丸太のような腕に襲われて、盾を持つ腕が痺れる。
「……っ、やっぱきついか」
 痺れる右手を少し振って、ノブツナは油断なく眼前の敵を見上げた。見たこともないほど大きなアオアシラだ。今までに戦ったことのあるそれと比べて、ふたまわりは大きい。それに伴って力も強いらしい。今日ノブツナの携えているのは、あまり熟練しているとは言いがたい片手剣だ。利き手に盾を持ち、左手で武器を振るうのは不思議な感じだった。アオアシラとは戦いなれているとはいえ、油断すると痛い目を見るだろう。
 アオアシラはぐるると唸ると、ふたたびその鋭い爪で襲い掛かってきた。ぎりぎりまで引きつけてから、ひらりとかわす。太刀を携えているときよりは、得物が軽いぶん動きやすい。だが色々と勝手が違って、戦いそのものはやりにくかった。
(まずったな……)
 そもそも、この山に分け入ったのは、新しく作った片手剣の試し切りのためだ。その片手剣は片刃でゆるやかな弧を描き、それなりに凝った柄と鍔がついている。一目惚れ、だった。長さは短いが、故郷の太刀に良く似ていたのだ。この小太刀を手に、うきうきとこの山に入ったのが数時間ほど前。小型モンスターを相手に試し切りをして、切れ味や癖を確認し、それらに満足して一休みしたのが1時間ほど前だったか。簡単な手入れをして鞘に収め、汗を流すついでに川に入ろうかと上着を脱ぎ捨てたところで、ふと不穏な気配に気付いた。上着を身に着ける時間も惜しんで武器を引き寄せ、構える。アオアシラが茂みをかきわけて現れたのが、その直後のことだった。
(ま……やるしかないか)
 今日は、仲間はいない。おまけに今日の得物は、いつも使っている太刀とはリーチの差がありすぎる。いつものような感覚では、討伐までは持っていけないだろう。
(捕獲セットも持ってないしな)
 だって試し切りだけのはずだったのだ。幸い、いつも持ち歩いている回復薬グレートやこんがり肉はあるが、余計なものは一切持ち込んでいない。色々と考え込むノブツナに、アオアシラはお構いなしに攻撃を仕掛けてくる。反射神経だけでそれを避けながら、ノブツナは腹を決めた。アオアシラが攻撃を空振った瞬間、抜刀して斬りかかる。
「あれ、」
 だが、それはアオアシラまで届かない。すか、と綺麗な効果音まで聞こえてきそうなほどの、見事な空振りだ。振り返ったアオアシラの爪を、ノブツナは跳び退ってかわす。一瞬だけ、手の中の武器に視線を落とした。唇を引き結ぶ。
(これがリーチの、差か)
 同時に気合いを入れなおした。小型モンスターでさんざん試したはずだが、やはり大型モンスターを相手にすると勝手が違う。いつもより1歩、多く踏み込まなければならないのだ。おまけにノブツナは、今は上着を着ていない。あの爪で切り裂かれれば重症は免れないと思うとぞっとするが、それでもやるしかなかった。アオアシラを相手に逃げ出すのは、上位ハンターとしての矜持が許さない。
 ふ、と息を吐きながら、地面を蹴る。アオアシラの腕をかいくぐって、狙うのは足だ。強靭な皮膚と硬い毛に覆われたそこを、的確に傷つけていく。ギャア、と悲鳴をあげて、アオアシラは前脚をついた。頭が低くなったのをいいことに、ノブツナはその鼻先に斬りつける。顔は、すべての動物にとっての急所の塊だ。たまらず逃げ出すアオアシラを追うために、ノブツナは片手剣を鞘に収めようとし、それからふと思い出して砥石を取り出した。付着した脂や汚れを懐紙でかるく拭い、砥石で応急処置を施す。
(うちに帰ったら、手入れしないとな)
 切れ味を取り戻した小太刀を鞘に納め、ノブツナはアオアシラの後を追った。


