リクエスト「メロンパンの出てくる、ほのぼのな話」
私的にはこれはほのぼのなんです……よ……
リクエストありがとうございました!






「僕はね、日本が大好きなんだ」
 いきなり真面目な顔で語りだした友人をちらりと横目で見て、またかと溜息をつく。そんな佐伯をよそに、彼はなおも続けた。何故かその視線を、佐伯の手元に固定して。
「フランスにいたとき、両親が日本の友人から送ってもらったアニメのDVDを見るのがすごく好きだった。その中に出てきた日本のものたちは、ぼくを釘付けにしたんだ」
「ああ、知ってるよ。何度も聞いた」
 口を挟んでみるが、彼――ダニエルという、純粋なフランス人のくせに流暢な日本語を操る男だ――は止まらない。
「じゃあもう一回聞いてもらおうか。カラオケ、スシ、テンプラ、ベントー、そして――そう、メロンパンだ!」
 ダニエルの視線は、佐伯の手元から離れない。そこには、ついさっき購買で買ってきたメロンパンがあった。とある有名メーカーの、チョコチップの入ったメロンパンだ。両手に余るサイズのそれは、佐伯のお気に入りだった。最近はとんと見かけなかったのだが、この大学の購買に入荷されているのを発見したのが、つい先ほど。夜にかけてバイトに入らなければならないので、その前の腹ごしらえにと買い求めたものだ。袋をぶら下げて食堂のいつもの場所へ向かうと、ダニエルがつつっと寄ってきた。そうして無言で隣の席に陣取り、今に至る。
「日本のアニメで、登場人物がなんとなく食べたり飲んだりしてるものが、どれだけ魅力的に見えるか君たち日本人にはわからないだろうね? 同じものがフランスにあれば、すかさず食べに行くとも。しかしやはり日本のそれとフランスのそれでは明確な差がある。その点ぼくは幸運だと思うよ。こうして日本に留学することができて、アニメと同じものを口にすることができる。スシもテンプラもすばらしかった。ウドンやソバも、すするのはちょっと理解できないがとても美味しいと思う。カレーやラーメンに至ってはどうしてこれが海外にないのか理解に苦しむほどだ。絶対にこれはスタンダードになれると思うのに」
 立て板に水の勢いとはこのことだろうか。ぼんやりと考えながら、チョコチップメロンパンの袋を開封する。ビニールの袋がばりっと音を立てて開き、口の部分が少しだけ伸びた。ふわんとかすかに甘い香りが、鼻腔をくすぐる。その香りはダニエルにも届いただろうか。彼の熱弁は止まらない。
「そして、メロンパンだ。フランスには似たものすらない。想像もできなかったよ――こんなにも美味しいものだとはね。フワフワのパンの上にサクサクした生地を重ねようなんて、きみたちはなんてことを考えるんだ? しかも上にまぶされた砂糖が口の中でジャリジャリとまた別の食感を奏でる……おかしいとは思わないか? しかもこんなに美味いものが普通にそこらで買えるだって? 値段だって高くない。これが一体どういうことなのか、きみたち日本人は解っているのか? これは日本人の食に対する美学と執念、そして現代の技術と流通――ああああああ!!!!」
 だんだんと早口になり、最後には絶叫になる。まるでこの世の終わりと言わんばかりの形相でこちらを見つめるダニエルをできるだけ視界から外して、佐伯はかぶりついたメロンパンを咀嚼した。ほんのり甘い生地のなかに、チョコチップの食感が楽しい。がり、がり、と殊更にチョコレートを噛み砕くと、あああああとダニエルが情けない声をあげる。
「食ったな――食ったな! ぼくの目の前でよくもそんな非道なまねを!」
「食いたいなら買って来いよ」
 唇に付着した砂糖の粒を舐め取って、佐伯はにべもなく斬り捨てる。そうしてようやくダニエルのほうに向き直ると、今度は捨てられた子犬のような表情でこちらを見ていた。よくもまあ、くるくると表情の変わることだ。
「そんなにたくさんはいらないんだ。一口。ほんの一口だけでいいんだよ」
 そのメロンパンは見たことがないから、食べてみたいんだ。そう言って、眉尻を思いっきり下げたまま佐伯を、正確には佐伯の手にした食べかけのメロンパンを見つめていた。無視して、もう一口メロンパンを齧る。もっふもっふと咀嚼すると、ごくんとダニエルの喉が鳴った。飲み下して、もう一口――かぶりつこうとして、一旦止まる。口を開けたままにちらりとダニエルを窺うと、彼は涎を垂らさんばかりにしてこちらを見ている。その瞳が「もしかして、ぼくに一口くれる気になったかい?」と語りかけてくるのを確認して、遠慮なしにパンを噛みちぎった。ひゃあああああ、と再びの情けない悲鳴が上がる。
「この――人でなし! 鬼! 悪魔! 笛でも吹いてろ!」
 かすかなメロンの風味(これは香料なのだろうが)とチョコ、そしてクッキー生地の甘みを堪能しながら、佐伯は内心で首をかしげた。
(笛ってなんのことだ?)
