雨が降っている。
 さあっと音を立てて降る雨は、しっとりと緑を濡らしていた。男がいる場所からは、小さな庵が見える。古びて小さな、まるで人の気配のない庵だ。屋根や壁は苔むして傾き、今にも倒れそうな風情。――その庵を眺めるように、一人の男が佇んでいた。笠をかぶり、柿渋色の直垂、括袴。剣は佩いていない。すっと背筋を伸ばして佇むその後姿に、声をかける。
「……まだ建っているとは、思わなかったな」
 声をかけられた男は、つとこちらを振り返った。無造作に結って背に垂らした髪が揺れる。そこに驚いた様子はない。まるで、声をかけられると解っていたような動きだった。僅かに硬い調子で、言葉を返してくる。
「……まったく、崩れないのが不思議なくらいですね――源範頼どの」
 男が名乗りもしないのに、その人物はあっさりと名を呼んだ。その名を持つ人物は、源氏の総大将にあたる源頼朝の弟で、腹心の部下と言うべき存在のはずだ。こんな遠江の片田舎にいるはずがない。だが、範頼と呼ばれた男は笑って言う。
「人が住まねば、家など傷む一方だ」
 その言葉にか、あるいは返事をしたことにか、佇む男は溜息をもらしたようだった。不意に、まとう空気が柔らかくなる。
「……まさかと思ったが、どうしてこんなところにいる? 範頼どのは陸奥へ向かう途中だと聞いたけど」
「俺は三河守だ。陸奥に向かう前に、己の領地に立ち寄るのは不自然ではあるまい――そこから少々足を伸ばしたとしても、兄上には言わなければ解るまいよ」
 三河と遠江は隣り合っている。陸奥での開戦にはまだ間があるだろうと、範頼は供の者も連れずに、こっそりとこの地へ訪れていた。普段はまず勝手な行動をしない彼の突然の単独行動に、今頃屋敷は大騒ぎをしているかもしれない。くつくつと笑い、男は顔を上げる。笠をすこし上げると、涼しげな目元にぽつんとほくろがあるのが判る。それを見て、ようやく範頼の顔にも笑みが上る。
「きみは変わらないな。そのほくろ――すぐに解った」
 その言葉が何を示しているのか、男はすぐに理解した様子だった。だが笑みをたたえたまま、逃げ出す様子もない。
「豊前でのことか」
 後の世では、蘆屋浦の戦いと称される。その戦いで、範頼は長門、筑前、そして豊前の地を制圧した。その合戦の最中、範頼はひとりの平家方の武者に視線を奪われた。遠目に見ても、ひどく良い動きをしている。簡易だが重い鎧を着こんですら、まるで重力を感じていないかのように軽々と戦場を舞う。思わずそれを目で追っていると、そいつもふとこちらを見た。視線がかち合う。範頼は見覚えがある、と瞬間戸惑い、思い出して目を見開いた。幼い頃、まだ遠江の国で暮らしていた頃、よく一緒に遊んだ子どもがいた。涼やかな目元に、ぽつんと黒いほくろが特徴的なその子を、忘れたことはない。
「萌黄……たしか、俺はきみをそう呼んでいたな」
「そう。そして、おまえは蘇芳だ」
 懐かしいな、とふたりで笑う。子供の頃、まさにこの場所でふたりは出会った。その頃この庵はすでに無人だったが、ここまで傷んではおらず、子供にとっては格好の遊び場だったのだ。互いに名前を明かさず、戯れに着ていた着物の色で呼び始めたらそれが定着してしまった。もっとも、それもほんの一年に満たないていどの期間のことだ。蘇芳と呼ばれた少年は、その血筋ゆえに源氏の有力者のもとへと。そして萌黄と呼ばれた少年は、平家の指揮下に入ったのだろう。元々そちらの家柄であったのか、あるいは新規に平家へと下ったものかは、範頼は知らない。興味もなかった。
 ふたりはそれぞれに成長し、いまや彼らは敵同士だ。源氏と平家。対立し、大きな戦をしていたのは子供でも知っている。平家はついに壇ノ浦で滅亡に追い込まれ、逃亡して各地に散った平家の残党狩りは、いまだ根強い。あれだけの働きをしていたのだから、かつて萌黄と呼ばれていたこの男が捕らえられれば、おそらく死は免れないだろう。戦争というのはそういうものだ。
 そのことを、ふたりとも痛いほど理解していた。それでも萌黄が逃げようとしないのは、全てを受け入れているからに他ならない。範頼はわずかに目を細めた。
「……怪我をしたのか」
 ぱちりと瞬いて、萌黄は何かに気付いたように左手を掲げてみせた。
「これのことか」
 その手には、親指がない。途中から切り落とされてしまっていた。戦いの中で負った怪我なのだろう。――利き手でないとしても、親指がなければ武器は握れない。だが包帯などを巻いている様子もなく、怪我をしてからだいぶ経っているのだとわかる。おそらくは範頼が彼を見つけた、あの戦いで負ったものだろう。
「へまをした。……言い訳をさせてもらえば、これをやったもののふは、たいそうな腕だったと思うよ」
「……そうだろうな」
 あんなふうに、舞うように戦場を駆け抜けていた彼に、これほどの怪我を負わせるのだから。思えば、一緒に遊んでいた頃からそうだった。萌黄はひどく身体能力が高くて、範頼はいつも置いていかれては泣いていたのだ。そのたびに戻ってきては手を繋いでくれた、萌黄の温かい手を今でも覚えている。苦笑して、範頼は足を踏み出した。近づいてくる男を、萌黄はじっと見つめている。その目の前まできて、そっと怪我をした手を取った。記憶にあるものよりも冷たいが、やはりその手は温かい。笠から出た手を、雨が濡らす。間近で顔を見て、子供の頃の面影を探し――あらためて、微笑む。
「会えてよかった」
 噛み締めるように言ったそのことばに、萌黄は目を見開いた。
「……捕らえないのか」
 範頼は源氏の中心人物のひとりだ。対して萌黄は平家の武将だった男。ここで見逃すことがどれほどのものか、理解できぬ萌黄ではない。もし、他の人間に知られでもしたら、彼は破滅だ。だがそれを知っていてなお、範頼は笑う。
「捕らえるつもりなら、供を連れてきているよ。……それに、俺はただの蘇芳で、きみは萌黄だからな」
 いまの自分たちは、源氏と平家ではないのだと。そう言われて、萌黄は戸惑ったようだった。けれども結局は、諦めたように笑う。涼やかな目元が、かすかに歪んだ。
「おまえも変わってない。もう決めたんだろう……相変わらず、頑固だ」
 範頼は思い出す。そう、子供の頃からそうなのだった。決めたことは梃子でも曲げない。萌黄に頑固者と罵られたことも、一度や二度ではない。
 そろそろ、戻らねばならない。別れの挨拶のつもりで手に力を込めると、不意にその手を引かれた。身体が近づき、萌黄の右手が肩を叩く。まるで子供の頃のような感覚だった。
「俺も、会えてよかった。……武運を祈る」
「ありがとう。きみも、どうか無事で」
 握る手に力をこめて、離す。離れる瞬間の温かさが妙に肌に残って、何故だか泣きたくなった。実際には、涙は出なかったのだけれども。


 のちに奥州合戦と呼ばれる戦いの幕が開くまで、あと一月といったところだった。




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