     ***


 アオアシラがいたのは、山を少し降りたところだ。そこには、広く浅い川が流れている。渓流、と呼ばれる場所だ。ごろごろと大小の石が転がり、足場は良いとはいえない。水を飲んでいたらしいアオアシラが、こちらに気付いて威嚇してくる。それを気にも留めずに、ノブツナは間合いを詰めた。思い切り地面を蹴り、抜刀して斬りかかる。アオアシラはそれをまともに喰らい、ギャッと悲鳴をあげた。ぎろりと、怒りのこもった視線がノブツナを貫く。少し唇を歪めて、ノブツナは距離をとった。こうしてモンスターと対峙するのは、嫌いではない。真剣勝負というやつだ。モンスターはいつでも全力だ。それに対して、こちらも持てる力を駆使して挑む。その瞬間は心地よいものだ。特にこんな、1対1の場面では。
「来いよ熊公」
 呟いたその言葉に呼応するように、アオアシラは立ち上がって吼えた。そのまま巨体を生かし、意外なほど素早い動きで距離を詰めてくる。振るわれた爪を、ノブツナはくるりと前転してかわした。ばしゃばしゃと水が撥ねるが、かまってはいられない。連続して攻撃を繰り出すアオアシラの動きに合わせて、ノブツナは少しずつ後ろへと下がる。そろそろ反撃に移ろうかと、跳び退りながら小太刀を抜き放った、その瞬間だった。ざり、と音をたてて、ノブツナの足が滑る。
(しまっ……)
 川底に沈んだ石に、苔でも生えていたのだろうか。思わぬところでバランスを崩したノブツナは、膝をついた。派手に水飛沫があがる。それを好機と見たのか、アオアシラがこちらへと踏み込み、その勢いのまま腕を振り下ろしてきた。今からでは、回避は間に合わない。かといって、膝をついた状態で上からの攻撃をガードしても、怪我は免れないだろう。だが不完全な状態でもないよりはマシだと腹をくくって、ノブツナは右腕の盾をかざした。不吉な衝撃を感じるか否か、その瞬間、派手な音がして、急に視界が開けた。のしかかる格好だったアオアシラがいない。ぽかんとして顔を上げると、アオアシラは倒れこんでもがいていた。ばしゃ、ばしゃと水が飛ぶ。そしてそれを油断なく見つめる人影が、ノブツナの前にいる。
「大丈夫か」
 背格好は、ノブツナとそう変わらない。黒い髪は長く、そのせいで顔は見えない。だが低く落ち着いた声は、まだ若いと判断するのに充分だった。それに、場数も踏んでいるようだ。軽装ではあるが、身にまとう雰囲気がそれを物語っている。両手で構えている剣はひどく大きい。その大剣でアオアシラを横から殴りつけたのだと、今更になって気付いた。アオアシラとしてはたまったものではないだろう。
「サンキュー。大丈夫だ」
 腰を浮かせ、柄を握りなおす。その頃には、アオアシラはどうにか起き上がっていた。ノブツナは身構えたが、アオアシラはそのまま足を引き摺りながら逃げ出す。
「逃がすかっ」
 ノブツナが走り出すより早く、乱入してきた謎の男は走り出していた。そうしていったん背中に背負っていた大剣に手をかけ、思い切りよく振りぬく。その刃先がアオアシラの脳天を砕き、アオアシラはたまらず地面に倒れこみ、動かなくなった。完全に事切れたのを確認して、ノブツナはふっと息をつく。小太刀をふたたび懐紙で拭い、鞘に収めてアオアシラへと近づく。そこでは、謎の男が死体を検分しているところだった。手早く素材を剥ぎ取って、ポーチに収める。その動きはやはり、手馴れたものだった。そこでようやく、その人物がこちらを振り返る。
「あんた、何してんだそんな格好で」
 不思議そうに言うその人物に礼を言おうとして、ノブツナは息をのんだ。
「ビリー!?」
「は?」
 眉をひそめるその男は、あまりにもノブツナの知っている男に似ていた。少し太めの眉、薄い唇、色素の薄いビリーと違って少し色黒だし、髪も長いが、そのくらいしか違いが見つけられないほどに似ている。思わずビリーの名前を呼んだノブツナに、その男は唇を引き結んだ。
「俺は小太郎だ。ビリーって奴じゃない」
「そう……だよな」
 言いながらも、視線をその顔から引き剥がせない。小太郎と名乗った男は、少し唇を尖らせた。ノブツナの知っているビリーよりも、表情は豊かなようだ。
「あんたは?」
「俺は、ノブツナだ。この近くの、ユクモ村ってとこでハンターしてる」
「そんなに似てるか」
 ビリーって奴に、と彼が言うのに、ノブツナは力いっぱい頷いた。
「もう、そっくり。双子なんじゃないかってくらい」
「へえ……」
 少し興味を惹かれた様子で、小太郎は考える様子を見せた。ノブツナはふと思い立って提案してみる。
「時間があるなら、寄ってかないか。ちょっと会ってみるのもいいだろ」
 小太郎の格好は、良く見れば旅人の格好だった。軽く動きやすい、だがモンスターと戦うにはあまりにも防御力不足の装備だ。そこかしこが汚れているところを見ると、旅をはじめて長いらしいことが見て取れる。
「そうだな、面白そうだ」
 でもとりあえず、おまえは服を着るべきだ。そう言われて、ノブツナはようやく自分の格好を思い出した。