 彼は残念ながら、「悪魔が来りて笛を吹く」という言葉を知らない。ましてやそれが横溝正史の名作推理小説だとは知る由もなかった。彼はあまり本を読まないのだ。
 よく解らないことはスルーして、佐伯は食べかけのメロンパンをダニエルの目の前に突き出した。
「ほお。ちょっとくらいなら食わせてやってもいいかなとか思った俺をそう呼ぶのかお前は。そーかそーか」
 じゃあくれてやらなくてもいいよなあ、と引っ込めようとした右腕を、ダニエルはがっしと捕まえた。両手で捧げるように持って喚く。
「ごめんなさいごめんなさい嘘です! 神様仏様サエキ様! いいの? ほんとにいいの?」
「いちいちうるさいなお前は……いいから食えよ」
 佐伯の許しを得たダニエルは、いったん佐伯の右手を離し、おもむろに両手を組んで祈りを捧げた。興奮するといつもこうなのだ。呆れて見下ろす佐伯をよそに、とんでもない早口で祈りの言葉を並べ立てる(もっともフランス語だったので、早口でなかったとしても佐伯には意味が解らないのだが)。最後に胸元で十字を切って、メロンパンを捧げ持ち、そうして――豪快にかぶりついた。残っていたメロンパンの、実に三分の一くらいが彼の口の中に消える。
「……!?」
 まさかそこまで食われてしまうとは予想もしていなかった佐伯は、思わず絶句した。そんな持ち主をよそに、ダニエルは至極まじめな顔で口いっぱいのメロンパンを咀嚼する。180センチを超える長身を食堂の椅子に折りたたみ、神妙な顔でメロンパンを咀嚼しているその様子はとてもシュールだったが、おそらく本人は気にしていないに違いない。もぐもぐと口を動かすたびに頬が緩み、目が細まる。ああ笑っているのだなと、佐伯は遠い目をして考えた。
「……Splendide! Cette texture, cette douceur et ce chocolat! Je remercie Dieu. Je remercie un japonais. Un japonais est un genie!」
 長い時間をかけて咀嚼し、飲み込んだ後にダニエルの口から出てきた言葉はそんなものだった。続けて椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、なにやら呟きながら早歩きで食堂の出口へと突進していく。ちょうどそのあたりに歩いていた女子生徒が、ぎょっとしたように道を空けるのが見えた。
(……買いに行った、のかな)
 たぶん、そうなのだろう。予想外に美味しかったのかもしれない。佐伯にとっては慣れ親しんだ味だが、彼にとっては初めての味なのだろうから。ため息をついて、ふたまわりほど小さくなってしまったメロンパンに視線を落とす。まあ、これだけあれば、とりあえず腹はもつだろう。メロンパンはカロリーが高いものだし、新しいのを買って食ったのではさすがに多すぎる。ダニエルが乱していった椅子を直しながら、佐伯はメロンパンを口へと詰め込む。
 どこか懐かしい味のするそれは、やっぱり美味いのだった。
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