     ***


 ユクモ村への道すがら小太郎と話してみると、やはり彼もハンターらしい。
「あっちこっち流れてきたからな。ハンター暦も、そこそこだ」
 そう言う口調には、風格すら漂っている。経験に裏打ちされた自信がある。そんなところも、ビリーに良く似ていた。ビリーは寡黙な男だが、気を許した相手には結構喋ったりもする。小太郎はそれに比べると、多少は口数が多いように感じた。
「ところで小太郎って、変わった名前だよな。もしかして……」
「東方の出身。それはおまえも同じだろう、信綱」
 ノブツナはぱちりと瞬いた。ついで、笑みがこぼれる。正しい発音で、己の名前を聞いたのは久しぶりだった。故郷とここでは、使われている言葉が違う。発音が違う。だからどうしても、馴染んだ発音とは別の音になってしまう。しかたのないことではあるが、少し寂しかったのも事実だ。
「こんなところで、同郷の人間に会うとは思わなかった」
 小太郎の顔にも、笑みが浮かんでいる。遠く離れた土地で、同郷の人間に遭遇するというのは、嬉しいものだ。ノブツナは、自分では故郷を捨てたつもりでいたのだが、やはりまだ懐かしむ気持ちが残っていたらしい。あれこれと故郷の話で盛り上がりながら歩いているうちに、ユクモ村へと到着した。
「あれえ? 旅人さんかい?」
 いつもユクモ村の入口のところにいる青年が、早速声をかけてくる。小太郎は巨大な剣を背負っているというのに、物怖じした様子もない。湯池に来るハンターも多いので、慣れているのだ。小太郎も言われ慣れた様子で、そんなようなものだと答えている。その後もあれこれと話しかけてくるのを適当にあしらって、ふたりは集会浴場へと向かった。そこに行けば、おそらく猟団の誰かがいるだろう。
「あ、ノブちゃん!」
 暖簾をくぐると、早速声が飛んでくる。湯船につかってぶんぶんと手を振っているのはセブンだ。隣にはアッシュもいる。そこかしこに新しい傷を負っているところを見ると、どうやら狩りから帰って間もないようだった。適当に手を振り返しながら近づくと、セブンが目を丸くするのがわかった。アッシュも、まじまじとこちらを見ている。唇が動き、おそらくはビリーと呟いたのだろう。ノブツナはにやける口元を隠そうともせず、浴場と通路を隔てる柵に手をついて、紹介した。
「さっき会った、小太郎ってんだ。ハンターらしい」
 小太郎は軽く目礼したようだったが、セブンとアッシュからの反応はなかった。ふたりとも、まじまじとその顔を見つめている。小太郎がため息をつくのを聞いて、ノブツナは笑った。
「……わかるだろ、この反応」
「……よくわかった」
 そんなに似てるのか、と呟く小太郎は、うっすらと目を細めた。
「でも、今はいないんだな」
「そういえば、そうか」
 今日は、どこに行くのか聞いていない。ビリーはたいてい1人で狩りに赴くか、もしくは目の前のふたりと一緒に行動することが多い。このふたりがいるということは、今日はソロかな、と考えを巡らせた、そのときだ。
「ノブツナ?」
 聞きなれた声が背後からして、ノブツナは振り返った。そこには、入浴セットを持ったビリーが立っている。狩り用の物々しい装備はなく、ごく普通の格好だ。髪がすすけて見えるのは、どうやら彼も狩りから帰って、これから入浴しようというつもりらしい。
「よう、ビリー」
 挨拶しながらこっそりと横目で小太郎を伺うと、ビリーとよく似た瞳を見開いて、ビリーを見つめている。見返すビリーも、目を見開いていた。こうして対面しているのを見ると、やはり似ている。
『……』
 互いに黙りこくったまま、見つめあう。沈黙が落ち、何故か異様な緊張感を感じて、ノブツナはごくりと唾を飲み込んだ。動けないでいるノブツナを尻目に、ふたりは1歩、2歩と歩み寄る。そして互いに半歩ほどの距離で立ち止まり、またしばらく見つめあったあと――がっし、と力強く手を組んだ。手を下に向けた握手ではなく、肩の高さでぐっと握り合う。そうして大きく頷く。ふたりの顔には、微笑みがあった。ここまでふたりは、1度も言葉を交わしていない。だが、何か通じ合うものがあったのは確かなようだった。
「ビリーはん? に、小太郎さん?」
 ふたりは同時にノブツナのほうを振り向いた。そっくりな顔に見つめられて、思わずノブツナは後ずさる。それを気にした様子もなく、ビリーは小太郎に向き直った。
「小太郎?」
 確認するような口調に、小太郎は頷く。
「ああ。ハンターをしてる。ビリーも?」
「うん。一応、上位ハンター」
 面白いね、とビリーが言い、うんと小太郎が頷く。会話に置いていかれたノブツナは、横から口を挟んだ。
「何が面白いんだ……?」
 突っ込みながら、ジェスチャーで浴場へ行こうと促す。それに従って移動しながら、ふたりは言った。
『他人のような気がしない』
 見事なまでの息の合い方だ。これで今まで互いに会ったことがないなどと、誰が信じるだろう。
(こりゃあ、小太郎を勧誘すべきかな)
 腕も立つし、ビリーとも気が合う。猟団のリーダーとしては、入ってくれると嬉しい存在だ。あとは他のメンバー次第だが、反対する者はおそらくいないだろう。
(ま、反対する前に度肝を抜かれるかもしれんが)
 想像して、にやりと笑う。実際、ふたりが並んでいるのを目の当たりにしたセブンとアッシュは、湯船のなかでぽかんとしている。きっと他のメンバーもこうなるだろうというのは、実に愉快な想像だった。





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